忘れ物
「買い取った……?」
「ああ。ボクが大家だな。よろしく頼む。クククッ! フゴッ」
「でも、今までの大家さんは?」
人の良さそうな、おばあさんの顔が浮かんだ。洗面台の排水口が詰まった時、耳が遠くてヨボヨボだったので、俺が代わりに業者の手配をしたのを思い出す。そんなおばあさんが、ひとりで頑張っていたのだ。生き甲斐をなくし、さぞがっかりしているだろう。
「大家さん、大丈夫でした?」
俺がため息混じりに言うと、
「見るかい?」
そう言って先輩が、スマートフォンで写した、契約時と思われる写真を見せてきた。人の良さそうなおばあさんが満面の笑みでダブルピースしている。
「どうやら相当赤字だったらしくてな。諸手を上げて喜んでおられた。なんでも世界一周旅行に行くらしいぞ? しゃきっとされて、元気な方だな」
あのばばあ……。
「航平君のアパートメントは1階2階各3戸で、計6戸。航平君の隣は空室というのは知っているかい?」
もちろん隣が住んでいないのは知っていた。よく引っ越し業者の軽トラックが止まっていたから、また引っ越しかと思ったくらいだが。
「いくら近所付き合いがないといっても、それくらいは知ってますよ」
「じゃあ、その隣。そのまた上の2階は?」
「いやいや。……え? マジで」
「真面目だ。誰も住んでいないぞ?」
怖っ! ちょっとやめて!?
「そ、それは流石に……。いや、真上の人はいる。天井から物音がー」
「5月末に引っ越している」
「はい?」
「ダンジョンにでも潜っていて、気づかなかったんだろ? クククッフゴッ」
確かに。最近音がしないとは思っていた。
「……どうしちゃったんですか、他の住人は?」
「だから言っただろう? 気枯地には人が居着かないと。航平君は魔除けいるかい? クククッ! フゴッフゴッ」
……道理で家賃が安い訳だ。でもなんで俺は平気なんだ? いや実は、平気じゃなかったとか?
「薫、航平くんが怖がっているじゃないか。本題に入れ」
千駄木オヤジがにやにやしながら俺を見る。こ、怖がってなんかないぞ! くそっ、さっきの仕返しか!?
「コホンッ、そうでした。これから出現するダンジョンを、まずは千駄木家の管理下に置くつもりなんだよ。航平君」
先輩が真っ直ぐ俺を見つめた。
「管理下に?」
思わず聞き返す。どういう事だ?
「まあそんな顔をしないでくれ。千駄木家と言うとあれかな。探索者ギルドの管理下、と言った方が良いか」
「はあ……」
「出現するダンジョンの入り口を、ギルトの建物で囲む」
千駄木オヤジが突然、何でもないように言ってきた。
「航平くん、ダンジョンの詳しい事は、徹と薫から聞いている」
徹さんと先輩が、ちょっとすまなそうに頷く。千駄木オヤジが考え込むように、両手の指を組んだ。
「信じ難い話だが、真石……いや、魔力の石か? 魔石の科学的な裏付けに加え、レベルとやらが上がって、二人とも強くなっているのが分かる。何より、徹の足が完全に治っているのは疑いようがない」
まあ鑑定持ちの千駄木オヤジの事だ。治っていないのは見抜いていたんだろう。
「俺を連れて行け。ダンジョンとやらに」
千駄木オヤジが眼光鋭く俺を見る。
「嫌です」
俺はにっこり笑い返した。
「なんで!?」
「なんでって、これ以上強くなったら、誰があなたの暴挙を止めるんですか?」
澤井さんが気の毒過ぎる。あ、澤井さん連れて行こうかな?
「……ふ、ふははは!」
徹さんと先輩、千駄木オヤジの後ろに立つ澤井さんまでも、ビクッと肩を揺らす。
「良いだろう。魔物というモノと戦かってみたいが、それは7月28日後にいつでも出来る。つまり航平くん、それだよ」
千駄木オヤジが打って変わって真剣な面持ちで息をついた。
「それ?」
「ダンジョンに入り、魔物を倒してレベルが上がれば、薫や徹、航平くんのように強くなる。もしダンジョンに誰でも入れるようになり、誰しも強大な力を得たら、世界はどうなる? 得た力をどう使う?」
「それは俺も危惧してます。だから俺の家族には自分を守れるくらいには、強くなってもらいました。ダンジョンが拡大して世界が滅びるかもと言っても、目先の欲に流される輩はいると……。力を悪用する人間の方が、ダンジョンの魔物より怖いと思っていますよ」
「自分の家族だけか?」
千駄木オヤジが痛い所を平然とついてくる。
「……はい。俺にはそれが精一杯なもので」
視線を外らさず、千駄木オヤジに答えた。
「ギルドを作ろうと薫に働きかけたじゃないか」
「それは、探索者が増えて継続的に魔物を倒せば、ダンジョンの拡張を止められるらしいんです。後手を取るより先に動いた方が、それだけ生存確率が上がる。全ては、母さんと美波……家族を守る為です」
「そうか、分かった。『人類の為』よりは信用出来る」
ふんと千駄木オヤジが伸びをする。
「二人の話だと、魔物を自分で倒さなくても、近くにいればレベルとやらは上がるんだろう? 権力、名声、地位を欲しがる強欲共には垂涎ものだ。国も信用できん。ダンジョンをギルドで囲うのは、入る人間を多少なりとも管理する為だが、いずれ破綻する。管理するには限界があるし、抜け道もある。国も世界中にダンジョンが現れたら調査に入るだろう。ただ少しでも体制を整えてからー」
千駄木オヤジが苦渋の表情を浮かべ、最後は独り言のような呟きに変わった。
(ピ…航平、航平!)
ずっと黙っていたPちゃんがチャンネルを開いて来た。
(なんだよ急に。今大事な話をしてるから、オレンジジュースは後でー)
(違いますピ! 航平忘れてますピ!)
(何を?)
(失われた世界の、探索者登録所で使われていたのはー)
(……使われていたのは?……!)
「ああ! レベルタグ!」
思わず大声を出したら、千駄木オヤジを含めた全員が、ビクッと肩を揺らした。
「どうした、航平君?」
「いや、探索者管理の件ですけど、俺、良い物持ってたなーって」
へらっと笑う俺に、全員が疑わしそうな目を向けて来る。ひどい、澤井さんまで……。
読んでくれてありがとうm(_ _)m間に合った!