第三話 庶民と貴族
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リーリと踊った翌日の夜も妖精の輪がある地に行ったが、誰もいなかった。輪は薄れていることから、今夜は踊っていないのがわかった。
セラは徐々に大きくなる月に照らされながら、そこで一人で舞った。強弱をしっかり付けつつ、優雅さを意識するのが、都会のダンスのコツだと思われる。そして音楽に合わせて伸び伸びと動くのではなく、洗練さを意識する必要があった。
くるりと回って舞うのを終える。張りつめた気持ちだったのか、呼吸がいつもより上がっていた。
「今度は服装も意識しないと……」
木綿ではなく、シルクのドレスを借りる予定である。動きも制限されるため、より抑えた動きになるはずだ。
「あとはロムルスから屋敷の雰囲気を聞かないと」
彼は今日の昼間から、屋敷でルルミーアにダンスを教わっている。家を抜け出すときも、まだ帰ってきていなかったようだ。食事でもとっているのかもしれない。
ルルミーアと対面しながら、彼が笑っている姿が思い浮かぶ。その光景を考えると胸が苦しくなった。
彼は面倒ごとを受け流すために笑顔を取り繕っていることが多い。しかし作りものでも、ルルミーアがそれを本気と受け取り、男爵にも好印象をもたれたら――。
いつも言い合っていた隣にいる彼がいなくなると思うと、途端に心細くなった。
「……大丈夫よ。ロムルスに限ってそんなことにはならないって」
自分を落ち着かせるために、あえて声に出す。だが気分はちっとも晴やかになれなかった。
* * *
ダンスパーティ当日、ロムルスの家の前には立派な馬車が止められていた。セラは横目でそれを見ながら、彼の家のドアをノックした。
中から返事がすると、彼が出てきた。出てきた少年を見て、セラは目を丸くした。
前髪をかきあげた黒髪を綺麗に整え、額を出している少年。黒いタキシードを羽織り、蝶ネクタイをしている姿を見て、どこのお兄さんかと思ってしまった。
「ロムルスでいいの?」
彼は額に手を添えながら頷く。
「ああ。服を貸してもらったんだ。この服を見せたら、母さんが髪型も整えてやるって言って……」
はりきって息子の髪を整えている姿がありありと思い浮かんだ。
「そっちこそセラだよな。いつも見ない格好をしているから、口開くまでわからなかったぜ」
今日のセラは淡いオレンジ色のシルクのドレスを着ている。ドレスの仕立屋を営んでいる叔母に無理を言って借りたものだ。
くせ毛の亜麻色の髪は頭の後ろでまとめ上げ、脇に花飾りを刺している。白粉をはたき、頬紅をし、唇に紅をつけたことで、華やかな表情になった。
酒場で踊るときも少し化粧をするが、本格的にしたのは初めてだったため、随分と時間がかかってしまった。
ロムルスはそっぽを向いている。それを見ると落ち着かなくなった。一刻も早くここから立ち去ろうと思い馬車に足を向けると、彼が小さく呟いた。
「……綺麗だぜ、セラ」
その言葉は胸を高鳴らせる。本気かお世辞かわからないが、セラにとってはとても嬉しかった。
ルルミーアに遣わされた馬車に乗って、セラとロムルスは街中を突っ切っていく。セラは窓にかかったカーテンを軽く寄せて外を見ると、外にいる人たちがじろじろと見ているのに気付いた。すぐにカーテンを閉じる。
「場違いなところにいる気がしてきた……」
「俺だってそう思うさ。見る側から見られる側になるなんて、そうそうないだろうな」
馬車は大通りを抜け、川にかかっている橋を駆けていく。ルルミーアたちが住んでいる館は、川を越えた先にある、丘の上の見晴らしのいい土地にあった。
整えられた道の上をひたすら進んでいく。茜色に周囲が染まる中、建物が視界に入ってきた。ほどなくして馬車は静かに止まり、降りるよう促された。
ロムルスが先に降り、彼の手を取ってセラも地面に足を付ける。そして目の前に広がる光景を見て、思わず声をあげた。
四方に立派な石柱をたたせ、それを繋ぐようにして壁が作られている。目立った汚れも見られない、美しい石の壁だった。入り口は今日のために特別に彩ったようで、 色鮮やかな布や花で装飾されていた。石で造られた像も扉の脇にあり、それも花で飾られている。
「ロムルス様、セラ様、ルルミーア嬢がお待ちでございます。どうぞこちらへ」
館の執事が声をかけてくる。ロムルスが躊躇なく歩いていくのを見つつ、セラも続いた。
中は至る所にランプの灯火が燃え、金をあしらった豪華な壷などが置かれていた。庶民のセラには一生見ることのない品ばかりである。
執事があるドアの前で止まると、軽くノックをした。中から声がかかり、ドアを開ける。ロムルス、セラと入り、そこで息をのんだ。
「いらっしゃいませ、ロムルス様」
ドアの先では金髪の少女がにっこり微笑んでいる。彼女の長い髪は一つにまとめあげられ、それを彩るように、セラとは比べ物にならないほど豪華な花が刺されていた。
純白のシルクのドレスを着た彼女が近づいてきた。ドレスはうなじから背にかけて開いている仕様だ。同じ年齢であるはずなのに、彼女からは大人の色香までも漂わせている。シルクの手袋をした彼女は、顔の横でそっと両手をあわせた。
「とてもお似合いですわ。それを着こなすなんて、さすがですわね」
「本当はすぐにでも脱ぎたいですが、今は我慢しますよ」
「ふふ、ご冗談もまた素敵ですわ。……さて、横にいるのはセラね」
ルルミーアは左手を腰に付ける。
「きちんと着飾れば見られないものではないわね。それで踊れるのかしら?」
「このような服でも動けるような踊りにしていますから、ご心配は無用です」
「頼もしいお言葉ね」
彼女は視線を二人に向けた。
「今回のダンスパーティは、近隣の諸侯の娘や息子を呼んでいるパーティですわ。交流が第一のもので、食事をとったり踊ったりして、仲を深めるものです。ロムルス様は私の遠い親戚として扱いますけれども、セラは余興として来てもらった街娘として話を通します。せいぜい粗相をしないよう、気をつけてくださいませ」
「ご忠告ありがとうございます」
裏を返せば後ろ盾もなくパーティに挑めということだ。
ロムルスとルルミーアはダンスの練習の際に仲を深めたらしく、彼女に話しかけられても彼からはあまり嫌がっている様子は見られなかった。
胸に仄かな痛みを感じつつ、セラは窓を通じて星々が少しずつ出てくる空を眺めた。こんな日に外で自由に踊りたかったと思いながら、今に集中することにした。
ルルミーアの挨拶でパーティは穏やかに始まった。グラスを片手に持ちながら、貴族のご令嬢やご子息が談笑を始める。机の上にある食事を摘まむ人もいるが、話している人の方が圧倒的に多かった。
セラは部屋の端でグラスを両手で持って、その様子を眺めていた。するとタキシードを着こなしている青年が近寄ってきた。こちらに愛想良く話しかけてくる。
「お嬢さん、お一人ですか?」
「そうですが……」
「よろしければ僕と一緒に踊りませんか?」
セラが目を瞬かせると、凛々しい青年は頷き返した。
「なぜ私なのでしょうか。他にも素敵な方がいますよ?」
「貴女が他と比べて一段とお美しいからです。既にお相手でもいるのですか?」
セラが踊る前後に、皆で踊る時間があると聞いている。あくまでもセラの踊りはそれらの繋ぎ。主となるのは皆の時間だ。その踊りの参加は好きにしろと言われているが、本当に踊っていいのかと考えてしまう。
ふと意識がひときわ人が集まっている、ルルミーアの方に向かれる。彼女の斜め後ろにはロムルスがおり、彼の周りにも人だかりができていた。
「――彼はルルミーア様の遠いご親戚の方ですね。彼ほどの身長があると、見える景色も変わってくるのでしょう。僕では到底敵いません」
セラはゆっくり首を横に振った。
「いえ、貴方はとても凛々しいですよ。――私でよければ是非ともお相手をお願いします」
ロムルスへの思いを断ち切るかのように頭を下げた。
周囲のざわめきが静まると、壇上には一人の男性が上っていた。壇上の脇では、ピアノを前にしている人、弦楽器を携えた人たちが椅子に腰を下ろしていた。
「さて、お集まりの皆様、交流は深まりましたでしょうか。これからお待ちかねのダンスの時間です。皆様どうぞ楽しくお踊りくださいませ」
男性が壇上から降りると、次々と男女の組ができていった。ロムルスはルルミーアの手を恭しくとっている。
「お嬢様」
セラは我に戻って、青年の手の上に指先を乗せた。
「踊りのご経験は?」
「……多少ありますが、貴方様に合わせます」
普段はリードしているが、彼の自尊心を傷つけぬよう、言葉を選んだ。青年は頷き、セラの手を優しく包み込んでくる。ごつごつしたロムルスの手とは大違いだった。
ピアノや弦楽器の音が聞こえてくる。主催であるルルミーアとロムルスが初めに踊り出した。それから少し間を置いて、他の参加者たちも動き出した。
セラはスカートを掴んで一礼した後に、彼に歩み寄った。彼はセラの腰に手を回して体を抱き寄せる。そして音楽にあわせて、ゆっくり踊り始めた。
右に左に、穏やかなワルツを聞きながら踊っていく。青年が手を離し、腕を開いたので、セラは周りにあわせて広がり、そして戻っていった。
ダンスパーティでよく使われる音楽なのか、他の人たちは滑らかに踊っていく。ルルミーアたちは談笑さえしていた。
「二人の関係が気になるのですか?」
青年がセラの視線をめざとく指摘してくる。セラはにっこり微笑み返した。
「失礼しました。二人の踊りが綺麗だったため、つい」
「ルルミーア嬢よりも、君の方が魅力的に見えますけどね。足の捌き方もすごいと思うよ」
この音楽に合わせた踊りは、セラには経験したことがないものだった。しかし青年に合わせて踊ることで、体裁は保たれている。柔らかに優雅に、型にはまった動きをしていく。時に上品にくるりと回った。
青年はじっとセラのことを見ている。気恥ずかしさもあり、視線をやや落とした。
『貴族様のパーティに行っても、きっとつまらないよ』
リーリが呟いていた言葉が思い出される。
『だって楽しむよりも、自分がいかに優れているか、いかに美男美女かを見せつけるだけのものだから。偽りの自分を、皆に見せつけているんだよ』
その言葉が今、ようやくわかった。
青年は踊りを隙なくこなしており、上手い部類に入る。時に微笑んでセラを見たりと、気遣いにも余念はない。
その配慮によってセラも流れるように踊れているが、果たして楽しいと言えるだろうか――。
「指先まで伸びていて綺麗だ。本当に多少しか踊れないのかい?」
腰に回されている手が強くなる。
「お嬢さんとずっと踊っていたいよ」
甘美な声で囁かれる。その微笑みを見て、うっとりした。このまま彼の腕で抱かれたいとさえ思った。
しかし着飾ったセラだけしか見ていない彼は、本当の自分を知ったときどう思うだろうか。
音楽は和音と共に終わりを告げる。スカートを摘んで恭しく礼をした。青年は軽く手を叩いている。
「素敵な踊りだった。是非ともまた踊ろう」
セラは答えずに、静かに微笑んだ。