異世界帰るべからず?
「……数年後に地球への大接近が予測されている隕石について、MOWA委員会は地球と衝突する確率は0%と発表しました。大接近の際には史上最大規模の流星群が…」
「……今週の実況ランキング~!さ~て!今週は~…ふむふむ、上位の方々には変化はないようですが、真ん中の層に注目して見ると…」
「……次のニュースです。新政府となり、新たな政策としてネイぽん氏が打ち出した…」
大きな街頭ビジョンからニュースを伝える声が鳴り響く中、物騒がしい音があちらこちらで沸き起こり、どこかどんよりとした重苦しい空気が人々を包み込む。
異世界とは違い、コンクリートで出来た建物が身を寄せ合うように高くそびえ立つ街中を歩く人々は、無表情一色で周りとの接触を拒むように耳をイヤホンで塞ぎ、手元の電子機器ばかり注視している。
そんな人混みの中に、上下共にジャージ姿で黒いリュックを背負い少し腰を曲げた、全く覇気のなく、むしろ今から異世界に転送されそうな青年がトボトボともの悲しげに歩いている。
「ちょっと待って、話が違う…!」
魔王討伐祭での堂々たる威勢はどこにいったのか、異世界を救った勇者、入多奈帝里は完全に現実世界の中で埋もれていたのだった。
==============================
異世界で意識を失い、つぎに帝里が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。
帝里が異世界召喚された日から1年と少しが経ち、五月のGWが明けた頃、それまで行方不明とされていた帝里は突如、海に浮かんだ状態で発見されたらしい。
五月といってもまだ海は肌寒く、そんな海に投げ捨てるとは、異世界を救った勇者様の帰還にしてはなかなか酷いものだが、思えば、行きもなぜか上空3000mから放り出されており、そもそも扱いが酷かったようである。
幸い、体に異常は見られなかったのだが、問題となったのが帝里の記憶についてのことだった。
異世界ではこっちの世界での記憶がほとんどなかったが、現実世界に戻ってくると、次は逆にこちらの世界の記憶があって、異世界の記憶を失っていたである。
つまり、目覚めたばかりの帝里からしたら、自分がここ一年何をしてきたか分からず、しかもその間、自分は行方不明だったということだ。
そんな自分の状況を聞かされたとき、帝里がえもいえぬ恐怖を抱いたのは当然のことで、もし異世界での記憶がずっと戻らなかったら、不安で帝里も宇宙人に連れ去られたのだと半狂乱に信じ、布団に簀巻きにでもなっていたかも知れない。
しかし、5日もすると異世界での記憶が徐々に戻ってきて、どうにか自分の置かれた状況が理解出来た。しかし、それと同時にある衝撃的な事実が発覚したのだ。
帝里は魔法が使えなくなっていたのである。
この理由を帝里は記憶の少なさだと判断した。もともと人間というものはそんなに過去を覚えているものでもなく、例えば、「ここ1年のことを思い出せ」と急に言われても、パッと思い出せるのは30日分ぐらいでも多い方だろう。
それを帝里は6年分なのだ。いくら珍しさに溢れた異世界生活とはいえ、一度記憶を失ってしまったせいか、取り戻せた記憶も少ない。
実際、どう魔法を使ったのか動作的には少し覚えているが、感覚的には全く分からず、呪文を唱えてみたり、ポーズを取ってみたりしたが、結局、何も起きなかった。
というわけで、せっかく異世界に行ったのにも関わらず、帝里は魔法が使えなくなっていた。これが2つある問題のその1である。
では、その2は何であるか。それを説明する前に、異世界に行く前の勇者様のプロフィールを紹介しよう。
洲雨高校元3年D組6番 入多奈帝里。
中学までは緑豊かな田舎で育ち、都会の高校へ進学を機に両親と別れ、一人暮らしを始めていた。帝里が異世界に行っている間、こちらの世界では行方不明になっており、やはり両親には相当の心労をかけてしまっていたらしく、今それが帝里の異世界生活、唯一の後悔である。
当たり前のことだが、高校はちゃんと通っていた。成績も良く、模試での第一志望大学はA判定で、先生達から合格は確実と安心されるほど、手の掛からない良い生徒だったと思う。
クラブには入っていなかったが、大海 双治郎という、同郷で中学校以来の親友である子が剣道部に所属しており、帝里はその練習に付き合うなど、運動は嫌いではなく、むしろ活発的な方であった。
友好関係も広い方で、別にクラスで特に目立つ存在でもなく、どこにでも居そうな、普通の高校生といったところだ。
高校生という恋多き年頃でもあったので、帝里は剛堂 情音という、好きな女子もいた。残念ながら付き合ってはいなかったが、帝里自身は良い感じの雰囲気ではあったとは思っている。
しかし、相手はお金持ちの超お嬢様で、敷居が高いというか、そのせいで帝里は少し気後れしてしまい、お互い奥手であったのが難点であった。こういった面でも、普通の高校生で、恋も将来もそこそこ有望だったと言えよう。
そして、またここからが問題なのだ。
問題はとてもシンプル、『一年経っていた』ということだ。
帝里が異世界に旅立ったのは高校3年の桜咲き誇る1学期始業式の日。
そして、帰ってきたのが一年後の桜舞い散る5月の中旬。
つまり…
「どこにでもいる普通の浪人生が完成したってわけだ。
一年間失踪で去年は受験してない、高校中退付きの」
自分の置かれた現状を口にした帝里は、改めて自分の堕落ぶりを実感し、大きくため息をつく。
警察の事情聴取は、記憶のないときの5日間で行われたせいで、失踪も記憶喪失も、全て受験のストレスによるもの、と片付けられてしまった。
その後で記憶が戻り、異世界での出来事を思い出したのだが、そのときにはもう警察は来なくなっており、帝里は受験で狂った少し可哀想な青年のままになってしまい、医者や看護師からの哀れむ目がとても辛かった。
今思えば、記憶喪失は異世界のことが漏れるのを防ぐためだったのかもしれない。おのれ異世界、まんまとはめてくれたな。そう悔しがってみるものの、魔法の使えない現状では、たとえ警察に言えたとしても、信じてもらえず、病院が精神病院に変わっただけだろうが…
おかげで面接のある大学は受けられない。なぜなら面接では必ず高校中退の理由も聞かれるだろうし、その理由でもある一年間失踪については確実に問われるだろう。
そこで、「異世界で勇者やってましたー!」とバカ正直に言えば、即終了だろうし、警察の用意してくれた受験のストレスもかろうじて許容範囲かも知れないないが、マイナス評価は確実であるからだ。
また、一年というのがまた微妙な期間なのである。まず帝里の本当の年齢はどうなるのか。異世界にいたときは単純に6足して23歳にしていたが、こっちの世界では18歳が正しくなる。
試しにスマホにあったアプリで肌年齢を測ってみると14歳。微妙に嬉しい結果だが全く使えない。話がややこしくなるので、こちらの年月に合わせ、自分を18歳として通すことに帝里は決めた。帰ってきて若返るとは、浦島太郎の逆バージョンみたいで不思議な感覚である。
そのまま6年経っていたらもう受験は諦めて、異世界で勇者だった帝里もしぶしぶ就職を決意しただろうが、一年ならまだ受験しても取り戻せるし、まず就職活動を始めるにしても履歴が酷い。
というのも、帝里が居なくなって、帝里が好きだった女の子、剛堂さんはとても心配してくれ、なんと彼女の実家である剛堂グループが警察に全面的に協力してくれていたのだ。帝里としては剛堂さんが心配してくれたことはとても嬉しいが、この帝里のための行動が裏目に出る。
剛堂グループは日本有数の大財閥で、その代表である剛堂さんの父親が、娘の頼みということで、お金持ちあるあるの親馬鹿っぷりを発揮してくれた。
まず、空港や船舶施設のカメラに帝里の姿が写ってないことが分かると、日本国内を草の根を掻き分けて探された。帝里はそんな最大規模とも言えるかくれんぼから逃げ切ってしまったのだ。
この大捜査は公にされてないので、問題になることはなかったが、捜査の規模と信憑性によって、見つからなかった帝里は死亡したという結論に至った。娘の心情を考慮して早く決着をつけたかったのだろう。
そのため、帝里は戸籍上、すでに死んだものとして扱われており、今、修正の申請を出しているが、正直どういう状態で戻ってくるか分からない。だが、最後が失踪と謎の戸籍修正という履歴書では就職先は高いところは望めるはずもなく、消去法的に浪人という道を選んだのだった。
こうして、異世界の洞穴の中で夢描いた『スーパー高校生』として戻ってくる予定だった帝里は、魔法が使えず、社会的地位もない『底辺の浪人生』になってしまったのだ。
気づかなかった帝里も悪いが、これはいくらなんでも酷すぎる。心配かけた皆様方には申し訳ないが、これなら異世界から帰ってこない方が良かったかもしれない。
とはいえ、帝里を異世界に送り出した、あのマンホールは元あった場所から跡形もなく消えており、異世界に戻ることも出来なくなった今、この辛い現状を生き抜いていくしかない。
「……まぁ、あの異世界を攻略できたし?なんとかなるでしょ!!
えっと、完了形って……あ、anotherの後ろは単数形か…――へぇー!マンションって英語だと大豪邸って意味になるのか!」
そんな考え得る現実的な不幸をてんこ盛りにした没落勇者帝里であったが、ひとしきり落ち込んだ後、なんとか立ち直って予備校に通っており、今もその通学途中であった。
しかし、「別に勉強出来なくたって生きていける」という有名な文句があるように、帝里は異世界での6年間、一切受験勉強などしておらず、そのせいで公式や語法などを綺麗さっぱり忘れてしまい、1から勉強し直しなければならないというハンデまであるのだ。
「にしても、ほんと1年ってのがビミョーだよな。
たった1年じゃ、異世界から来たときお決まりの『うわ!なんだこれは!?』ってが出来ないじゃないか…!」
そんなわけで五月からもうスパートをかけないといけない帝里は単語帳を拡げながら、恨めしそうに周りを見渡して、残念そうに呟く。
どうせならアニメでよく見る、テレビ等の電化製品を異世界の人が見て驚くというのを体験したかったものだが、正直全部知っている。
ここ一年で変わったのはおにぎりの具の中身と新しいゲームくらいか。やはりたった一年では身近では画期的な発見もなかったようだ。
でも、世界的に見ると変わったことがいくつかあった。
それもささいな違いなんかでなく、世界を歪めるほどの違い。
そのなかで一番変わったことといえば、地球上の国々の領土の範囲が変わってたことだ。
世界地図で全く知らない国の形と境界線を見て、始め帝里は、また別の異世界にでも迷いこんだのかと疑ったほどである。日本だけが国名も領土も変わらずにいたので元の世界だと分かったが、他の国はほとんど原型をとどめていない。
領土の範囲変更はどうやら、この一年の間に国同士が争った結果であり、また、そのせいで国々の貧富の差が前よりもさらに酷くなっており、中にはほぼ従属状態の国まであるらしいのだ。
世界全体が不穏な空気に包まれ、現在でも戦争一歩手前の小競り合いが続く国同士が多くあり、またいつ戦争が起きてもおかしくないという、異世界に行く前と全く違う状況に変わり果てていた。
こうした世界全体が危機的な状況になったのには、実況者という多種多様の動画をネット上にアップし評価を得る人々(正しくは少し違うが、ここでは動画を投稿する人をまとめて実況者と呼称することにする)が深く関係している。
その実況者たちが一年間で帝里の知っていた現実世界を大きく狂わせたのだ。
そして、その実況者によって、帝里は新たにある目的とそのための手段を得ることとなる。
それは…
「もういっちょ世界を救って、この世界での英雄にでもなっちゃいますか!!」
異世界とは少し雰囲気の違う空に向かって左手を掲げ、異世界を救った英雄はまたこの少し変わってしまった世界で、平和への狼煙をあげるのであった。