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第二話 茶道ガールと華道ガールのサイレント茶会

 茶道。


 それは静寂を求める道だ。


 日本の四季を生きるあたし達は自然に添うように生きてきた。春には野に咲く花のように可憐な心を纏い、夏には熟れた果実の祝福を喜び、秋には朧月に密やかに思いを寄せ、冬には暖炉で家族と共に心を落ち着かせる。


 これら全ては、自然に身を置くことに捧げた日本人にしかできない。そこには全て静寂という空間が携わってくる。


 それが茶道の基本なのだ。


 だがあたしは今、自分の心を落ち着かせることができず、荒波のように動揺している。今まで一緒にいた彼があたしの方を向いていないからだ。


 もちろん彼女の魅力はあたしにも理解できる。常に前を向いている人は誰が見ても美しいと思えるからだ。


 だからといって彼女に彼を奪われるのは許せない。彼女に心がないとしても、彼に体を許す行為は絶対に許せるはずがない。彼が奪われることは、あたしの日常そのものがなくなることを意味するからだ。



 絶対に取り戻してみせる、私だけに許された半尺の距離を、必ず――。



 いつの間にか《《当たり前の日常を取り戻すこと》》が、あたしの日常になってしまっている。


 それがひどく悲しいが、この不純物を取り除かなければ私に静寂は訪れない――。



 ◆◆◆


「お、うまいじゃん、花鈴。ばっちりだったよ」


 涼介がサーフボードに腕をかけながら手を叩く。


「最近調子いいな、どうした?」


「……別に大したことないよ」


 彼にもっと見て欲しいから練習しているとはいえない。


「んじゃ、次の波は俺な」


 そういって涼介はパドリングで波が出やすいポイントに移動していく。


 空を見ると、曇り一つない青空が広がっている。日焼け止めはきちんと塗ってきたが、これ以上、焼けたくないためあまり外に出たくない。だが彼と一緒にサーフィンをするのなら別だ。


「おーい、今からそっちに行くからなー」


 涼介を見ると、彼は波を捉えショートボードの上にすっと立ち上がっていた。バランス感覚がよく自由自在に体を動かす彼に魅了されずにはいられない。


「おし、どうだ、今のバッチリだっただろう?」


「……まあまあじゃない」


 バドリングして帰ってきた彼を見ずにいう。悔しいけど認めざるをえない。最初からやる気が違ったのだ。涼介と一緒にいられたらそれでよかった。だからサーフィンの技術など気にしていなかったのだ。


「大丈夫? 熱中症か?」


「うん、大丈夫」


 ……熱中しているのはあなたの方でしょ。


 2ヶ月前、涼介は華道の展覧会で一つの書を出展し、それが好評となり話題となった。その華道の家元の一人・愛染彩華あいぜん あやかが同じ高校に転入してきているのだ。


 彼と彼女はその展覧会を境に仲良くなり、あたしも彼女と接する機会が増えていった。


「今日さ、愛染さんが家に来るんだけど、お前も来るか?」


「いや、私、用事あるから……二人で会えば?」


「お前、まさか……嫉妬してるの?」


 涼介がにやにやしながらいう。


「そんなんじゃないから。もしそうだったら、お前にいわないし、お前とサーフィンに行かないから」


 ぽっと心の中が熱くなる。海の中にいるのに足元の方まで熱を帯びていく。


「いや、そういう意味でいったんじゃないし……」


「だってお前、機嫌悪いじゃん。俺の方に視線を合わせてくれない時、大体、何かあった時だよな」


 ……気づいているのならいわないでよ。


「だって彩華さん、あたしよりスタイルいいし、女っぽいんだもん」


 親指を擦りあわせながらいう。


「あたしは小さいし、色も黒いし、女っぽくないから、涼介はあたしより彩華さんみたいな人の方がいいかなって」


「そんなことねえよ。俺はお前が好きだよ」


 そういって涼介はにっこりと笑った。


「大体、お前の家にも来るんだろう、ならいいじゃないか」


 彩華は興味あることには何でも首を突っ込む性格だ。花鈴の家が茶道教室をやっているので、彼女の流派とは違うにも関わらずに勉強しに来ているのだ。


「一応明後日くる予定だけど。でもそれは女の子同士だからでしょ。あたしが他の男の子と一緒にお茶飲んでたら、涼介は楽しい?」


「いや、楽しくないな……」


 そういって涼介は何かを思いついたように声を上げた。


「……なあ、今度の花火大会、一緒に行こうぜ。あいつらにもいっとくからさ」


「え、いいの?」


「ああ、高校生だし、もうそろそろいいだろう」


 心につっかえていたものが自然と外れていく。毎年、友人と行くはずだった地元の花火大会。いつも彼の友人達と合流し、正直楽しめていなかった。



 ……今年は彼と、二人だけ。



「うん、絶対行く」


「ちゃんと浴衣着て来いよ。見たいから」


「うん、もちろん」


 それでも胸の中にある彼女の存在が離れない。


 彼と付き合っているのは自分のはずなのに――。



 ◆◆◆



 彼の家を覗くと、涼介と彩華がいた。二人は汗だくのTシャツを着たまま書道に夢中になっている。その字を見て心を奪われた。


「難しいわね、この『静』という字、バランスがとりにくいわ」


 彩華は額の汗を拭いながらいう。


「漢字の意味を考えたらすんなりと書けるよ」


 涼介は筆を握っていった。


「争いが澄み切る、つまり濁った水が綺麗になっていくイメージで書けば上手くいくよ」


 彼の筆の動きに再び魅了される。先ほど見せた波乗りと同じように、自然と、しかし力強く的確に進んでいく。サーフィンによって書道も上手くなったというが、それは本当のことだろう。


 彼の字には自分の心を掴む何かが存在する。


「……凄いわね。勉強になりました、ありがとうございます。お代はどうしたらいいの?」


「お代なんていらないよ」


「そういうわけには……」


 彩華が涼介に近づいていく。それと同時に自分の心が揺れ動いていく。


「大したことは教えてないし、基本だから。ち、近いよ、愛染さん」


 涼介が両手で距離を取ろうとしても、彩華の方がどんどんと近づいていく。彼が襖まで追い込まれると、彼女は立ち上がってTシャツを脱いだ。


「じゃあ、もっと教えて欲しいから、これでいい?」


「え、愛染さん、何してるの」


「京都にいた時はこうしないときちんと教えて貰えなかったわ。男の人は仕方がないんでしょう?」


 ……何をしているのだ、彼女は。


 意味がわからず呆然と見ることしかできない。目の前にいるのはスカートを履いた下着姿の彩華だ。

 

「いやいや、そんなことしなくていいから。俺は望んでないから」


「彼女に遠慮しているの? 私、別にいったりしないわ。あなた自身に興味はないもの。興味があるのはあなたの書だけ」


 ……な、中に入らないと。


 そう思いながらも足が竦み入れない。体が状況に追いつかない。


「ちょっと待ってくれよ。まず俺の話を聞いてくれ。君がどういうつもりなのかは知らないけど、俺は適当に教えるようなことはしない。そしてできるのなら、俺は君にそんなことをして欲しくない」


「どうして?」


「君のこと、大切に思っているから」


 ドクン。


 心臓の鼓動が自分の心をかき乱す。今の言葉は彼のおせっかいなのだろうか、それとも――。


「意味がわからないわ、私を大切にしたいなら、もっときちんと教えて。どうして私と距離を取ろうとするの?」


「正直、俺にもわからない」


 涼介は首を振って答えた。


「俺には花鈴がいてそれが当たり前の日常だった。けど君と出会ってから、色んなものが変わっていって、正直わからないことだらけだ。だけど、こんな関係がおかしいのはわかる」


「体を求めることはいけないことなの? 私は自分の学のためなら何でもするわ。あなたの書は私にはないものだから、それが知りたいの。私のできることといえばこれしかないわ」


「あ、愛染さん……」


「ねぇ、私に書を教えて、涼介君。字を書くためには女体を知らなければならないと、京都にいた先生が教えてくれたわ」



 ◆◆◆


「結構なお手前でした」


 彩華はお辞儀をして椀をゆっくりと置いた。


「面白いわね、同じお茶でも表と裏で全然違う。毎回勉強になるわ」


「そ、そう……」 

 

 2日前、彼女は涼介の家で迫っていたのに、全くそんな素振りを見せない。彼女にとっては本当にどうでもいいことだったのだろう。悪いことをしているという気持ちが欠如しているのだ。


 ……やはり家元の人間は考えが違う。


 あの日、二人の姿を見て花鈴は後ろを向いて走り去ることしかできなかった。彼と彼女と距離を取ることでしか、自分の心をコントロールできない自分がひどく惨めで涙を零すことしかできなかった。


「なぜおばあさまが裏千家に入りなさいといったのかがわかったわ」


「……どういうこと?」


 花鈴が尋ねると、彩華は空咳をして答えた。


「形式に囚われては、いいものが作れないからよ」


 茶道には表と裏があり、それは宗派が違うものに似ている。


 表は保守。裏は発展。お互いに同じものでも進む道は違う。もちろんそれはわかっている。


「伝統あるものは常に新しいものにふるいをかけられるの。落語、能、歌舞伎……全て、時代を経て進化し続けているわ。私も生け花の世界で生きるためには覚悟がいるの。半端な覚悟じゃ生きていけない世界だから」


 もちろん彼女の気持ちはわかる。家元になるためには自我を捨てる覚悟が必要なのだろう。だがそこに涼介が関わってくるのは納得できない。


 彩華は純粋に彼の書だけを手に入れようとしているのだろう。だがそのやり方だけは絶対に間違っている。指摘しなければいけないのに、それができない自分が憎い。


「そんなに急がなければいけないものなの? 普通の高校生じゃいられないくらいに」


「そうよ。ライバルは日々生まれてくるのだから、一番になるためには思いついたことを全てするくらいの気持ちがなければなれないわ」



 ……立ち向かう勇気のない者には間違いを指摘することさえできない。



 彩華に議論を投げかけることすらできない。彼女の精神はずっと大人でそれが間違っていてもまかり通ってしまう。


 だが涼介だけは絶対に渡せない。この思いだけは何があっても絶対に変わらない。


「おお、やってるね。いいね」


 涼介が涼しい顔をして茶室に入ってきた。


「え、どうしたの、涼介」


「ああ、ごめんなさい。私が呼んだの」


 彩華は何の気なしにいった。


「二人より三人の方が勉強になると思って。迷惑だったかしら?」


 本当に彼女は何も考えずに人の彼氏を呼んだのだろうか。これは戦線布告ではないのか。



 ……《《静寂》》を思い出せ。



 いつもの通りだ、彼がいることが当たり前。それなのにどうして、彼を見てあたしの心をかき乱されるのだろう。


「こんにちは、《《涼介さん》》。こちらに座って」


 彩華が彼を下の名前で呼ぶ。それだけであたしの心に津波が起きる。



 ……静まれ、あたしの心。



 深呼吸をして目の前の椀を見つめる。今まで静寂を学んできたのに、制御できない。何のために茶道をやってきたのかすら、わからなくなってしまう。



 ……静寂、静寂、静寂。争いを抑え、澄み切った水をイメージしないと涙が、溢れてしまう。



 涼介はどちらを選ぶのだろう。あたし達、二人は表と影のように目指す方向が違う、茶道のように保守と発展を目指すあたし達のどちらが彼には必要なのだろうか。




 ……お願いだから、あたしだけを見て。




 涼介を縋るように見るが、彼には私が映っていないように思えた。心を揺さぶる荒波が茶室の中を大きく飲み込んでいた。

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