友人
本屋で何気なしに取った本は 数学の専門誌だった。
翔は 英語が得意で俺は 数学が得意だった。
久々に目にした数式に 俺はいつの間にか没頭していた。
「・・かい・・・オイ!・・・ 海! 」
ふと声のするほうを見ると、いつの間にか 晃が隣に座り込んでいた。
「あっ終わったのか?」
開いていた数学書を元に戻し、動揺を気取られないように頭を掻いた。
「かれこれ三十分待ってるんだけど。」
「えっ !?」
「相変わらずだな。お前は。
かけるも、没頭し始めたら周りが見えなくなって困ったもんだったからな。」
カラカラカラと高校時代と同じように笑った晃が 「行こうぜ」と海を部屋に連れて行った。
コンビニの上の階は学生マンションらしく、全ての部屋がワンルームらしい。
無機質などシルバーのドアを開けると、部屋には無造作に洋服やら漫画雑誌が放ったらかしになっている。晃は昔から整理整頓が苦手だったんだ。
「へへへ悪いな?汚くて。 判ってたら掃除しておいたんだけどさ。」言い訳がましく話す晃に、ブッと吹き出してしまった。
「変わってないな?相変わらずです何だか嬉しい」
それは本当の思い。
変わらずにいる人間が居てるだけで、何だか涙が出そうなほど嬉しい。
「ビールにするか?それとも珈琲か?」
海の珈琲好きを覚えているのか
「ああ、珈琲が良い」
そう言うと、晃は棚から珈琲豆をミルに入れガリガリと掻き、珈琲メーカーにセットした。
そうだった。コイツも無類の珈琲好きだったんだ。
「相変わらずだな」
同じ言葉を繰り返す
「俺 酒が苦手だからさ、珈琲だけは妥協したくないんだ
海は酒もザルだから良いけどさ!」
暫くすると、珈琲の良い香りが立ちこめ晃が白いマグカップに並々と注いだ。
晃がベットに 俺が一つしかない椅子に腰掛け熱々の珈琲を手にした。
「そう言えば、あの夏の旅行だよ。あの時、お前がずぶ濡れになって帰ってきた時だよ。孝之が潰れちゃってさ、声を掛けた女の子達は怒って帰っちゃうし、お前は帰ってこないし、翔は狸寝入りしてるし、最悪だったよ。お前と翔の顔が必要だったのにさ。
でも、あの夏は楽しかったよなぁ? 俺達、中学から一緒だったけど、あんな風に海に遊びに行くなんて無かったからなぁ。勉強ばっかでさ。 特に翔なんて、大病院の跡取だろ?親からのプレッシャーは並大抵のもんじゃなかったはずだし。 だから誘った時、翔が乗るなんて思わなかったんだぜ?」
そうだ。あの旅行は、本当に楽しかった。
俺にとっても、初めての旅行。
一年の夏休みは、学校に隠れてバイトをしていた。少しでも、母親の負担をやわらげたかったからだ。
高校の学費は、特待生だった為免除されていた。しかし、寮費などの生活費は母親に頼らなければいけない。父親を幼い頃に亡くした俺にとって、たった一人の肉親である母の存在は何者にも変えがたい存在だった。 だから、少しでも母を助けたかったし、母に楽をさせたかった。
医者になることを決めたのだって、半分は金儲けの為。翔のように、人の命を助けたいというような崇高な精神ではなかったんだ。
「海。大学行ってるんだよな?
他の学部の奴に聞いても、見かけた事が無いって言うし、連絡出来ないし、みんな心配してたんだぞ」
晃は早稲田の教育学部に入った。
仲の良かったメンバーの殆どが、都内の大学に通っている筈だ
「一度も行ってない。辞めるつもりだ。」
「何でだよ!まだ辞めてないんだろ?だったら行けば良いじゃないか?」
「お袋が諦めてないだけなんだよ。 俺はとうに行くつもりはないんだから。」
「何でだよ?何で お前まで・・・
翔の分までお前が頑張らないといけないんじゃないか?
翔の夢を叶えるのはお前しか出来ないんだから…」
晃が怖いほどの剣幕で訴えてくる。
でも・・・もう・・・
それに、晃だって俺がしたことを知ったら、きっと・・・
此処まで来て・・まだ友達に良い顔をしたいのか・・・
・・最悪だな・・
「もう 無理だ!」
「まだ、翔の自殺を自分のせいだと思ってるのか? お前は何にも悪くないんだ。誰のせいでも無く翔は自分に負けただけなんだ。
頼むから、翔の死から立ち直ってくれよ?」
「俺のせいなんだよ。俺があの時・・あんな事・・・」
サッと晃の顔が変わった
「俺は・・俺は・・あの時・・・かけるに・・・」
俺は頭を抱えてうずくまってしまった。
「何かあったのか?あの日、二人の間に何かあったのか?」
その沈黙は、俺が費やしてきた三年間に匹敵する長さのようだ
「お前が合格したのは悪いことじゃないんだぞ。」
晃の手が、海の頭に触れ、ポンポンと慈しむように叩いた。
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「近くなんだから、ちょくちょく逢おうぜ。な?
海。 大学行けよ? もう、お前の人生を歩けよ?なっ?」
帰り際に晃の言った言葉
俺の人生
そんなもの 有るんだろうか?
生きるわけでもなく、死ぬことも出来ずにもがいている
晃のマンションを出ると、眩しいくらいの日差しが降り注いでいた。
昼間の明るさは俺には辛い。
深海のような闇の中に生きている俺は、深海魚のように海の底で漂っているだけ・・
昔、匠が妹へのプレゼントだと言って持っていた「人魚姫」の人魚のように明るい外の世界に夢をもてるのだろうか?