Chapter1④
4.1
テラフォーミングにより、豊かな自然が育まれた火星。
北半球は、深い青が一面を覆う『ユートピア海洋』が広がり、その一部にはエメラルドの色合いに酷似した碧い海『クリュセ海域』、地表から流れた赤い錆により変色した『アマゾニス紅海』がある。
その北半球中央から南半球全域に渡り、唯一にして最大の大陸『シドニア大陸』が存在する。
ゲーム開始時の初期地点は、大陸の最北端。
そこから南東に下ると、『マールスの跡地』がある。
惑星開拓者の始祖『マールス』がテラフォーミング後に築いた町なのだが、モンスターの侵攻により滅びたため、今は跡地と呼ばれている。
クリュセ海域に面し、碧い海と緑の木々に囲まれた跡地。
廃墟と化している石造りの建造物が建ち並び、正面から見える中央広場には崩れ落ちたモニュメントらしき物がある。
タクマとアサミは道中、モンスターとの戦闘を幾度か経験しながら、この跡地へと辿り着いた。
「着いたはいいけど、流石に静かだな」
「な〜んか不気味ですねぇ」
仮想現実内の時刻は、午後の十一時。
星の輝きが天然の照明となり、跡地を照らす。
所々、砕けた石畳の通りを進み中央広場へとやってきたタクマとアサミ。
「ここにはぁプレイヤーいないんですかねぇ?」
アサミは辺りを見回しながら聞いてくる。
「いや、居るみたいだな」
タクマはそう答えると、広場を抜け跡地の北側へと向かう。
「なにか〜わかったんですぅ?」
「北側の廃墟の奥を見てみろよ、煙が上がってんだろ?」
海に面する北側で、僅かに煙が上がっているのが見える。
「ん〜? ほんとだぁ」
アサミは背伸びをしながら遠くを見て、煙に気づく。
タクマは、それを焚き火による煙ではないかと予想したようだ。
北側の通りを抜けると崖になっており、崖下には大きな木造の建物が幾つもあった。
木造の建物群は、朽ち果て所々崩れてはいるが、同じような造りをしている。
タクマとアサミは石造りの階段を下りて、一番近い建物へ向かう。
タクマの予想は的中した。
建物の正面には焚き火が起こしてある。その焚き火の傍まで近寄り、建物内を見渡すと、そこには多数のプレイヤーたちが息を潜めていた。
身を隠すように瓦礫の陰に座る者や、床に横たわる無気力な者。
こちらを見ても、誰一人として反応は無い。この場に居る五十人程のプレイヤーが同じ様子だ。
「おや? これは珍しいお客さんだね」
突然、建物の脇から一人の男性が姿を現わす。
「あれ? 君たち、初心者?」
「あんたは?」
「ああ、ごめんごめん! 僕はサジ」
男性は軽い口調で答えると、タクマたちに歩み寄ってきた。
「俺はタクマ。こいつはアサミだ」
「ど〜もで〜す」
タクマも名乗り、男性の様子を伺う。
目尻の下がった眼に白い肌。長い金髪ヘアを後ろで束ねている。
細身の長身に銀の装飾を施した青い服を着ている。
「さっきの質問だけど、俺たちが初心者だとよくわかったな?」
「それはね、君たちが『行動している初期装備のプレイヤー』だからだよ」
タクマの質問に対するサジの答えは、すぐには理解出来なかった。
「詳しく話すよ。こっちへどうぞ」
サジは建物の中へと案内する。
案内された部屋は、ランタンの明かりで包まれていた。
サジは、タクマとアサミに緑のマグカップを差し出し、ココアを注ぐ。
「先に聞くけど、現在このゲームはログアウトが出来ないって知ってる?」
サジの質問は当然だ。PPOの状況を知っていれば、普通は新しくログインしてくる者はいない。
「ああ、知ってるよ」
「それなら、いったいどうして?」
益々、疑問は膨らむだろうな、とタクマは思う。
「ログインしたのは人を探すためだ。ログアウト出来ずにこちらにガチで閉じ込められているみたいでな」
「人探しか、目的まで珍しいね」
サジは笑いながら言う。
「さっきの話に戻るけど、僕らは現実世界に戻れずに二週間以上経ってる。だから、個人差はあるけどプレイを続けてる人たちは、初期装備を既に使ってないんだ」
「この建物にいるプレイヤーはほとんど初期装備だったぜ?」
「うん。彼らは初期装備のままゲームプレイを放棄し、行動していないプレイヤーたちなんだ」
これでタクマは理解した。
いまだに初期装備でプレイを放棄して行動を辞めていない人間。それは、新しくログインしてきた初心者だということ。
「僕が君たちを初心者だと判断したのは、そんな理由だよ」
「なるほどね、それで他のプレイヤーたちはどうしてるんだ?」
タクマの質問にサジは顔を曇らせる。
しばしの沈黙の後、サジは重い口を開いた。
4.2
サジが語る、プレイヤーたちの二週間。
PPOの正式サービスが開始され、ゲーム開始時の初期地点やマールスの跡地には、数多くのプレイヤーが溢れていた。
皆が仮想空間に描かれた火星の光景を眺め、そこから始まる冒険に心を躍らせるようだった。
しかし、一部のプレイヤーは事の異変にすぐに気づく。
メニューウィンドウを開き、パネルのログアウトボタンを選択しても、意識は現実世界に戻らなかった。
ログアウトが出来ないという事態は、プレイヤー間で伝染的に広まり、同時に焦燥や不安も拡散していく。
やがて仮想現実内には、大きな混乱の渦が巻き起こった。
数日の時間を経て、混乱は収束を始めた。
泣き叫び、喚き散らすプレイヤーも落ち着きを取り戻し、状況の変化を待った。
「システムの不具合なら、いつかは復旧するだろう」
「運営に報告メールを送ったから対処するだろう」
「家族が外からゲームの接続を切るだろう」
様々な憶測が飛び交ったが、答えは出ない。
ログアウト不可、運営や外部との連絡は途絶えたまま、一週間が過ぎていた。
二週目に入り、プレイヤーたちには二通りの変化が現れ始めた。
一方は、絶望に打ちひしがれ、歩みを止めた。
現実世界に戻れず、無気力に沈む者。
他者と関わらず、鬱ぎ込む者。
仮想現実内にあるはずもない出口を求め、彷徨う者。
もう一方は、現状を受けとめ、歩みを再開する。
探索、生産により居場所を手にする者。
組織を作り、他者と寄り添う者。
ゲームを攻略するため、旅立つ者。
明暗分かれる形となったが、仮想現実内に閉じ込められた三万人のプレイヤーは火星で生きている。
いつか現実へ帰還することを願って……。
現在に至る過程を聞いたタクマは、建物内の無気力に俯く彼らに視線を向ける。
「連中は、歩みを止めた方ってわけか」
「そうだね。けれど、彼らの方が普通かもしれない。この状況でゲームを進めるのは、過酷なことだよ」
サジはそう言うと、飲み干した赤いマグカップに新しいココアを注ぐ。
「歩みを再開した多数のプレイヤーは、南のタルシス地方へ移動したよ。あそこには、プレイヤータウンがあるからね」
PPOの世界は、『開拓』をテーマとしているため、ゲーム特有のNPCが存在しない。
プレイヤーは、自分たちで都市や町を運営、管理していく。
そして、その都市や町には二つの種類が存在する。
一、プレイヤータウン
ゲームスタート時点から都市や町としての機能を有し、住居や工房などの施設が現存している。
プレイヤーは、住居を借りたり工房を利用する権利があり、最も拠点活動の容易な場所である。
しかし、都市や町の所有権はPPOに依存するので、施設利用料の支払いが必要となる。
二、跡地
ゲームスタート時点では、モンスターにより滅んだとされる都市や町の跡地。
プレイヤーによって復興することが可能であり、住居や工房などの施設を新たに建築する必要がある。
復興は、一定数の人数が在籍する組織が行わなければならないが、その場所の所有権は復興した組織に委ねられる。
『マールスの跡地』もこれに該当する。
これらの条件から、歩みを再開した者の大多数が、プレイヤータウンへ移動したのは必然だろう。
「サジさんはぁ、ど〜してここにいるんですぅ?」
ココアに夢中だったアサミが突然、話に入ってくる。
「タルシス地方の都市には、いろいろ問題があってね。三日前にこのマールスの跡地に戻ってきたんだ」
サジはテーブルの緑のマグカップを手に取り、ココアを飲もうとするとが、アサミはそれを慌てて制止する。
「サジさ〜ん!それ、タクマさんのマグ〜」
「え? あ、すいません! うっかり」
「あぁ、別にいいわ。甘いのガチで苦手だしな」
サジとアサミは苦笑し、僅かに場の空気は緩んだ。
「ところでこっちも聞いていいかな?」
先程から、タクマたちの質問ばかりだった。当然、サジも聞きたいことはあるだろう。
「外部の情報だろ?」
「うん。現実世界ではどうなってるんだい?」
タクマは、PPOの事件発生からタクマたちがログインするまでのことを、要約してサジに伝える。
「そうか……外部からも手が出せないとはね」
サジはタクマの話を聞き終えると、悲観するでもなく今の状況を受け入れた。
「まあ身体が無事なら一安心かな。だからって、いつまでもゲームの中は嫌だけど」
目を擦りながらサジは言う。
時刻は深夜一時。サジの顔には、疲労の色も見える。
タクマは、今日はこれぐらいにして眠ろうと提案した。
4.3
照りつける日差しが眩しい。朝を迎えたことを実感する。
仮想現実内の火星には、現実の地球と変わらない太陽の光が注ぐ。
「おはよう、眠れたかい?」
「ああ、仮想現実で眠るのに違和感はあったけどな」
サジと言葉を交わしタクマ。アサミも起きてくる。
「おはよ〜ございまぁす」
寝惚け眼を擦りながら、アサミは挨拶する。
昨夜は、崖下の建物内に宿泊したタクマたち。
所々、崩れてはいるものの夜の冷たい風は充分に凌げた。
三人揃うと、サジは話し始めた。
「これから君たちは人探しかい?」
「そうなるな。そのためにも、タルシス地方の都市に行く必要があるか」
目的の人物を探すには、プレイヤーの密集地で情報収集するのが得策だろう。
「今のままでは危険だよ。タルシス地方はモンスターも強いし……」
サジは何かを言い淀む。
「モンスター以外に何かあるんだろ? それ」
「あそこの都市には問題があってね、初期装備で近寄るのはまずいんだ」
サジはそう話すと、メニューウィンドウを開く。
「少し時間をくれないか?君たちの装備を用意するよ」
タクマたちは、サジの申し出を受けることにした。
タクマは、PPOの『生産』に関して思い返す。
『生産』とは、小さい物なら装備品や消耗品、大きい物なら居住用建築物などを製作、加工する機能だ。
メニューウィンドウから利用できる機能だが、装備品や消耗品は工房で製作、加工することでより強力な物となる。
一から物を作る場合は、製作。
製作する物に対応した『製作書』と呼ばれるアイテムと、材料となる『素材アイテム』が必要になる。
また、プレイヤーの『製作技術』というステータスが作用するため、『製作技術』のレベルによって製作できる物とできない物がある。このレベルは製作作業を行うことで上昇する。
既にある物を変化させるのは、加工。
加工するためには『加工アイテム』が必要になる。
製作同様、プレイヤーの『加工技術』というステータスが作用する。『加工技術』のレベルが高くなると加工の幅が広がる。
サジは、メニューウィンドウのパネルから生産、製作、製作書の順に選択していく。
パネルを操作すると、サジの眼前にメニューとは別の大きなパネルが展開された。
「デザインは、こっちのパネルを使うんだよ」
サジはそう言うと、慣れた手つきでパネルをなぞる。
パネルには製作書アイテムの効果で、型が描かれており、そこに装飾や模様を足していく。
デザインが終わると、パネルには装備品の外見や必要な素材が表示される。
【名:鉄の軽鎧 種:胴】
【必要素材:鉄鉱石5、布地1】
【製作技術レベル:7〜】
サジは、再びメニューウィンドウのパネルへ手を伸ばし、素材アイテムを選択。装備作製のボタンを押す。
次の瞬間、パネルに表示されていた軽鎧がタクマたちの前に具現化する。
「おぉ〜! な〜んかすごいぃ!」
アサミはその現象に驚き、興奮した。
「ここからもう一手間かけるよ」
サジは、アサミの様子を面白がりながら次の工程に入る。
メニューウィンドウのパネルから、生産、加工の順に選択。
いくつかの操作を経て、加工処理のボタンを押す。
すると、先程の軽鎧は光に包まれ、新しい姿をタクマたちに晒す。
鉄の鈍色だった軽鎧は、純白となり、肩や胸元の部分に宝石が散りばめられている。
「完成だよ。加工すると装備品の名前を自由に設定できるけど、どうする?」
「へぇ、任せるわ」
タクマはサジにそう答え、完成した軽鎧を眺める。
「ところで、君たちの探しているプレイヤーはどんな人?」
サジは別の装備品の製作を始めながら、聞いてくる。
「俺たちが探してるのは、PPOの開発主要メンバーだ。テストプレイヤーとしてログインしているみたいでな」
タクマが答えるとサジは一瞬、パネルを操作する手が止まる。
「どうかしたか?」
「え? ああ、いや。ちょっとデザインを思案してて」
サジはそう言うと、再びパネルの操作を始めた。
「名前や外見も違う仮想現実内で、人探しは難しくないかい?」
サジの言う通りだ。何かしらの特徴で判断するか、当人に直接聞いて回るしかない。
「そうだな、ガチで無茶振りすぎて笑えねぇわ。まあ地道に探すしかないんだよな」
「ですよねぇ〜」
タクマとアサミは顔を見合わせ、溜息を漏らす。