Chapter1③
3.1
ログイン当日、午前十時。
拓篤と麻美、瀬良、宮野、海堂の五人は、瀬良総合病院の病室に集まった。
瀬良が手配した病室は、十二階の入院患者用の個室だ。
窓からは市街を眺望でき、大型テレビや冷蔵庫、ホームシアター機器などが設置されている。
部屋の中央には、個室ながら拓篤と麻美のために二つのベッドが置かれ、その周りをPPOにログインするためのパソコンや生命維持装置の機材が所狭しと並んでいた。
PPO内部捜査のため、パソコンとヘッドマウントディスプレイを接続し、ログイン準備を進める。
拓篤と麻美は、各々のUSBメモリをヘッドマウントディスプレイに挿し込み、病室のベッドに横たわった。
「外部との連絡手段は理解したかい?」
瀬良に問われ、拓篤は先ほどの話を思い返す。
現在、PPOでは仮想現実内と外部の通信は、遮断されてしまっている。
そこで、海堂はバックアップデータを用いて、外部との連絡手段を構築した。
本来、プレイヤーがログアウトする際に自動でゲームデータをサーバーに保存するのだが、PPOでは、それとは別にバックアップサーバーにデータを保存することができる。
このシステムを応用し、拓篤と麻美が内部捜査で知り得た情報を、任意でバックアップサーバーに書き込むことができるようにした。
瀬良や海堂たちは、バックアップサーバーにアクセスすることで、仮想現実内の拓篤たちが収集した情報を読み取ることができる。
現時点では、仮想現実側からの一方的な報告しか出来ないが充分だ。
「大丈夫だ。定期的にバックアップサーバーに報告を入れるわ」
「先ぱぁい、お得意の報告書ですね〜」
相変わらず、緊張感のない麻美の言葉を拓篤は無視した。
「開発メンバー七名の詳細データはどうだい?」
「あぁ……たぶん問題ない」
プレイヤーは、名前はキャラクター名、外見は加工可能なアバター。
該当の人物か判断するには、本名や出身地などのデータが必要である。
昨晩、七名の個人データを拓篤は頭に叩き込んでいた。
「よし。では始めようか。周防、渡部、頼んだよ」
瀬良の言葉を受け、拓篤たちはヘッドマウントディスプレイのログインボタンを押す。
拓篤は自然と落ち着いていた。
現実に帰還できなくなる恐怖や不安よりも、与えられた任務を遂行しようとする強い気概が勝っているのだろう。
瀬良の無茶ぶりには慣れてんだ。やってやるさ。
拓篤は、心の中でその決意を言葉にした。
3.2
暗闇と沈黙だけの空間に、拓篤は存在した。
眠っているのに、頭だけが冴えてるような感覚。
やがて、目の前の視界がゆっくりと開けていく。
辿り着いたそこは、一面を赤く染める平野だった。
設定画集で目にした、火星の地表の色。
錆の混ざる赤土で覆われた大地は、一歩踏み出すと、現実と遜色ない硬さを足裏に伝えてくる。
「かなりのクオリティだな」
拓篤は、目の前の光景に感嘆の呟きを漏らす。
空に広がる夜の色。無数の星の輝き。肌を打つ冷たい風。
仕事柄、VR関連の技術に触れることは数多くあるが、仮想空間にダイブするのは久しぶりの拓篤。
体感するPPOの仮想空間は、今まで経験したことがないリアリティに溢れていた。
「見惚れている場合じゃなかったな」
拓篤は早速、仮想空間内での自身の身体を適度に動かしてみる。
全身写真から作成したこのアバターは、現実と変わりなく動かすことができた。特に加工せずに、自身の姿をアバターに反映させたので違和感はない。
拓篤が選択した職業は『聖騎士』、分類は『タンク』に属する。
他の職業に比べ、高いHPと防御力を誇り、敵対心を制御する特殊技を多数持つ。
その反面、敏捷値や魔力値というステータスが低く、魔法が扱えないという短所がある。
装備できる武器は、両手剣、両手斧、片手斧。両手持ちの武器を装備していなければ盾も装備可能だ。
PPO内のキャラクターには、自身の体格や運動能力に関係なく、一定のステータスが与えられている。
プレイヤーの生命力を示すHP、魔力を示すMP、攻撃力、防御力、敏捷値、魔力値、そしてそれらの総合的な個体能力を示すLV。
ログインしたばかりの拓篤は初期値のLV1だ。
拓篤は初期装備として選択した、片手斧と円盾を確認する。
片手斧は、木製の柄に半月状の刃を取り付けた、小型のシンプルな物。
武器には、攻撃力以外に重量という個別のステータスが付与されているが、それがどれほどの影響をもたらすのか、現時点ではわからない。
円盾は、円形の直径三十センチの盾で中心部分に持ち手が備えられている。
こちらは防具として扱われるが、ステータスには防御力と何故か攻撃力の値が設定してある。
「あちゃー、こりゃ軽率だったわ」
拓篤は独りごちる。
戦闘の概念やシステムは、資料で眼を通していた。
しかし、装備品に関してはどの職業が何を装備できるか、その点しか確認していない。
武器の重量、盾に付与された攻撃力、それらの謎は、この後に起きた出来事で解かれた。
不意に向けられた敵意に、拓篤は慌てて振り返る。
「グルルゥ」
そこには低い唸り声を発し、こちらを威嚇する狼が二頭。
それに目を向けた瞬間、拓篤の視界に狼のデータが映し出された。
【名:ウォルフ 種:小型牙獣 LV: 2】
名前の下には、敵の生命力を示すHPゲージが表示されている。
姿形こそ狼のものではあるが、これは紛れもなくモンスターだ。
艶のある黒い毛並みに、四肢の先には鋭く尖った爪が生えている。
瞳の無い両眼は、無機質な白い石にしか見えなかった。
「狙われてんのか? 俺は」
拓篤は即座に武器を構え、戦闘態勢に入る。
PPOの世界観には、人類の宇宙進出後、外宇宙から到来した『モンスター』の存在が設定されている。
今、対峙している狼もそのモンスターの一種だ。
設定画集を見る限り、ゲームに登場するモンスターは、ファンタジーの世界に存在するものと大差はない。
戦闘に入ることで、視界に映し出されたものは、もう一つあった。
自分自身の生命力と魔力を示す、HPゲージ、MPゲージである。
これらのゲージは、生命力や魔力の残量を表す棒状グラフのようなもので、生命力の残量がゼロになれば死を迎える。
仮想現実内での死は、定められた地点からの再起へと繋がるため現実世界の死とは別物だが、体験するつもりはない。
「じゃあ試してみっか。どんなもんかな」
拓篤はウォルフに向かって踏み出す。
次の瞬間、ウォルフの一頭が前脚に光る鋭い爪を突き出して、拓篤へ飛びかかる。
即座に左側に躱し、片手斧を振るう。ーーはずだったが、拓篤は躱しきれずにウォルフの突き出した前脚の爪を右肩に受けてしまう。
「っ!?」
僅かではあるが、刺すような痛みが右肩に走った。
続けて、もう一頭のウォルフが襲いかかってくるが、今度はその突進を左手に持った円盾で正面から受ける。
円盾に衝突し、攻撃を防がれたウォルフは飛び退る。
拓篤は、その動きを視界に捉えながら、先に飛びかかってきたウォルフに片手斧を振り下ろす。
斧はウォルフの前足を裂くが、致命傷には至らなかった。
今の一連の動作で、拓篤はいくつかの確認をしていた。
まず回避行動について。ウォルフの動きはそれほど速くはない。故に本来の拓篤なら、ウォルフの爪を躱せるはずだった。
しかし、それを躱すことが出来なかった要因は、キャラクターのステータスだ。
敵の攻撃を躱すには、敏捷値というステータスが作用する。拓篤の職業『聖騎士』は、その敏捷値が極めて低い。
そのため、頭で反応はできても身体がその動作に追いつけなかったのだ。
次に、円盾による防御行動。
こちらは、咄嗟の反応でも拓篤の身体は問題なく動いた。それは、防御行動に敏捷値は作用しないということ。
最後に攻撃の動作。先程、ウォルフの首を狙ったはずが、斧を振り下ろすのが遅く、刃が触れたのは前足だった。
回避や防御同様、攻撃にも何かのステータスが作用していると考えられる。
それを確認するため、拓篤は次の動作を決めた。
「グルルァァ」
二頭のウォルフは唸るように吠え、開いた口から牙が剥き出しになる。
一頭は左へ、もう一頭は右に。拓篤を挟むように位置取り、咬みつこうと突進を仕掛けてくる。
「このっ!」
拓篤は迷わず左側へと飛び出し、円盾で力任せにウォルフを殴りつけた。左手に重い感触を受けつつ、振り抜く。
ウォルフは盾による殴打で、激しく弾き飛ばされる。
「もう一丁!」
左のウォルフを弾き飛ばした後、身体を捻りながら右のウォルフに向けて斧を振るう。ーー突進してきたウォルフは躱すことができず、首元から裂かれ、唸り声と共に絶命した。
二頭のウォルフは同時に死を迎え、その身体は霧散し、後には何も残らなかった。
左側の、円盾で殴りつけたウォルフも倒せたことから、二つの事実に拓篤は気づく。
一つは、武器の重量について。
左手の円盾も右手の片手斧も、同じ様に力任せに振り抜いたが、明らかに円盾を振り抜く方が速かった。
それは、重量というステータスが付与されていないからだろう。
重量の値が高い程、武器を振るう速度が遅くなり、延いては敵への命中精度に関わる。拓篤はそう推察した。
もう一つは、盾に攻撃力が付与されている理由。
盾には、『盾技』という特殊技が存在する。敵の行動を阻害したり、盾による攻撃技を放つものだ。
拓篤は、その特殊技があるために、盾にも攻撃力が付与されていると考えたが、それ以上の発見があった。
盾を用いての殴打。その行動にもダメージ判定が存在したのだ。
「今ので、いろいろ掴めたな」
斯くして、拓篤の初めての戦闘は終了した。
3.3
「あ〜!先ぱぁい、はっけ〜ん」
無意味に語尾を延ばし、間延びする口調。麻美だ。
初戦闘を終えたところで、拓篤と麻美は再会する。
麻美のアバターは、ある一点を除いて現実と変わりない。
その一点とは、髪の色だ。何故か痛々しい程に桃色となっていた。
上下一続きの裾の長い服を着用している。初期装備の布のローブだろう。
「なんだよ、その髪色は?」
拓篤は苦々しい顔で尋ねる。
「えへへ〜、可愛くないですかぁ?現実じゃ〜できないような色にしたくてぇ」
嬉々として答える麻美に、拓篤は溜息が漏れた。
「お〜ぷん〜」
普段と変わらない呑気な様子の麻美は、メニューウィンドウを開く。
仮想空間内では、いくつかのキーワードを発することで、特定のプログラムが働く。
例えば、「オープン」なら、自身のメニューウィンドウが開かれる。
「先ぱぁい、パーティー申請しましたよぉ」
「はいよ、オープン」
目の前の空間に、タブレット端末の液晶画面と同程度のパネルが現れた。
半透明のパネルは、指で触れることにより操作可能で、ここから様々な機能にアクセスできる。
拓篤がパーティー申請を受諾すると、戦闘状態の時と同じく、視界に麻美のデータが表示された。
【名:アサミ 職:治癒者 LV:2】
キャラクター名には、平仮名、カタカナ、漢字、アルファベットなど様々に使えたが、拓篤は『タクマ』、麻美は『アサミ』と現実世界と同一にしている。
プレイヤーの総合的な個体能力を示す、LVの数値が2に上がっている。
初期値は1なので、アサミは既にモンスターとの戦闘を経験しているのだろう。
「なぁ治癒者って、ガチでどう戦うんだ?」
「杖で〜ボッコボコにしましたぁ」
タクマの質問に、実年齢より幼く見える彼女は可愛らしい笑顔で答えた。
「……そ…そうか」
タクマは、それ以上の言葉を失う。
試行錯誤の戦闘を経験した自分と比較し、その言葉はあまりに軽く聞こえた。
タクマとアサミはパーティーを結成し、ゲーム開始時の初期地点から南東に向かって歩き出す。
火星の夜は、現実の地球と異なり想像以上に明るい。
星の輝きが強く、周囲を充分に見渡せる程だ。
目指すは最初の目的地、『マールスの跡地』だ。