Chapter1②
2.1
拓篤 サイドーーログイン四十時間前。
自宅マンションへと帰ってきた拓篤は、二人掛けの黒いソファーに座り、鞄からタブレット端末を取り出す。
明後日からのPPO内部捜査に向け、ゲーム資料に目を通さねばならない。
「まずは、導入されているVR技術をチェックすっか」
タブレット端末の電源を入れ、ファイルを選択した。
【Pioneer of Planet OnlineのVR技術に関する記述】
【PPOの世界は、サーバー内に構築した仮想現実で再現され、プレイヤーの脳にヘッドマウントディスプレイを通して、情報を送信する。
映像、音声、香味、触感の全ての情報を受信するプレイヤーの脳には、著しい負荷を与えるため、ヘッドマウントディスプレイによるプレイヤーの催眠状態が必要。
催眠状態に移行すると、プレイヤーは仮想現実へ意識を潜行させ、PPOの世界を体験することができる】
「流行りの催眠潜行型か。最近のVRゲームは、これが主流だしな」
現在の国内VRゲームと技術的には変わりないと、拓篤は判断し、次の項目にさっさと移る。
【ゲーム概要に関する記述】
【宇宙進出を果たした人類は、火星や金星などの惑星をテラフォーミングし、人類居住域の拡大を計画する。
しかし、テラフォーミング計画の最中、外宇宙から訪れた生命体『モンスター』の攻撃により、人類の80%が死滅した。
生き残った人類は、地球や月の都市を奪われ、テラフォーミングが継続する火星へと避難を余儀なくされる。
彼らはやがて、惑星開拓者として火星に生活圏を築いていく】
「これがゲームの世界観ってやつだな。実際、何をやればいいんだ?」
タクマの疑問は、その後の資料に記載されていた。
プレイヤーは、惑星開拓者の一人として火星を舞台に冒険をする。
その主な行動指針は、『探索』『生産』『交流』『戦闘』の四種。
『探索』は、フィールドやダンジョンの探索。
『生産』は、装備品や消耗品の作成。
『交流』は、パーティーやギルドの結成。
『戦闘』は、モンスターやレイドボスの討伐。
パイオニアエンジンは、それらの行動を分析し、新たな機能やコンテンツを自動で構築していく。
「世界観はSF混じりのファンタジー。肝心のパイオニアエンジンは詳細が載ってないときた」
宮野や海堂が知らないのだ。当然だと拓篤は笑う。
資料には、仮想現実内の風景を示す、設定画集もあった。
赤い地表に覆われた火星。テラフォーミングの結果、地球と変わりない緑の生い茂る惑星となり、海や湖といった水もあるようだ。
他の画像には、町や建物も描かれている。
石畳の通りに並ぶ煉瓦の住居や、白い石造りの建物。
鍛冶職人や裁縫職人が利用する工房などの風景。
ファンタジーRPGなどの、定番とも言えるゲーム風景だ。
一頻り設定画集に目を通し、タブレット端末をリビングのテーブルに置くと、拓篤は冷蔵庫へと向かった。
飲料水を取り出し、グラスへと注ぐ。
「ガチで厄介な事になったな。……VRゲームなんて、ガキの頃以来だわ」
タクマは、憂鬱な気分を切り替えるため、グラスへ注いだ飲料水を一気に飲み干し、再びソファーへと戻る。
タブレット端末に表示された、ゲーム概要のファイルを閉じて、別の項目のファイルを選択する拓篤。
「ふう、次は戦闘システムだな」
PPOはVRMMORPGだ。他のプレイヤーとパーティーを組み、モンスターやレイドボスとの戦闘も醍醐味の一つである。
また、ロールプレイングであるため、自身の役割なども設定しなければいけない。
所謂、分類や職業などだ。
【戦闘システムに関する記述】
【PPOには、戦闘における役割として分類が三種類ある。
壁役として敵からの攻撃を引き受け反撃する、『タンク』。
武器や魔法で敵にダメージを与えていく、『アタッカー』。
後方から味方の治癒、支援を行う、『ヒーラー』。
そこからさらに、細かな能力の違いや装備できる武器によって、八種類の職業に細分化される】
【プレイヤーの攻撃方法は、武器による物理攻撃と呪文を詠唱しての魔法攻撃。それらに特殊技を組み込むことで、多彩な戦闘が可能。
特殊技とはプレイヤーが任意で発動する様々な効果を持った技であり、これには、職業毎に習得できるものと、武器種毎に習得できるものの二種類がある】
「戦えなきゃやられちまうからな」
拓篤は、ログアウト不可の前提でプレイする以上、内部捜査中にゲーム上の戦闘行為は必須になると予測していた。
明日の午後から、ログイン用のキャラクター作成があるため、今夜のうちにキャラクリエイトの方向性は決めたいと意気込む拓篤。
そうして、真夜中まで拓篤とタブレット端末の睨めっこは続いた。
2.2
麻美 サイドーーログイン二十三時間前。
現在、捜査五課の別室では麻美がキャラクター作成を始めている。
PPOのキャラクリエイトでは、自身の全身写真をフィードバックし、身長や体重などの身体データを入力することで、現在の自分に最も近いアバターを作成することができる。
さらに、そこからアバターを加工することも可能で、麻美はこの方法でキャラクリエイトを行っていた。
「ん〜、髪の色どぉしようかなぁ」
普段と変わらない、間延びした口調で悩む麻美に同席している宮野は声をかける。
「渡部さん、怖くないんですか?」
麻美たちの捜査方法は、現実に帰還できず仮想現実から脱出することができない前提である。
普通の人間なら、断固拒否するものだろう。
「大丈夫ですよ〜! 先ぱぁいがいますから〜」
モニターに映る自身のアバターを加工しながら、麻美は答える。
「い〜っつも不機嫌そうな顔してますけど、先ぱぁいなら、なんとかしちゃうと思いますよぉ」
麻美の顔に不安の色は感じられなかった。
麻美は、アバターの加工が終わり、次にキャラクターの性能を選択していく。
麻美が選択したのは、分類『ヒーラー』、職業『治癒者』。
ヒーラーという分類は、性能面では決して扱いやすくはない。
自身の生命力を示すHPの総量が低く設定されており、攻撃能力も乏しいからだ。
しかし、パーティー戦での重要性は高く、RPGに於いてヒーラー不在の戦闘は困難とされる。
何故なら、ヒーラーの治癒者には魔法の一種、『治癒術』によって他者の傷を癒す能力がある。ゲーム上ではHP、状態異常の回復という効果だ。
この回復がパーティー内に有るのか無いのかでは、継戦能力に雲泥の差が出る。
また、治癒者は自身や味方を敵の攻撃から守る術、『防衛』という特殊技も習得できるのが大きい。
「治癒者を選択したんですね」
モニターの表示を見て、宮野が言う。
「あの〜、聞いていいですかぁ?」
麻美は、何か気になることがある様子で質問する。
「なんでしょう?」
「うちら超TUEEEE! みたいなチートとかないんですかぁ?」
その質問に、一瞬、呆気にとられた宮野だったがすぐに答えてくれた。
「えーっと、それは難しいですね。所謂、不正プログラムとか改造データを使うってことですよね?
PPOのサーバーはプロテクトが厳重ですし、その類のものを使うとエラーを検知して、該当アカウントのアクセスを停止してしまうんです」
「そっかぁ、やっぱダメですかぁ」
麻美は半ば予想通りの返答だったにも拘らず、落胆する。
その様子を見て、宮野は申し訳なくなり、居心地の悪さを感じたようだ。
一時間程して、麻美のキャラクリエイトは終了した。
「お疲れ様でした」
宮野は労いの言葉をかけ、USBメモリを麻美に渡す。
「作成したキャラクターのデータは、それに保存してありますから」
麻美は、渡されたUSBメモリを手の中で転がしながら、宮野に話しかける。
「そ〜いえばぁ、なんでこのゲームは火星が舞台なんです?」
従来のVRMMORPGは、ファンタジー要素の強い異世界を題材にしていることが多い。
しかし、PPOはファンタジーでありながら、冒険の舞台が実在する火星となっている。
この疑問に対して、宮野は知り得る限り答えた。
「PPOは『開拓』をテーマにしたゲームなんです。ですから、異世界などの先住民がいる世界ではなく、誰もいない宇宙の惑星を舞台にしたんだと聞いています」
「ほぁ〜、なるほど」
「そして、パイオニアエンジンの性能を発揮させるために、未開の惑星を『探索』する。建物や衣服、道具を『生産』する。プレイヤー同士が『交流』する。そして、プレイヤーが敵と『戦闘』する。
これらの条件に最も適していたので、MMORPGの形にしたらしいです」
「ファンタジー要素はなんでですかぁ?」
「そこはプレイヤーの多くが、今の現実に無いものをゲームに求めている、と思ったからでしょう。剣や盾を持ち、魔法を唱える。他のプレイヤーと協力して、モンスターと戦う。
在り来たりですが、MMORPGにはファンタジーが似合うんですよ」
宮野は話し終えると、哀しげな表情を見せる。
多くのプレイヤーがPPOの世界を楽しめるはずだった。しかし、それは叶わず、ログアウトできない現状を招いた。
開発に携わった一人として、彼もまた、一刻も早い解決を望んでいる。
麻美は宮野の表情から、そう感じた。
2.3
瀬良 サイドーーログイン十六時間前。
自販機コーナーで缶コーヒーを購入した瀬良は、歩いてきた廊下を引き返し、捜査五課の部屋へ戻る。
明日から始まる拓篤と麻美のPPO内部捜査の準備に励む瀬良は、今日も残業かなと、独りごちた。
「瀬良課長、いつものお客様がいらっしゃってます」
「そうですか。わかりました」
捜査五課の部屋の入り口で、声の高めな婦警にそう伝えられると、瀬良は応接室へと足を向けた。
瀬良のいる警視庁本庁舎の七階。その西側フロアは現在、捜査五課が使用している。
南側から順に捜査会議室、捜査五課の部屋、捜査五課の別室、資料室と並び、次の部屋が応接室だ。
その奥には、先ほど缶コーヒーを購入した自販機コーナーがある。
タイミング悪く、往復する形となった廊下を不満そうに歩く瀬良。
「毎日飽きずによく来ますね」
PPOの事件発生から今日まで、業務に追われて休みを取れていない瀬良は、度重なる訪問客にも不愉快そうだ。
応接室のドアを開け、中に入ると黒革のソファーに男性が座っていた。
その男性は、PPOの開発会社『レミウス』の代表取締役、赤西である。
整った口髭を蓄えた恰幅の良い容姿からは、紳士のような印象を受けるが、瀬良が部屋に入るなり、その印象とは真逆の振る舞いをした。
「瀬良さん! いったいどういうことかね!?」
赤西の怒号が応接室に響き渡る。
瀬良の挨拶も待たずに赤西は捲し立てた。
「早いとこ事件を解決してくれと頼んだのに、何故こうなる!」
「と、おっしゃいますと?」
「惚けんでくれ! あんたのとこの部下がPPOにログインするそうじゃないか! 宮野を問い詰めて聞いておる!」
瀬良の表情は普段と変わらず、赤西の怒鳴り声の前でも笑顔だ。
瀬良本人は、惚けたつもりなどないが、聞かれたので答える。
「赤西社長、それこそ事件の早期解決のために私が判断したことです。あなた方、レミウスの関係者でも柏木の行方はわからないと言いましたね? だから、我々は柏木を捜索しつつ、PPOの内部捜査も必要だと思うのですが?」
「ぐぅっ。あの男のことは知らないが、警察がさっさと見つければ事は収まるだろう? PPOの内部捜査なんて勘弁してもらいたい! これ以上、催眠状態だか植物状態だかの人間を増やされたら、わしの会社がだな……」
赤西は瀬良に不満をぶつけながらも、やがて自身の損失に対する不安や焦りを表情に露わにした。
PPOの仮想現実から帰還できず、催眠状態に陥ったプレイヤーたちは三万人。
それだけの人数が、現在は国内の医療機関で生命維持装置を取り付けられていた。無論、その費用は開発したレミウスにも負担させている。
「お言葉ですが、警察の捜索力を持ってしても柏木の行方は未だ掴めてません。こうなると、既に海外へ逃亡しているか……あるいは亡くなっている可能性もあります」
「そ、そんな……」
赤西の顔は青ざめ、先程までの勢いを失くし俯く。
まるで瀬良は、そんな赤西の姿を楽しんでいるようだ。
「赤西社長、催眠状態の患者たちを一刻も早く救えば、あなたが支払う費用は軽減できる。ここは、私のやり方を信じてください」
「し、しかしだなぁ……」
「私の父が病院を経営しているのはご存知ですね?」
「あ、ああ。有名な医者だそうだな」
「今回の生命維持装置の費用を格安にするよう、父に頼み根回ししましょう。もちろん、政府にも患者たちの医療支援は掛け合います。その代わり、PPOの内部捜査に関しては口外しないで頂きたい」
瀬良の提案を赤西は受け入れた。
応接室の窓から、都市の夜景を眺める瀬良。
瀬良の眼に赤西は映っていない。映す気もない。
瀬良という男は、利用できるものは利用し、事を成す主義の持ち主なのだろう。