Chapter2⑤
5.1
「第一、第二迎撃部隊は即時出撃! 後方支援隊は三番隊野営地にて補給線の確保だ!」
騒然とする〈バレンシアファミリー〉本部のギルドホールでは、神无が各部署へと指示を出している。
βテスト時代から今日まで、PPOをプレイしている〈バレンシアファミリー〉の精鋭たちは、慌てることなく襲撃イベントに対処している。
「僕らも転移石でマールスに戻ろう!」
「…………そうだな」
サジの提案にタクマは、逡巡しながらも答えた。
タクマが決断できずにいるのは理由がある。
初めて体験する仮想現実内の襲撃イベント。
出現したモンスターの数や規模が不明な現状で、タクマはどんな選択が正しい解答なのかわからないのだ。
眼前では、神无の指示で多数のプレイヤーたちが行動を開始している。
〈バレンシアファミリー〉ほどの大規模ギルドがこれだけ動くのだから、モンスターの勢力は侮れないのだろう。
「神无、敵の勢力はどのくらいなんだ?」
「発生規模はレベル4。モンスターの数で言えば……二百ぐらいだろうな。それらがタルシスとマールスへ分かれて進軍している。……それと呼び捨てにするな」
神无はタクマの質問に答えると、他のプレイヤーに再び指示を出す。
「半分の百ってとこか……」
マールスの跡地には百人ほどのプレイヤーがいる。
数的な問題はないが、彼らは歩みを止めていたプレイヤーだ。
戦闘経験も浅く、LVも低い。このイベントへの対処は難しいだろう。
「タクマ君? 急がないとマールスが…。みんなを避難させないと」
サジの焦りはわかる。しかし、タクマたちが戻ったところで跡地のプレイヤーたちを避難させ、イベントをやり過ごすしかない。
モンスターに蹂躙され、再び彼らが恐怖や不安から歩みを止めてしまう可能性がタクマには怖かった。
時を同じくして、ギルドホールの入り口から叫び声が聞こえてくる。
「ちょ! 急いでんだから放しなさいよ!」
叫び声の主は、美波だ。
「タクマ! サジ! ここにいるんでしょ!?」
「こんな時に何やってんだ? あいつ」
「さ、さぁ……どうしたんだろ?」
入り口で騒ぐ美波に気づく、タクマとサジ。
「いたー! あの二人に用があんの! 放し…!? ちょ、どさくさに紛れてお尻触ったでしょ!?」
美波の喚く言葉に、周囲の男性プレイヤーがあたふたしている。
美波の急いでいる様子から、一階の受付を無視し、半ば無理矢理にギルドホールへ上がってきたのだろう。
〈バレンシアファミリー〉のメンバーは、彼女に不法侵入だと言い放ち、取り抑えようとしている。
駆け寄るサジは、周囲のプレイヤーに事情を話し美波を解放してもらった。
「美波、どうしたのさ? こんな所で騒ぎを起こされたら……」
サジの言葉を遮り、美波は慌ただしく話す。
「そんなことはいいの! それよりケータが捕まっちゃったの! あいつらに」
今にも泣き出しそうな美波の表情から切迫しているのがわかる。
「ちっ……次から次へと」
あからさまに不機嫌そうなタクマは舌打ちをした。
「ケータとはタクマたちの連れか?」
不意に声をかけてきたのは神梛だ。
襲撃イベントへの対処を神无に任せ、彼女は先程までと同じ、落ち着いた様子でタクマに尋ねる。
「連れっていうか、知り合いだ。〈LOJ〉の連中に捕まったらしい。あいつら、こんな時に厄介な真似を」
「〈LOJ〉絡みね。……タクマ、私たち〈バレンシアファミリー〉はあなた方へ協力すると約束したわ。手を貸すわよ?」
神梛の申し出を聞き、タクマは思考を巡らせ、選択した。
「ケータや〈LOJ〉のことは、俺がやる。だから、マールスの跡地を助けてくれないか?」
「いいわよ。そちらは任せてちょうだい」
神梛は笑みを浮かべ、ギルドホールへと向き直る。
「神无、三番隊をマールスの救助へ」
「わかりました」
神梛の命令に従い、〈バレンシアファミリー〉に新たな指示が加えられる。
「伝令! 三番隊はマールスの跡地へ進行中の敵勢力を討伐せよ! 都市に進行中の敵勢力討伐には、第三迎撃部隊を加えろ!」
襲撃イベントに湧き上がる〈バレンシアファミリー〉。
彼らの姿を見て、サジは安堵の息を漏らす。
「彼らの力添えがあれば、マールスは大丈夫かも……」
「そういうことだ。行くぞ、サジ! 俺たちもやらねぇとな!」
タクマたちはケータを救出するため、〈バレンシアファミリー〉本部を後にした。
5.2
アサミ サイドーー
普段は平穏なマールスの跡地に、緊迫したプレイヤーたちの声が飛び交う。
「早く荷物まとめろ!」「急げ、北側の崖下だ!」
怒鳴りつけるように周囲のプレイヤーを急かす者。
怯える女性プレイヤーを避難誘導する者。
マールスの跡地は喧騒に包まれていた。
「アサミ姉! こっちこっち!」
「う〜ん……」
慌てるチナッチェはアサミに避難を促すが、彼女の返事は判然としない。
騒ぎの発端は襲撃イベントである。
狩りに出かけたプレイヤーが跡地の南西から進行するモンスターの勢力を発見し、報告に戻ったのだ。
跡地にいるプレイヤーたちは、一度このイベントを体験している。
押し寄せるモンスターに蹂躙される恐怖。それを知っているからこそ、逃げ出せないこの仮想現実に絶望したのだ。
プレイヤーたちは、跡地の北側へと避難を始めている。
崖下の造船所ならば、百人が避難し身を隠すのも容易だ。
チナッチェに半ば強引に引っ張られながらも、アサミは中央広場までやってきた。
中央広場では、凛とアインハルトがプレイヤーの避難を誘導している。
「焦らないでいいっすよー」
「大丈夫です! まだ時間はありますから!」
不安に駆られたプレイヤーたちに声をかける二人は、アサミとチナッチェに気づき、手を振り駆け寄る。
「アサミ、チナ! 探したよ!」
「そうそう! 凛ちゃんが二人がいないって言うからさ。でもまぁ良かったっす」
安堵の表情を見せる凛とアインハルトに、アサミは謝った。
「ごめんねぇ、チナとぉ農地の方を見てたんだよ〜」
「アサミ姉ったら、全然焦らないで! めっちゃ呑気なんだもん!」
アサミの隣で頬を膨らませ、怒るチナッチェ。
「見つかったんだしいいじゃん! さぁ、俺らも避難しよ」
アインハルトがそう言うと、四人は北側へと走り出した。
四人が崖下の造船所まで辿り着くと、そこには跡地に残る全てのプレイヤーが避難している。
ざわつくプレイヤーたちには、恐怖、不安、焦燥、様々な負の感情が蔓延していた。
「アインく〜ん、モンスターはぁここまで来ないのぉ?」
襲撃イベントを経験したことのないアサミは、アインハルトに尋ねる。
「流石にここまでは来ないっすね。前回も被害が出たのは南側だけだったし! まぁ一晩は騒がしくなるけど、ここならやり過ごせるっす」
アインハルトはそう答えると、メニューウィンドウを開き、時間を確認した。
時刻は正午。モンスターの進行ペースからマールスの跡地に到達するのは、午後の三時頃だろうとアインハルトは言う。
凛やチナッチェも今夜だけの我慢だと口にする。
だが、アサミは違ったようだ。
アサミだけが、このイベントを無視してやり過ごすという考えにはならなかった。
「ダメだよ〜。一晩、我慢するなんてぇ良くないよ〜! やっつけちゃおうかぁ〜」
一瞬、アサミの言葉にアインハルトたちは呆然となるが、すぐに気を取り直してアサミを説得した。
「いやいや! アサミ姉ってば」
「仕方ないっすよ。βテストの時より、規模がでかいんで対処しようがないっす」
チナッチェとアインハルトの言葉を聞いても、アサミは譲らない。
「みんなで力を合わせればぁやれると思うよ〜」
アサミは笑顔を向け、アインハルトたちに言った。
「アサミ、何か勝算あるの?」
凛は不可解そうに尋ねる。アサミの発言に何か意図があるのではと予想しているようだ。
「ん〜……たぶん〜やれるかなぁ」
アサミはそれだけ答えると、造船所の前へと踏み出した。
「みなさ〜ん! ちょっと聞いてください〜!」
アサミは普段と変わらぬ間延びした口調で、避難したプレイヤーたちに呼びかける。
「生きるのに耐えることも必要ですよねぇ。でも〜嫌なことを我慢し続けるのは辛いじゃないですかぁ〜?
だからぁ、みなさんの力を貸してくださ〜い! わたしたちの居場所を守るため、わたしはぁ戦おうと思いま〜す!」
造船所を包み込む静寂。
プレイヤーたちは誰一人、声を出さない。アサミの言葉を理解できていないようだ。
戦う? あの数のモンスターと?
誰もが疑問を抱く。無謀だろうと誰もが心の中で呟く。
互いの顔を見やり、どう反応するかを確認している。
そこにアサミの呼びかけは続く。
「みなさん、何のために立ち上がりましたぁ?何のために生きようと決めましたぁ?
現実への帰還も居場所を守ることも、耐えてちゃできませんよぉ〜! 自ら掴みとらなくちゃ〜!」
アサミの言葉に、アインハルトは震えた。凛やチナッチェは笑った。
そう彼女の言う通りだ。
襲撃イベントをやり過ごすために、一晩我慢をする。それは、ログアウトできない現状に、匙を投げていたあの頃と何も変わっていない。
それじゃあダメなんだと、逃げちゃダメなんだと、三人は自らの心を震え立たせた。
「やりましょう!! 私は逃げない!」
「アサミ姉! うちらもやるよ!」
「アサミちゃんの言う通りっす! みんなで掴み取りましょ!」
三人のアサミに応じる姿にざわつくプレイヤーたち。
戦えるのか疑心暗鬼な雰囲気を残しつつも、一人また一人と立ち上がり声を上げる。
「俺もやるぞ!」「やってみるわ!」「アサミさんに続け!」
やがて彼らの声は大きな喝采となり、彼らの表情からは恐怖や不安は取り除かれていた。
アサミの言葉は、彼らに勇気を漲らせたのだ。
「よ〜し! じゃぁやろっか〜!」
普段と変わらないアサミの笑顔や口調に、アインハルトたちも笑った。