Chapter1①
プロローグ
西暦2066年10月、日本国内に於いて未曾有の事件が発生した。
事件の発端は、一般家庭用に発売されたVRMMORPG『Pioneer of Planet Online』ーー通称、PPOと呼ばれる、仮想現実空間にダイブしてプレイするゲームである。
PPOのサービス開始と同時に、初版購入者のほぼ全てがログインし、その全員が目覚めることのない催眠状態へと移行した。
本来、ゲーム内でログアウトすることにより、プレイヤーの意識は現実へと帰還するはずだったが、二日を経過しても誰一人、帰還は確認されなかった。
ヘッドマウントディスプレイを装着したまま、ベットやソファーで眠り続けるプレイヤーたちを目にした家族や知人から、警察や病院に立て続けに通報が入る。
事態を重く見た日本政府は、非常事態宣言を発令。
警視庁は迅速に対応を開始し、事件の全容と被害者の身元を把握するため、緊急捜査本部を設置。各都道府県警と連携を図る。
また、近年増加傾向にある、VR関連の事故や事件に対応する捜査五課は、PPOの開発会社『レミウス』の関係者を任意同行し、事態の解明を急いだ。
初版購入者、およそ三万人。
それはPPOという仮想現実に閉じ込められた人数でもある。
1.1
『警視庁捜査五課』と書かれた札が吊り下げられた部屋。
広大なスペースにいくつものデスクが並び、それと同じ数のパソコンが設置されている。
部屋の隅には、何十冊ものファイルが整頓されたロッカーが立ち並び、その向かい側のドアからは、スーツ姿の男性や警官の制服に身を包んだ女性が、忙しなく部屋を出入りしていた。
2020年代半ば、VR関連の技術は企業や一般家庭に、広く普及していく。
例で挙げれば、仮想現実空間による校外学習、災害体験など教育分野での利用。
娯楽分野で言えば、音楽アーティストのライブを仮想現実空間で開催し、そのシチュエーションをVRで再生するなど。
誰もがVR技術に触れやすい時代となった。
だが、それに伴ってVR関連の事故や犯罪も発生し始め、2040年代には、それらの発生件数が十倍近くに膨れ上がっていたのだ。
警視庁はこれらの事態に対応するため、専門的知識を有する『警視庁捜査五課』を新設した。
その捜査五課の部屋で、窓際のデスクに座る男性。
彼の名は周防 拓篤。
警視庁捜査五課に所属する警察官だ。
二十三歳という若さで巡査長に昇任、現在はPPOの事件に対応している。
顔立ちは整っているが、目つきが鋭く無愛想な態度と相まって、他人からは誤解を受けやすい。
特に髪型を気にしている素振りはないが、耳の周りや襟足を刈り上げ、清潔感のある見た目は、意識しているようだ。
肌寒くなる季節のためか、白のワイシャツに黒の薄いダウンジャケットを羽織り、タブレット端末に表示されたPPOに関する捜査資料を読んでいる。
「先ぱぁい〜、捜査会議の時間ですよ〜」
不意に、彼に向かって声をかける女性。
声をかけてきたのは、渡部 麻美。
彼と同じく捜査五課の一員で、階級は巡査。
歳は彼の一つ下、二十二歳である。
まだあどけなさの残る少女のような面持ちで、見知らぬ人から見れば高校生と誤解されてもおかしくはなかった。
頭の後ろで束ねた長い髪が特徴的で、束ねた髪の毛先は腰にまで届くほどである。
こちらはタイトなビジネススーツを着用している。
「ああ、今行くわ」
気怠げに右手を上げ、短い返事をする拓篤。席を立つその所作もどこか気怠げだ。
「捜査、なにか進展あったんですかねぇ〜?」
麻美は興味なさそうに尋ねてくる。
「ないだろうな。例の設計者の行方がわからない以上、ガチでお手上げだろうよ」
拓篤はあっさりと答えた。
事件発生から一週間、捜査は停滞している。
外部からユーザーのログアウトを促すことはできず、またサーバーやヘッドマウントディスプレイを停止させてしまっては、プレイヤーの意識が現実に帰還できなくなってしまう。
実際、家族の手によりヘッドマウントディスプレイを外されたプレイヤーは、植物状態となり病院へと搬送された。
現状では、仮想現実の中に閉じ込められたと言っていいだろう。
事件原因に関しては、開発会社レミウスに設置されたPPOのメインサーバー内に存在する、ブラックボックスに起因すると推測されている。
しかし、ブラックボックスの詳細を知る開発主要メンバー七名は、テストプレイヤーとしてPPOにログインしており、現実に帰還していない。
彼ら七名以外でブラックボックスの詳細を知る、メインサーバー設計者『柏木 功』は、事件直前に行方不明となっていた。
「わたしたち、ブラックボックスの解析班に回されるんですかねぇ〜?」
「そういったことの専門だしな、俺たち捜査五課は」
拓篤は麻美の質問に答えつつ、廊下を歩く。捜査会議が開かれる会議室は、目と鼻の先だ。
事件の概要を思い返しながら、拓篤は会議室のドアを開けた。
1.2
捜査会議の内容は、やはり進展無し。
捜査員を増員して、メインサーバー設計者『柏木 功』の捜索を拡大すると指示があっただけだ。
早々に捜査会議は打ち切られたが、拓篤と麻美はその場に残るよう通達を受けていた。
「先ぱぁい、なんかぁ嫌な予感しませ〜ん?」
麻美は言葉とは裏腹に、妙な笑顔で言ってくる。
「なんで楽しそうなんだよ、お前は」
拓篤は麻美を睨みながら答えた。
捜査会議で、拓篤たち捜査五課には、何も指示が出ていない。
それが意味するのは、拓篤と麻美は捜査本部とは別の命令系統で動くことになるということだ。
「奴の厄介ごとが待ってるな」
拓篤はさりげなく呟く。
その時、会議室のドアが開き、三人の男性が入ってきた。
スーツ姿に洒落たネクタイが印象的な男性を先頭に、他の二人も続く。
「先ぱぁいが言ってた、厄介な奴が来ましたよぉ〜」
急に麻美が大きな声を出す。さらに、その発言内容は拓篤の呟きとは若干違う。
大きな声で強調し発言内容を変えたのは、拓篤への嫌がらせだろう。
会議室に先頭で入ってきたスーツ姿の男性は、拓篤に優しい口調で話しかけた。
「陰口は感心しないね、周防」
その男は、拓篤や麻美の上司だ。
捜査五課課長、瀬良 政臣。
容姿端麗で頭脳明晰、柔らかい物腰もあって、警視庁内での人気は高い。
しかし、拓篤にとっては厄介な奴だった。
時折、無茶な捜査方針を突きつけてきたり、休日返上で働くことを要求してくる。それも面白がりながら。
捜査五課が本部の人員に組み込まれなかったのは、瀬良の指示で別の捜査を進めるということ。
今回も例に漏れず、厄介ごとを持ってきているのだろう。
「俺は奴が厄介ごとを持ってくる。と言っただけだぞ」
陰口の弁解もせずに、さらっと拓篤は答えた。
麻美の嫌がらせには、慣れている様子だ。
「まぁ、構わないさ。事実、厄介ごとを持ってきたわけだしね」
瀬良は、何かを楽しむような笑みを浮かべ、話し始める。
「我々、捜査五課はPPOの事件に対して、捜査本部とは別方向の捜査を進めようと思う。その捜査にオブザーバーとして参加してもらう方を紹介するよ」
瀬良が後ろを振り向き、共に会議室に入ってきた他の二人を紹介する。
「レミウスのPPO開発チームに在籍している、宮野さんと海堂さんだ」
「宮野っていいます、よろしくお願いします」
「海堂です、この度はすいませんでした」
紹介された二人が挨拶をし、瀬良に促されて椅子に座る。
「お二人には、今後の捜査に必要な情報を提供してもらう」
瀬良はそう言うと自身も椅子に座り、捜査会議室に残る長机の一つを五人で囲む形になった。
拓篤は、急かすように瀬良に尋ねる。
「で、俺たちはどう動くんだよ?」
「周防と渡部には秘密裏にPPOへログインしてもらい、仮想現実の内部捜査を頼みたい」
一瞬、拓篤は唖然とするが、すぐに気を取り直し抗議の声を上げる。
「ログアウトできないんだろ?」
「当然だよ。そうでもなければ、事件になんてならないだろ?」
「ガチで自殺行為じゃねえか、それに秘密裏ってなんだよ? お前の独断か?」
「上層部に言っても却下されるだろうからね。この五人だけで動こうと思う」
瀬良の返す言葉に、溜息を吐く拓篤。
厄介ごとどころか、生死に関わる案件だと拓篤は呟く。
それでも瀬良は、笑顔を崩さずに続けた。
「危険は承知だが、被害者の家族が事態の解明を急いでいる。柏木の行方を追ってるだけじゃ事は進まない。かと言ってPPOにログインするなんてお偉いさんが認めない。だから、私の独断で捜査五課の君たちに頼みたい」
「瀬良かちょ〜、ブラックボックスの解析はどうなんですかぁ?」
今度は麻美が尋ねる。
「あれに関しては、専門家の方々が奮闘している。しかし、なんの成果も得ていないね」
瀬良は肩を竦めて答えながら、宮野と海堂に視線を向けた。
「僕と海堂の知ってる範囲でお答えします」
先程、紹介された宮野が困惑した顔で話し始める。
「メインサーバー内のブラックボックス部分は、僕や海堂も詳細を知らされていないんですが。あれは、ゲームシステムの根幹を為す部分で、自律制御型機能拡張エンジンと呼んでいます」
「自律制御型機能拡張エンジン?」
当然、それがどんな物かわからない拓篤は聞き返す。
「パイオニアエンジンは、ゲーム内のプレイヤーの行動を分析し、同時にゲーム内で新しい機能やコンテンツを、自動生成するエンジンです。このエンジンを用いることで、開発チームが手を加えなくても、ゲームが自動でアップデートされていくと聞いています」
「ほぁ〜、凄いですね〜、それ」
麻美は感嘆の声を漏らす。
宮野の説明を捕捉する様に、海堂が続ける。
「ですが、パイオニアエンジンのメカニズムなどは、自分たちも全くわかりません。それは、専門家の方々も同様に。あれが事件の原因なら、設計した人が解析するしか……」
そこで言葉を詰まらせる海堂。
「設計したのが柏木、そして詳細を知るのがPPOにログインしている七名の開発主要メンバーってわけか」
拓篤はそこで、瀬良の意図を理解した。
「そう。だから、周防と渡部にPPO内で七名の開発メンバーの捜索をしてもらいたい。また、幽閉状態にあるプレイヤーたちの状況確認もね」
「ログインした後、外部とコンタクトは取れねぇだろ?」
拓篤は、ログアウト不可でプレイヤーが外部との連絡も取れない現状を考え、質問する。
「それに関しては、オブザーバーのお二人に準備を頼んであるよ」
「僕たちの方で新しいプログラムを組んでいます。既存のプレイヤーは外部と連絡が取れない状態なので、新規にログインするプレイヤーに別の連絡手段を持たせようと準備しています」
宮野の表情に、先程の困惑から一転、強い意志を感じる。
開発チームに在籍していながら、パイオニアエンジンの解析に役立てなかった。
しかし、事件解決のため、自分に出来ることをやろうとする強い意志だ。
「ちなみに、ログインしている間、俺たちの身体はどうなるんだ?」
「私が預かるよ。PPOへのログインは、うちの病院で行うからね」
瀬良の実家は、設備の充実した大きな病院だ。
ログアウトできずに催眠状態となったユーザーは、事件発生から順次、医療施設へと搬送され、生命維持装置を取り付けられている。
当然、拓篤や麻美も同じ処置がされるのだろう。
「だと思ったわ」
「だが、のんびりもしていられないよ。生命維持装置の維持費は、君たちの給料から天引きだし」
拓篤は恨みがましく、瀬良を睨む。
隣では、麻美が露骨に嫌そうな顔をしている。
「冗談だよ」
瀬良は悪戯めいた笑みを浮かべ、話を続けた。
「仮想現実内での二十四時間は、現実の十二時間だそうだよ。事件からおよそ八日、プレイヤーはPPOに閉じ込められて二週間以上を体感してる」
「精神的にはぁ、辛くなってきますね〜」
麻美の言葉に拓篤も頷く。
「そうだね。いくら生命維持装置で身体を保っても、精神が病んでしまっては元も子もない。それに、ゲームサーバーからの情報を常に受け続けている脳への負荷も、懸念されているよ」
瀬良の言う通りだ。この場にいる全員がそれを理解していた。
「はぁ、わかったよ。やればいいんだろ? やれば」
「わたしもいいですよぉ〜」
拓篤は渋々、瀬良の捜査方針に従う。麻美は何故か乗り気な様子だ。
「頼もしい部下を持てて嬉しいよ」
優しく笑い瀬良は言う。
「PPO内部捜査は、明後日に開始する。周防、渡部は開始までに、ゲームに関する資料に目を通しておいてくれ。以上、解散」
瀬良の号令で、五課の捜査会議は終了した。
席を立つ拓篤は、ふと海堂へと視線を向ける。
宮野とは違い、海堂は終始申し訳なさそうな表情をしていた。
罪悪感によるものだろう。
海堂にとって、何が起きてるのかわからない現状。しかし、関係者という立場にあり、責めらるような言葉もかけられたはずだ。
この部屋に入ってきてからも、俯くことが多かった。
「俺はやると決めたらやる。協力頼んだぜ」
拓篤は海堂の肩を軽く叩き、言葉をかける。
慰めでも、庇うでもなく、責めるわけでもない。
ただ素直に力を貸してくれと伝えた。
それに対し、海堂は震える声で返事をする。
「……本当にすみません、全力を尽くします」
拓篤はその言葉に、笑みを浮かべた。