見知らぬ浮世絵
いつの間にか、工場の一階に見知らぬ浮世絵が飾られていた。
額縁にも入れておらず、裸のままペタと壁に貼り付けてある。
着物を身につけた女の足元に、子猫が一匹寝転んでいる。
美女と猫の組み合わせに魅せられるのは、数百年来変わらぬ習慣らしい。
マミに浮世絵の出処を尋ねると
「浮世絵? 知らない子ですね……」
と艦これの台詞を言った。
どこで覚えたんだ?
そういえばマミも実家で猫を飼っていると昔聞いた記憶がある。
特徴的だったので忘れないと思ったのだが、忘れてしまった。
「君の家の猫、なんて名前だったっけ」
「黒助よ」
「ああ、そうだった。メスなのに黒助なんだっけ」
「そう、雌なのに黒助よ」
最初はただクロと呼んでいたのが黒助になり、そのうち黒助ちゃんと呼ぶようになったそうだ。
誰が言い出したのか、なぜ助を付け足したのか、犯人はわからないという。
それでも一家全員が黒助と呼んでいたのだから怖い話だ。
「車に轢かれたのを拾った猫だから、しっぽが無かったのよ。ちぎれて」
「しっぽのない黒猫か。意味深だな」
「それにしてもこの浮世絵、一体どこから湧いて出たのかしら」
「その絵ならトモヤさんが昨日の夜貼ってましたよ」
近くで花瓶の水を変えていた梓が言った。
花瓶にはコスモスが活けてある。
そのへんに生えてたのを毟ってきたやつだ。
「トモヤが? あいつにこんな趣味があったとはね」
「意外と古風なのね」
「あとで本人に直接聞いてみよう」
トモヤは今、中島班のマンションに行って訓練を受けている。
幹夫の特訓で基礎体力増強の筋トレをしているのである。
僕も前にやったことがあるが、尋常ではないくらい辛い。
終わった後は数日筋肉痛で動けなかった。
幹夫はそれくらいでないと筋肉は育たないと言っていた。
数日に一度訓練できるペースで筋肉をいじめるのだそうだ。
筋肉をいじめて喜ぶなんて、変態以外ではありえないと思う。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
「ああ、その浮世絵なら、太田記念美術館から盗ってきました」
帰って来たトモヤは平然と言った。
「盗ってきたって、美術館にあったやつをか?」
「はい。俺たち西側にはアメリカ軍がいると思ってましたから。浮世絵を手土産にしたら喜ぶかなと考えたんです」
盗んだ浮世絵を手土産に保護を求める。
どういう発想ならそうなるんだ。
「待てよ、ということはこの絵は本物ってことか?」
「本物なんじゃないですか? 適当に選んだんでよくわからないですけど」
後で調べてわかったことは、この絵の作者である勝川春章は、あの北斎の師匠にあたる人だった。
こんなものを盗むなんて正気の沙汰ではない。
「よく誰も何も言わなかったな」
「壁から外しているときに、一緒にいた奴らから“何してる”と言われました。“盗んでる”と俺が返すと“じゃ俺たちも”だって」
エンドオブザワールドでしか聞いたことがない台詞だ。
たしかあの映画ではゴッホを盗んだはずだ。
終末の時には芸術作品よりも食料や水のほうが価値がある。
もはや観る人のいなくなった絵画は、タダ同然というわけだ。
「風呂が沸いてる。先にカズヤと入っちまえ。疲れが取れるぞ」
「ありがとうございます。お先にいただきます」
馬鹿丁寧に頭を下げて、トモヤが下がった。
腕を組んで、様々な角度から浮世絵を見てみる。
これが本物か……。
やっぱり傷まないよう額縁を探してきたほうがよさそうだ。




