渋谷区連合自治区
NHK放送センターから、渋谷PARCO、渋谷駅のある一郭は、渋谷連合の統治下にある。
人員は全部で302名。
うち7割が男で構成されていて、角材や鉄パイプなどで武装している。
ゾンビ騒動発生時に渋谷駅にいた者が地下に隠れて、頃合いを見計らって外に出た。
それから手当たり次第にソンビを撃退して、約半数を犠牲に(つまり最初の人数は600人強)して安全な区画を手に入れた。
地下鉄はもともとシェルターの役割を果たす建造物だ。
災害時には鉄壁の守りとして機能する。
彼らが生きながらえたのは、都心で発生したゾンビがほとんどその場から動かなかったことと、都心外部で発生したゾンビが一様に郊外を目指したことが重なったからだ。
非常に幸運だったと言える。
「西に向けて飛ばしたヘリコプターはどうなった。なぜ戻って来ない」
「高尾のあたりまでは連絡がとれていたのですが、そこから先連絡が途絶えたきり音信不通です……」
「西方に居住している武装集団の調査はどうだ」
「偵察に出たヘリからは、何の報告もありませんでした。人っ子一人いなかったと」
「馬鹿な。呼び戻してもう一度調査させろ」
「申し訳ありません。そうしたいのは山々なんですが、連絡が取れないもんで……」
「下がれ! 役立たずめ」
木村正木は渋谷区連合の長役の一人だった。
集団を率いているのは全部で5人。
その中でも木村は21歳と最も若い。
彼らが率いているのは別に彼らが抜きん出て優秀だったからではなく、警官のゾンビから奪った拳銃を持っているからだった。
拳銃は持っているだけで、今まで一度も使ったことはない。
ゾンビの撃退に当たるのは主に下級のメンバーで、平時にはサラリーマンだった者や、建築関係者だった者だ。
木村はニートだった。
「気に入らねえな。俺の放送に返答があった者はゼロ。どいつもこいつも隠れ潜んでいて埒が明かねえ。鼠みたいな野郎どもだ」
「木村、首尾はどうだ」
新たに現れたのは、長役の一人である真島賢治だ。
彼もニートだった。
「どうもこうもねえ。リーマン共は使えんし、女どもは食うだけ食って役に立たん」
「犯っちゃえば大人しくなるんじゃないか」
「馬鹿言え。そんなことしたら男どもが黙っちゃいない」
「拳銃は飾りじゃねえぞ。殺っちゃえばいいじゃんか」
「冗談よしてくださいよ真島さん」
彼ら上級メンバーは放送センターのビルで寝起きしている。
他のメンバーは区画内に均等に配置されていて、外部からの襲撃に二十四時間備えている。
一見無秩序に見えるこの集団が、今の今まで目立った問題も起きず持続している理由は、統率しているニートたちの臆病さにあった。
彼らは口で一端のことを言っていても、実行には移さない。
下級メンバーに命令するときも、自分たちでは実行不可能なことでもためらわず口にする。
命令された側は、拳銃で撃たれてはかなわないので、人数を集めて協力して事にあたる。
人数がいれば並大抵のことは実現できるというわけだ。
人格はどうあれ、彼らの命令通りにして生きながらえているメンバーは、特に反乱も起こさない。
会って話をすればニートのくせに生意気な、と思わないこともないけれど、何しろ普段から拳銃を持ち歩いて、クルクル回して遊んでいるのだ。
やはり撃たれてはかなわないので口答えはしない。
最近、渋谷連合自治区でもっぱら噂になっているのは、西方に陣取っている謎の武装集団の存在だった。
渋谷駅に配属されたメンバーは、昼食にアルファ米を食べながら噂話に花を咲かせた。
「アメリカ軍がゾンビと交戦しているって話、本当ですか」
「いいや、俺は自衛隊だって聞いたぞ。なんでも都心を目指して進行中だとか」
「どちらにせよあの爆発音は一般人じゃない。一昨日のアレは聞いたか?」
一昨日のアレとは、工場で迫撃砲を連射した際の爆音だった。
「あれは空爆の音に違いねえ。アメリカ軍が助けにきてくれたんだ」
「アメリカ軍なら、自分たちの場所を知らせないのはなぜなんだ? 助けに来たとラジオかなんかで言ってもよさそうなもんなのに」
「馬鹿かお前は。そんなことしたら混乱を生むだけだろう。ゾンビを蹴散らして、それから救助しようってアメリカさんの思惑に気づけないとは、お前ソレで本当に大学出てんのか?」
「言っておきますけどね、私は最初から大学を出たなんて言ってませんよ。私は中学を出てすぐ工場で働き始めました。それでも家族五人養ってたんだから、学があるのと同じことです」
「学があるのと同じことです、ってこれだから学のないヤツは困るんだ。面だけ一人前で、中身はまるで子供なんだから」
「なんだと! やんのかこのやろう」
そのとき、放送センターから戻ってきたメンバーの一人が、上層部の決定を皆に伝えるため大声を出した。
「みなさん聞いてください。上層部は秋ごろに西方へ調査隊を派遣するそうです。武力集団ならびにゾンビ発生状況を調査する。志願者は一週間以内に放送センターで記名するようにとのことです」
先ほど喧嘩していた二人の男性も静かになって、その場に座り込んだ。
「いつだって直接手を下すのは俺たちだ。上の連中は命令するだけ」
「今までと何が違うんだ? おめえだって親方に叱られて一端の面になったんだろう」
「親方とあいつらを一緒にするんじゃねえ!」
「悪かったよ。そう怒鳴るなって。でも、上の命令にしたがって、危ない目に遭ったことがないからなあ……。結局、俺たちとは頭の出来が違うってこった。あのアンちゃんたちは」
渋谷区連合を設立した木村たちニート五人は、メンバーに慕われていた。
非常時にはこのような摩訶不思議な現象が起きうるのだ。
ただ気の赴くままに命令しているだけだったのが、偶然成功が重なったことによって預言者の如くに祭り上げられた。
実はこの渋谷区連合には元議員先生もいる。
しかし議員先生は体力がなかったので最下級メンバーに属していて、今ではニートの木村に頭を下げてトイレに行く始末である。
もっとも、木村も議員先生に大きな顔をするのは気が引けるようで、嫌な顔をしながらではあるが。




