濃紺の霧
イワンとユキの新居奪還を、いつくらいにしようか決めようとしている時だった。
長らくご無沙汰だった霧が発生して、街を覆った。
白く濃い霧である。
マンホール掃除でゾンビの全体数が少なくなっていたから、僕たちはそれほど霧に注意を払わなくなっていた。
かつては霧が発生しているときにしかできなかった作戦も、この武装、この人数であれば晴れの日でも容易にこなせる。
その慢心が悲劇を招いたのだけれども、今度の霧に合わせて片付けておきたい作戦は、今のところ無い。
むしろ霧発生時に出現する怪物こそ、今最も恐れているものなのだ。
こんな日に新居奪還に向かえば、惨事は避けて通れないだろう。
イワンは物珍しそうに霧を眺めていた。
彼には以前、霧と怪物の関係について教えてある。
実物を目にしたのは新居掃滅作戦のときが初めてだったようだが、霧のことはもう知っているはずだ。
それでも彼には結構な衝撃だったらしく、ホウ、ウウ、と言いながら霧を眺めていた。
「ミストみたいデスネ」
イワンが言った。
霧に覆われた街に異次元の怪物がゾロゾロ出てくる映画だ。
「ロシア人もアメリカ映画を観るんだな」
「今更何を言ってるデスカ。日本のアニメも観ますよ」
それは知っている。
午前中には真っ白だった霧の色が、時間が経つにつれ乳白色へとかわり、やがて青みがかった色となり、午後三時頃になると濃紺の霧になった。
こんな色の霧を見るのは初めてである。
「これは教えてくれませんデシタ。青の霧は、何の霧デスカ」
「何の霧と言われてもな。僕たちもこんなのは初めてだ」
この世界の初めてが良い兆候だった例がない。
明らかに異様な色の霧は、なるべく関り合いにならないほうがよさそうだ。
イワンもこれには同意した。
さすがに何の情報もなくこの濃紺の霧の中に飛び出していくほど、彼も無鉄砲ではない。
「いつもは数日間、霧が出てるンデスヨネ?」
「そうだ。長くて数日だな。短ければ数時間で晴れる日もある」
しかし濃紺の霧は、その濃さ具合から数日間は晴れないだろうことが予感できた。
それどころか、こんな濃さの霧は今までに見たことがないため、数日経っても晴れない可能性さえある。
そうなればこの霧の中を食料調達に行かなければならないし、諸々の作業もこの霧の中で行わなければならない。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
悪い予感は的中するものだ。
予想通り霧は数日経っても晴れなかった。
観測所には鈴木と中島が取り残されている。
そろそろ飲料水を探しに行かなくてはならないが、濃紺の霧は晴れるどころかますます濃くなっているように思えた。
時折外で怪物の雄叫びが聞こえる。
冬山の夜の色を、そのまま地上に引きずり下ろしたかのような色だ。
工場では窓を最低限に開くだけにして、灯りをつけている
そうでもしないと周囲が見えないのだ。
「嫌な予感がする。嫌な予感がするわ……」
マミも不安がっている。
「大丈夫だ、問題ない」
僕も不安だったから、間違えてエルシャダイの言葉を言ってしまった。
これでは問題があると言っているようなものである。
念のため工場の窓に据え付けたブローニングM2重機関銃に常時人を置いておくことにして、僕たちは霧の晴れるのを待った。
これではイワンたちの引っ越しもいつになるか……。
「これ、面白いの? なんかオタクっぽい」
「おめえの旦那はオタクじゃねえかよお」
ユキと田中は存外平気なようで、窖に一緒に入って漫画を読んでいた。




