いわし雲
読書の秋、食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋、ゾンビの秋。
空にはいわし雲がかかり、風穏やかな秋口のことである。
暦の上では立冬に近く、もやは冬と言ってもいいかもしれないけれど、大昔の季節と今を比べるのは厳禁だ。
けれども人間が姿を消したこの世界では、現代の感覚も当てはまるようで当てはまらない。
車は消え工場も停止して、二酸化炭素の排出量が極端に減り、平均気温は例年と比べて二度ほど低い。
いくら二度低くとも、さすがに冬と呼ぶわけにはいかない微妙すぎる気温の中、僕たちは水没した地下の水をどうにか排出できないかと画策していた。
どういう方法でやるにしても、やはり相当量の電力がいる。
映画などではディーゼル非常用発電装置がよく使われているが、実は日本でも普通に売っているので、買おうと思えば買える。
しかし動かすと馬鹿でかい音がする上に、取り扱いが危険で素人が長時間扱えば100%火事になる。
もう一つの選択肢としてはガスタービンエンジン非常用発電機があるが、これはそもそも大きさが馬鹿でかい。
ハンヴィーにのせるなど不可能だし、ホイホイ運びながら使うものではない。
諦めて人力で排水する?
バケツレースで一体どれだけの時間がかかるやら。
電力が通っていないことを初めて恨んだ瞬間だった。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
「ところでよお、渋谷区なんとかの連中は、俺たちに気づいているんだろうか」
夕食のときに田中が疑問を口にした。
「もちろん気づいているだろう。ひっきりなしに銃声が響いてるんだ。よしんばライフルの銃声が届いていなくても、重機関銃をばら撒けば流石に気づくんじゃないか。迫撃砲も撃ったわけだし」
「それ、俺も思った」
なぜか鈴木が指をピンと立てて強調する。
「じゃあなんでリアクションが無いんだよお」
「hmm……考えても見ろ。僕たちが把握している向こうの情報は、NHKのラジオ放送ができるってことと、ヘリコプターを持ってるってことだよな。現状ではあまり脅威ではない。逆に向こうからしたら、西側に重機関銃を所持している武装勢力がいて、自分たちが上を通ったときに交流を求められなかったと思っている。その場合、あちらさんはこう考えるはずだ。あいつらはどうして隠れてる? なぜ銃を持ってる? 関り合いになりたくないぞ、と」
「向こうは向こうでやっていきたいってことか?」
鈴木が言う。
「おそらくな。でなければ日野市役所みたいに、助けてくれと言いに斥候の一つでも送ってくるさ」
「なんだか世紀末って感じだよなぁ」
うなだれる田中。彼の気持ちも汲んでやらねばならない。
「こっちは別に敵対しようってつもりはないんだ。渋谷区連合から何かしらの提示があれば飲むし、そのときにはお前にも相談するよ」
「俺もゴリラに生まれていれば、外を自由に出歩けたんだがなぁ」
悩みどころが少しずれている田中であった。
「そろそろ夜間監視の時間だ。田中、車を出してくれ」
「アイアイサー」
今日の当番は僕である。
観測所に向かう道すがら、こんなことを思った。
ローテーションを汲んで夜間任務をするにしても、期間を調整したほうがいいんじゃないか?
一日交代では睡眠バランスが崩れて健康に悪い。
それに集中力にも影響するだろう。
そしてこうも思った。
冬場にはテントに湯たんぽを持っていけば温かそうだ……。