185光年の輝き
初日、中島の誤射がマミの当たりかけたことを除いては、目立ったトラブルもなく無事行程が終了した。
鈴木の助言どおり、高架下を選んでハンヴィーを停車、夕方のうちに食事と軽い運動(座りっぱなしだとエコノミー症候群になりかねないので)を済ませ、日が沈むと同時に灯を消した。
街は死んだように静かで、東京とは思えないほど暗い。
光害がまったくない世界、灯となるのは星々の煌めきだけだ。
雲一つない過ごしやすい晩だった。
てんびん座の方向にズベン・エス・カマリが輝いている。
てんびん座で最も明るく光る恒星で、地球からの距離は185光年。
キロメートルに換算するとざっと1757兆kmだ。
まさしく気の遠くなるような距離。
僕とマミはてんびん座を眺めながら、夜の見張りをしていた。
助手席にいる中島と、運転席の田中は先に休んでいる。
1時間30分ごと見張りを交代する。
かれこれこれが3回目の交代だった。
「傷は痛まない? 薬を塗ろうか?」
「ううん、平気。痛みもひいてきたみたい」
「あの光、てんびん座だよ。小学生のとき星座の授業で習った」
「私はオリオン座しかやらなかったわ」
「僕の学校もそうさ。僕が自発的に調べただけ」
「じゃあ授業で習ったんじゃないじゃないの」
眠気を醒まし集中力を維持するためには、会話を続ける必要がある。
「あの一番明るい星に惑星はあるの?」
「さあ、どうだろうね。巨きくて熱い星だから、惑星があっても住めないかもね」
「巨きくて熱いってなんだか素敵ね」
「あのさぁ……」
「冗談よ」
高架下から視える夜空は、上部と下部が遮られていて見えないので、一部だけが切り取られた絵画のような形になっていた。
ちょうど視える位置に綺麗に収まっているてんびん座。
光害も雲もない今なら、普段なら見えない暗い星も見渡すことが出来る。
「ゾンビだけじゃなくて星も好きなの?」
「いいや、別に星は好きじゃない。ゾンビだけ好き」
「動物は嫌いなの?」
「嫌いだね」
できれば動物の話はしたくなかった。
ボロが出て恥をかくのはもうごめんだ。
「時間が経つのは遅いわねぇ。まだ十五分しか経ってない」
「さっき交代したばかりだからね」
「人間は根源的に時間的存在である」
彼女はハイデガーの言葉を引用したが、僕がその言葉を知ったのはシュタインズ・ゲートでだった。
彼の著書『存在と時間』ではこうも書かれている。
存在の問いにあって問いかけられているものは、あきらかに存在者それ自体である。
意味はよくわからない。
ゾンビはなぜ人を喰うのか? と問うたら、ゾンビは「人を喰うもの」を意味しているということだろうか?
そうすると質問自体が無意味になってしまう。
だから僕は知ったかぶって賢そうな質問はせずに、「たぶんね」と答えた。
それから語尾に「ニャンニャン」をつけた。
マミの会話に本気で合わせようとすると、パソコンか百科事典が手元にないと無理なので、できるだけはぐらかすほうが吉である。
それで彼女が退屈して、若干孤立しているのは可哀想ではあるが……。
そもそもの頭の出来が違うので、責めるなら僕ではなく運命を責めてもらいたい。




