お前二次元になりたいと思ったことないだろ?
特区外に潜伏するゾンビの数が予想よりも多く、一体一体に消費する銃弾も、部隊が一度に持ちうる量では不足していた。
とにかく針付きゾンビが硬いのだ。
しかも奴らは全身からはえた棘を地面や壁にこすりながら移動するので、音におびき寄せられた通常のゾンビも処理していかなけれなならない。
対応策を考える必要がある。
ひとまず特区に引き返すことにした僕たちは、武装をまとめ、これまで出会ったゾンビのおおまかな位置を地図に記した。
これで次に来る時に迷わずにすむ。
「思った以上に苦戦したな」
「簡単だとは思わなかったけど、まさかこんなにいるとは……」
歩いている皆の口からは作戦がはかどらなかったことへの不満が聞こえてくる。
前哨基地を経由して、そこで香菜、マリナと別れた。
特区に到着すると、出迎えに来た警備員がねぎらいの言葉をかけてくれた。
彼らの言葉にふさわしい戦果をあげられなかった僕たちの表情は暗い。
このまままっすぐ家に帰る気にはなれなかったので、僕は鈴木を呼び、警備員が使っている仮眠所に入った。
パイプ椅子に腰掛けて、ため息をつく。
「一雨きそうだな」
鈴木が言う。
外は曇天、まるで僕たちの気分を表しているかのようだ。
なにを考えているのか分からないが、鈴木の顔はどことなく心ここにあらずといった感じだった。
大方、家に帰って阿澄と乳繰り合うことを思っているのだろう。
呑気なやつだ、と僕は思った。
「お前二次元になりたいと思ったことないだろ? 僕はあるよ」
東浩紀の名言が、仮眠室に虚しく響く。
鈴木は答えなかった。
2006年3月、アメリカのオタクが日本製hentaiアニメをダウンロードして禁錮20年の刑を受けた。
彼が逮捕されたのは合衆国法典第18編第71章(第1460条~第1470条)に違反していたからであるが、彼が本当にやりたかったのはhentaiアニメを見ることではなく、hentaiアニメになることではなかったのかと僕は思う。
彼がまだ刑務所にいるのかどうかは分からないが、2026年になってシャバに出てきた彼は驚くに違いない。
相も変わらず4chanには日本のpixivから勝手に持ってきたhentai画像が貼りまくられ、猫も杓子もアニメアニメと騒いでいる。
「一体なんの話をしてるんだ」
鈴木が怪訝な顔をして言った。
「ゴダール的手法さ。分断と再構築。最近気狂いピエロを見たばっかりだから」
「俺は帰るぞ」
「ああ。マミに会ったら、今日中には帰ると言っといてくれ」
鈴木にふられてしまった。
僕は定時になっても家に帰りたがらない中年サラリーマンの心境を味わっていた。
違いがあるとすれば、どれだけ遅くまでここにいても残業代は出ないということだ。
田中やイワンはどうしているだろう。
増していくゾンビの脅威に負けないと口では言える。
しかし現実には予断を許さない状況が続いている。
一寸先は闇、命懸けの綱渡りだ。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
「おかえり、どうだった?」
家に帰ると、珍しく外行きの服を着たマミと玄関先で鉢合わせた。
僕らは互いに雨に濡れていて、玄関で靴を脱ぐときに水滴に足を滑らせてギュッギュッと音がした。
「惨敗だよ。ゾンビの数が多すぎる」
「生きて帰れただけでいいじゃないの」
「どこか行ってきたの?」
「うん、ちょっと用事。配るものがあったから」
マミがシャワーをあびている間、僕は半裸で突っ立って待っていた。
彼女と交代でシャワーを浴び、着替えを済ませ、その間に用意してくれていた軽食を摂る。
食欲がない。
「浮かない顔ね」
「そう見えるか」
「統合失調症みたいな顔してる」
「僕は統合失調症のことをスキゾフレニアと呼ぶ人は嫌いだ」
食事が終わると、マミは汚れた食器を持ってキッチンに向かった。
一歩、二歩、三歩と足を動かすのが、スローモーションのように見え、ブルッと身震いをする。
肉付きの良い大腿部。
大腿直筋の誘惑。
その夜、僕たちは激しく燃え上がったのは言うまでもない。