お前は今まで出した精液の量を覚えているか?
特区北東より少し南へ行ったところにある、廃墟となったガソリンスタンドに陣取った僕たちは、一箇所にまとまって昼食を摂ることにした。
一所に集うと男女で別れたグループになるのは、人間いくつになっても変わらない法則である。
前哨基地から持ってきた軽食を食べていると、女性グループの話し声が聞こえてきた。
マリナ、香菜、阿澄、中島(オカマなので女性グループにいる)が話しているのは、どうやらおそ松さんの話題らしい。
一方で男衆はといえば、黙々とクラッカーをかじっている。
人間が不快に感じる状況には一定のパターンがある。
壁を隔てて聞こえる音楽、他の人が使っている携帯電話から漏れてくる声、少し離れた場所の話し声。
脳が自動的に可聴域にある音を拾うも、意味が判別できないといった場合に、人は不快感を覚える。
そうはいってもマリナや阿澄たちは知り合いだから、そこまで不快に思うということはない。
けれども彼女たちがおそ松さんの例の回、銭湯の湯船からち○ちんを出す場面の話を初めたとき、僕たち男グループの雰囲気が一瞬だけピリッとした。
僕はそれを見逃さなかった。
特区内で、女がらみの遊びをしようとすればそれなりにできる。
もちろんそれは、特定の相手がいない場合に限られる。
狭い特区では、浮気をしようものなら即座に情報が広まってしまう。
規範たるべき僕ら上層部が乱れているとなれば、特区の規律はまたたく間に崩れてしまうだろう。
そして残念なことに、僕たちは全員パートナー持ちだった。
つまり、普段まったく遊べていないのである。
女性グループから聞こえてくる猥談は、溜まりに溜まった男衆にとっては凶器である。
「ま、まああれだ。さっきのゾンビは凄かったな!」
鈴木がなんとか話題をそらそうとして言ったが逆効果だった。
一度火がついてしまった情念はなかなか消すことができない。
「お前は今までに出した精液の量を覚えているか?」
僕は鈴木の顔をまじまじ見つめて言った。
「えっ」
驚いたのはカズヤとトモヤだった。
彼らはまだ若い。
猥談の作法もまだ知らない、ケツの青いガキだ。
僕はふたりのほうに向き直り、姿勢を正した。
それから声のトーンを下げて、先程の質問を繰り返した。
「お前は今までに出した精液の量を覚えているか?」
「ちょっ、いきなりなに言ってんすか……」
上体を引いて距離を取ろうとするカズヤの肩を、僕はガシッとつかむ。
彼は恐怖からか「ひっ」と声を漏らした。
念のために言っておくと、僕は別に女性グループに対抗してひとつ猥談をしてやろうというつもりで言っているのではない。
それでは燃えたぎる情念に油を注ぐようなものである。
「昔、ネットオークションで江戸文学全集を買ったことがある。3500円だからそんなに高いものじゃない。江戸文学ってなかなか聞かないだろ」
「え、ええ、まあ」
カズヤは話の流れが読めずにたじろいでいる。
「家に届けられて、予想以上に状態がいいのに驚いたよ。まるで新品同然なんだな。ものがものだからか、ほとんど本を開いた形跡さえなかった。装幀も立派で、いい買い物をしたと思ったよ」
「ほお、面白そうだね」
眞鍋が食いついてきた。
他の者も聞き入っている。
「さて読んでやろうと思って一巻を開いてみてびっくりした。江戸文学全集、高級感ある装幀、一巻目の中身はエロ本だった」
「は?」
マジでガチのトーンで聞き返すカズヤ。
「それで、どんな内容だったんだ?」
ここにきて聡志がノリノリで身を乗り出す。
「引用するとこんな感じだ」
『菅野某という京侍が、四十すぎまで母を養って妻も持たず、ともすれば例の手ざわりばかりしているのを、親しい友が窺い知って、「むだに子を棄てるのか」と笑ったところ、男は涙を流して、
母ゆゑに子はあまたび棄てつれど 釜のひとつも掘りえぬぞ憂き、とひどく嘆いた』
「はえ~すっごい」
鈴木が言った。
「でもそれってゴミ箱妊娠させたレベルの話ですよね。ぜんぜん文学じゃない気がするんですけど」
カズヤが言う。
「一応故事にかかってる洒落らしい」
「要するに二次創作じゃないですか」
「まあ、言ってしまえばそうなるな」
「じゃあやっぱり便所の落書きレベルだ」
今や女性グループの話題は移り変わり、至極まっとうな会話にいそしんでいる。
「文献としての価値が内容を上回った典型例かもしれないね。だからライトノベルとかも、将来は文学的な価値が出てくるかもしれないよ。カズヤがちょろっと書いた落書きでも、人類の大半が亡くなったであろうこの時代においては価値があるわけだから」
「なるほど、そういうもんですか」
「そういうもんさ」
かくして僕は話題そらしに成功した。
いや、意外とこういう部分での心配りが重要なのである。
なにせ若い男女のグループ、好き勝手に振る舞うのに任せていたら、どうなるかは明らかだ。
『火遊びはほどほどにしないとね』と花物語の沼地蝋花も言っていたから間違いない。