ケーキを食べて腹を壊す
スキムミルクケーキの味はお世辞にも良いとは言えなかった。
マミが一生懸命、試行錯誤して作ってくれたケーキなので残すわけにはいかなかった。
それでも無理をして完食したことが祟って、僕は腹を壊して下痢になった。
トイレは敷地の端、一応二階から索敵できる位置にあって、誰かが使用しているときには最低一人は監視の任に当たる。
それでも女性の排泄を慮って、屋根と壁がついているので外部から中の様子は見えない。
出入りを小型無線機で伝える決まりだった。
人糞・尿を肥料にすべきだという鈴木の意見を尊重して、トイレは汲み取り式である。
まあ江戸時代までは盛んだった技術だと言うから嫌悪感はないが、一応文明人としては遠慮したい気持ちもある。
贅沢は言っていられないが。
かれこれもう二時間は痛みと格闘しているので、太ももの筋肉がつって、キリキリと痛みだしてきた。
全員がケーキを食べて、腹を壊したのは僕だけだから笑えない。
田中など美味い美味いと言って三人分は平らげたが、平気な顔をしている。
声にならない声で唸っていると、なんだかゾンビの気持ちがわかったような気になるから不思議だ。
彼らもたぶん体が痛くて唸っているに違いない。
そうこうしているうちに、外でハンヴィーのエンジン音がして、敷地外へと出て行った。
僕が指示しない限り動かさない決まりになっているのだが、一体どうしたことか。
すぐにも真相を確かめたいところではあったけれども、その瞬間に発作がきて
下腹部に猛烈な痛みを感じた。
左脇腹のあたりが張って、内容物が急速に下降してくる感覚がある。
「オ、オ、オ、オ、オ」
声が漏れて、瞳には涙が滲んだ。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
格闘を終えて外に出たのと同時に、ハンヴィーが戻ってきた。
中から出てきたのは田中とマミ。
運転できるのは田中だけなので彼は仕方ないとしても、なぜマミが車から降りてきたのか。
「勝手に乗り回してもらっちゃ困るな、タクシーとは違うんだぜ」
「あなたがあんまり出てこないもんだから、食中毒かと思って心配したんじゃないの」
そう言って彼女が僕に手渡したのは、正露丸、赤玉小粒、ツムラの59番から63番の漢方薬だった。
それから彼女が持っている袋の中には、ビオフェルミンとコーラックが入っていた。
どれだけ腹痛に備えるつもりだ? と思った。
「どこでかっぱらって来た。この辺に薬局なんてなかったろう」
「それがよお、あるところにはあるんだよなあ」
「どこにだ?」
「小さな老人ホームよ。工場のすぐ近くだから、無くてもすぐ戻って来られると思って」
老人ホームに薬を探しに行くとは、考えたものだ。
腹痛薬はこんなに要らないとしても、これから先病気になったとき、薬を持っているのといないのとでは気持ちからして違ってくる。
病は気からとも言うし、今後は飲食物だけでなく薬もなるべく確保しておいたほうが良さそうだ。
「ゾンビはどうだ? 小さい老人ホームでも室内には何体かいたろう」
「それがよお……」
「いなかったのよ、一人も。中にあったのは、餓死したらしいお爺さんお婆さんの遺体だけ。さすがにゾンビもこれには手を付けていなかったわ。綺麗なまま腐ってた」
「餓死だと? それじゃあ老人は難を逃れたってわけか」
「戸締まりのしっかりしていた場所だけは、ね」
騒動の発端は、突然兆候もなくゾンビ化した一部の人間が、近くにいた人を襲ったからだと田中たちは言っていた。
田中とゾンビ化した人たちに決定的な違いがあったとは思えないから、ランダムに発生したのだとばかり思っていた。
しかし、老人のすべてがゾンビ化を免れていたとしたら?
ゾンビ化には何らかの法則があるということになる。
「詳しく調べてみる必要がありそうだな……ウッ、また腹が傷んできた!」
僕はきびすを返してトイレへと駆けた。