弓は武器なので時代遅れでも殺傷能力はある
行軍の際、ディランは田中の横を歩くようになった。
危険と隣り合わせの旅とはいえ、始終緊張していたのでは体に毒だ。
部隊員の士気に影響するということもあって、緊急事態でないかぎりはどこを歩いても自由だった。
集団から一定の距離離れないことだけがルールで、それ以外は歩きながらタバコを吸ったり、騒がしくない程度に話をしてよかった。
田中とディランは話をしているうちに次第に仲良くなった。
田中のほうは一貫した調子でヘラヘラしているだけだったから、変わったのはディランのほうである。
分厚い雲が空を覆った日、ふと田中が横を見るとディランが漫画を読みながら歩いていた。
器用なもんだ、と田中は思った。
その漫画本は以前田中が貸した一冊だった。
というより彼はその一冊しか持ってきていなかった。
何回読み返す気なんだ、と田中は思った。
ディランは毎晩眠る前に田中から借りた漫画に目を通していた。
最初のうち彼はいつ読み終わるのかと見守っていたのだが、一日経っても二日経っても読み終わる気配はなく、とうとう一週間が過ぎた。
「そういえば、それカッケエよな!」
「え?」
本に集中していたディランは、田中がなにを指して言っているのかわからなかった。
「それだよ、弓のセット」
今更ながら彼はディランの装備が並でないことに気づいた。
「ベンのもそうだけど、最近の弓はずいぶんカッケエんだなあ」
「そ、そうかな。でもこれわたしの物じゃないから」
「ディランの弓だろ?」
「ううん、借りてるだけ」
あくまでも借り物だと主張する心情はともかく、ディラン、ベンともに装備している和弓は高級品だった。
持ち去るときにできるだけ丈夫なものをと選んだ彼らに俗な欲は皆無だったけれど、結果として持ち出したのは17万5千円の竹弓だった。
さらに一本7000円するカーボン矢をジャラッとあるだけ盗み、矢筒とかけ、胸当ても失敬した。
田中が想像する弓はファンタジー映画に出てくるものだ。
エルフが持っている、森の木をへし折って作ったような弓。
それから木の皮で編んだ矢筒、木の棒に石の矢じりをくっつけた矢。
現代の弓と矢がそんなチャチなわけがない。
トータルの装備の値段を比べると、銃を持っている田中よりディランのほうが高い。
いくら高級品でも、使わなければ宝の持ち腐れである。
これまで一度も活躍の場がなかったディラン、ベンのふたり。
ここにきてようやく本領を発揮できる舞台がやってきた。
集合がかかり、全員がイワンのもとに集まった。
「厄介なのがいる。あそこを見てみろ」
愛知県日進市の交差点、工場のような大きな建物と、辺り一面荒れ放題の田んぼが広がる一郭にゾンビが集っていた。
イワンたちのいる場所からはかなり離れている。
「迂回して行こう」
田中は双眼鏡を覗いて言う。
「いや、あの櫓の上を見てみろ」
イワンに言われ、田中は不格好な木製の櫓に視線を移す。
田舎にはまだ火の見櫓が残っているところがあって、櫓のように見えるそれは、火の見櫓が錆びているだけのものだと田中は思っていた。
しかし上を見て驚いた。
二体のゾンビが櫓の上に立って監視しているような動きをしている。
「たぶん操られてるんだろう」
イワンは言った。
「操られてるって、特区に攻めてきたときみたいな奴がここにもいるってことかよお」
「ここはなんらかの拠点になっている可能性が高い」
櫓の下には民家があった。
民家の横の道路には簡素な作りの小屋が並んでいて、一部が民家と繋がっている。
ゾンビはそのまわりに集中していて、見張りをしているかのように棒立ちになっている。
「見過ごせば特区に危険が及ぶかもしれん」
「どうするんです。減音装置はありますが、これじゃ気づかれて囲まれますよ」
「やりようはある」
部隊員の指摘に対し、イワンは顎をクイッとやってディランの弓を指した。
「癪ではあるがアメリカ人方式でやろう。ネイビーシールズだ」
具体的な戦法はこうだ。
暗闇に乗じて弓を使って無音で見張りのゾンビを倒す。
同時に三方向から二人ずつ民家に接近し、ゾンビを操っているゾンビを確実に仕留める。
死体を確認したのち家を爆弾で吹き飛ばす。
「それのどこがアメリカ人方式なんです? ロシアではどうするんですか」
「そら逃げ場を塞いでドカンよ」
「なるほど……」
これで全員が納得するのだから恐ろしいものである。
「戦力を把握するまでは監視だ。田中、何人か連れて引き返せ。こっちも拠点を探す。泊まれそうな家がないか探してこい」
「アイアイサー」
田中はディランを含む数名の部隊員を連れてその場を離れた。
イワンの行う監視は徹底している。
ゾンビの出方にもよるが、最低でも二日ほどかけて戦力を見極めるのが常だった。
長い戦いになるな、と田中は隣を見ると、ディランが漫画を読んでいた。
「いやボケは俺の役割だろ!」
田中はわけも分からずつっこんだ。