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デリケートな部分

関東以西の環境は最悪だった。

東北地方を拠点とする自衛隊、山中を根城とする猟友会、立川対災害特区、クルド人自治区など多くの生存者がゾンビの処理にあたっていた関東地方と違い、山梨県を越えてからはゾンビの数も増え、最初期の頃から生き残っていると思しき歩行ゾンビが我が物顔で街を闊歩している地区が続いた。


山梨県は関東じゃないだろ、と言う人がいるかもしれないが、中央本線で新宿と繋がっているので、ここは一応関東地方だということにしておく。

それなら長野県も一本で行けるんだから関東だろ、という指摘は受け付けない。

一本で行けることを基準にしてしまうと関東が際限なく広がってしまうからだ。


一行は銃弾を節約しながら遠征を続けていた。

彼らにとって、歩行ゾンビを見るのはどこか懐かしい感じがするものだった。

今でも特区の周辺にいるとはいえ、最初期から生き延びているゾンビは少ない。

見分ける方法は服を着ているかどうかだ。


変異を繰り返してきた歩行ゾンビは体表面が硬質なものに変化していて、色が黒っぽくより動物的な見た目をしている。

他方最初期から生き延びているゾンビは、汚れで皮膚が黒ずんでいるとはいえ、雨が降ったりすると汚れが落ち、血の気のない人間本来の皮膚がお目見えする。

ボロ布のようになってしまっているけれど、パニックに巻き込まれたときに着ていた服をそのまま身につけている。


イワンたちのグループは体力の消耗を最小限におさえつつ、毎日着実に大阪へと近づいていった。

日暮れ前には宿泊場所を見つけ、日が暮れると同時に休む。

朝は皆7時頃まで寝ていて、8時か9時になると出発する。

労働基準監督署もニッコリの労働環境である。


愛知県のある街、ある建物の中で、一行は骨を休めていた。

その日は朝から一度もゾンビに出会わず、スムーズに歩くことができた。

誰もが上機嫌で、日中見かけた面白い建物や動物の話をしていた。

手回し充電式LED懐中電灯の明かりにぼうっと照らされた顔、顔、顔。

皆の表情は幸福に満ちていた。


「ベンは昼間なにか見かけなかったか?」

「おれは前の人の頭しか見てなかったから」

「なんでだよお! ハハハッ」


田中とベンズィーンが、夕食のビスケットを食べながら会話している。

頭の程度が同じくらいだったからか、彼らの会話は奇跡的なまでに噛み合っていた。

あれだけディランに夢中になっていた部隊員たちは、一緒に生活するうちに慣れてしまい彼女のことをあまり構わなくなっていた。


ディランの顔は相変わらずの美少女だったし部隊員の目にも美少女に映っていたけれど、イワンや田中の前でちょっかいを出すわけにもいかず、ヨメのいる者は帰ったときヨメに浮気をバラされるのが嫌だったので早々に手を引き、ヨメのいない者も自分を律して遠巻きに見つめるだけにとどめていた。


実際のところディランはどう思っていたのか。

彼女は寂しかった!


無視されているというわけではない。

しかし夜、部隊員がそれぞれ仲の良い者と談笑を始める時間になると、彼女は取り残されがちになった。

これ見よがしに孤立していればまだ誰かが話しかけたのだろうが、男勝りな性格である彼女はそれを良しとせず、あたかも一人が好きであるかのように窓辺に立って月を眺めたりしていたから、余計に孤立するはめになった。


その日、寂しさの極致に達したディランは、集団の中で唯一同郷の士であるベンズィーンの横に腰掛けた。

だが彼は会話に夢中でディランが傍にいることに気づかなかった。


「親父から聞いたジョークがあるぜ。“地球が誕生した日”ってジョークだ」

「なんだそりゃ、ハハハッ」

「まだジョークは言ってねえよ!」

「ハハハッ」


「クルド人の教師が、同じくクルド人の生徒に“地球が誕生したのはいつか?”と聞きました。生徒は答えて“西暦一年一月一日です”」

「ハハハッ」


ジョークを聞いた田中は腹を抱えて笑った。

ディランもこのジョークを知っていたけれど、なぜ田中がそこまで笑っているのかわからなかった。

短いこのジョークの笑いどころは、イスラム教徒であるはずの生徒がなんの疑いもなく西暦を使い、かつ今どきありえなくいくらいの厳格なキリスト教観を持っているところにある。


「田中さんはジョークが好きなんですか?」

ディランは機を見て会話に加わった。


「ジョークか……ジョークは、好きだなあ」

「日本のジョークを教えてくださいよ」

「日本のジョークはあんまり知らんなあ」


「おいディラン、おまえさんが話に入ってくるなんて珍しいな」

「そうなのか?」


田中とベンズィーンがそろってディランを見た。

彼女はドギマギして目を伏せた。


ディランはクルド人自治区にいるときでから孤独だった。

アレヴィー派は他の宗派より男女間の取り決めが少ない。

断食サウムもしない。

モスクにも行かない。


そういった比較的寛容な集団で、どうして浮いてしまったのか?

それは彼女の性格が原因だった。


「ごめんなさい、わたし邪魔かしら?」

「邪魔じゃないよお」


田中はディランを快く迎え入れた。

だがベンズィーンは別だった。

彼は立ち上がり、別のグループがあるほうへ歩いていった。


「仲悪いの?」

またしても田中はデリケートな部分に土足で踏み入った。


「そうかもしれません……」

「なんかディランさんってもこっちっぽい」

「もこっち?」


田中は出発直前まで読んでいて、荷物になるから持っていくなと言われたにもかかわらずこっそり持ってきた『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』の漫画をディランに貸した。


「俺のオキニさ。気が向いたら読んでみな……」

「はい、ありがとうございます」


田中の行動は謎だったが、ディランは素直に礼を言った。

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