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芸術的にやろう

挿絵(By みてみん)


非芸術的状態――客観性、鏡恐怖症、中立性。貧弱化した意志、資本の損失。


資本の損失!

大阪遠征に参加することになったクルド人は、ディランともう一人、筋肉ダルマの男に決定した。

万年人手不足に悩まされている中小企業とは違い、イワンの部隊は余剰人員を許さない物資状況にある。


たとえば装備品。

予備のAKMが3挺余っていたけれど、銃を扱ったことのない素人に持たせれば弾の無駄になる。

重量の問題があったので、弾はギリギリしか持ち合わせていなかった。


どれくらいギリギリかというと、最悪の場合行きだけで銃弾が尽きしてしまい、すべてが順調にいったとしても帰りのぶんの弾は残っていないという具合だ。

そこでクルド人の二人は使い慣れた弓と斧を持っていくことになった。

彼らはイワンの部隊に食料を提供し、物資状況は大いにうるおった。


いざ出発というときになって、筋肉ダルマの男が名を名乗った。

逆にいままでなぜ名乗らなかったのかと部隊員たちは疑問に思ったが、それは自分たちがディランに夢中になっていたせいで、男は空気を読んで自己紹介を遅らせたのであった。


「ベンズィーン・ハーネです。荷物運びなら任せてください」

「よろしく、ベン」

「ベンズィーンです」

「長いからベンでいいよお」

「ベンズィーンです」


ベンズィーンは自分の名前を誇りに思っていたので、省略することをなかなか了承しなかった。

結局は田中の押しに負けてベンと呼ぶことを許可したのだが、この名前は例によってクルド語で、知っている単語を名乗っているだけだった。

彼自身はこのベンズィーンという名の意味を知らなかった。

意味はガソリンである。

ベンズィーンハーネとはガソリンスタンドである。


アラビア語圏ではわりと一般的な単語であるベンズィーン。

現代社会に生きていて、ガソリンという言葉を使わない国はない。

ベンズィーンがベンズィーンを知らなかったのは、彼もシェーウと同様日本で産まれたからだった。

喋れるのは英語と日本語だけだ。


『さて文化というものは存在しなくてはならない。なぜなら、人間は進歩すべきだからである。どこに向かってかは誰も知らないし、もう誰も真剣にたずねようともしない』


1936年から1940年のどこか。

フライブルク大学の講義の最中にハイデガーは言った(おそらく)。

まさか100年も経たないうちに欧州が、世界がダメになってしまうとは誰も思わなかったろう。


ゾンビは非文化的か否か?

ゾンビは破壊者か否か?

ゾンビは非-美か、それとも美か。


ニーチェはメモ書きにチョロチョロッとこう書いた。

『〈美しい〉というわれわれの価値は、どこまで完全に人間中心的なものであるか』

ここでいう「われわれ」「人間」とはもちろん西洋人のことだ。


そもそもゾンビとは、異教徒の信仰をおとしめるプロパガンダ的存在ではなかったのか。

貶める目的で逆に病理の蔓延まんえんを描くはめになるとは、皮肉なものである。

念のために言っておくと、ゾンビというのは難民の隠語ではない。



楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽



さて危機というものは存在しなくてはならない。

イワンたちは平穏無事に山梨県を抜けることができなかった。

韮崎駅にさしかかったところで、針付きのゾンビの群れに遭遇したのである。


群れというよりは塊と表現したほうがいいかもしれない。

トゲトゲが絡み合ってひとつにまとまったゾンビが、塊魂の塊のようにコロコロ転がって移動していた。

油断していたわけではなかったが、角を曲がったときにばったり出くわしたので、戦闘は避けられなかった。


「あれだ! あだだよ!」

ベンが針付きゾンビを見て叫んだ。


「見りゃわかる」


部隊員はただちに戦闘配置についた。

たった今角を曲がったばかりだったのが幸いして、針付きゾンビの初期動作、猛突進してくるのをなんとか避けることができた。

部隊員と鉢合わせするやいなや、針付きゾンビは軽トラックが急発進するときのような音を出しながら突っ込んできた。


ブロック塀をなぎ倒し、棘が刺さったアスファルトをひっぺがし、廃車を蹴散らしながら転がってくるゾンビを避けられたのは、幸運というほかない。

先頭にいたイワンが後方の隊員を押し倒すように跳ねたおかげで、怪我人はゼロだった。

針付きゾンビは民家にめり込んで止まった。


すぐさま部隊員が射撃を開始する。

複数のゾンビがまとまっているため、針付きゾンビの大きさは特区に出没した個体の6倍ほどの大きさになっていた。

そのぶん針も密集していて、なかなか銃弾が通らない。


外観は巨大なガンガゼ(ウニ)のようだ。

針に当たった銃弾が火花を散らし、金属音が響く。

ディランが弓を引き絞るのをイワンが止めた。


「よせ、無駄になるだけだ。田中、クルマから予備の銃もってこい」

「アイアイサー」


田中が手押し車に銃を取りに行っているあいだに、針付きゾンビは方向転換しようと針をガチャガチャ動かして、崩れた民家の瓦礫を押しのけ始めた。

一刻の猶予もない。

AKMを渡されたイワンは、慎重に狙いを定め、全弾10cm以内に着弾するよう撃った。


「これが芸術だぜ!」


彼の射撃はたしかに芸術的だった。

強靭な針も、続けざまに撃ち込まれればひとたまりもない。

ドリルで氷に穴を開けるように針を粉砕していく。


一発が通ると、あとは早かった。

折り重なっていた中心部に大打撃を受けた針付きゾンビは、自重を針で支えられなくなりその場に潰れた。

側面や上方にいるゾンビは生きているようだったが、針を動かすのがやっとで、移動はできない。


「他のゾンビがよってくる前に逃げよう」


イワンの指示で、全員駆け足でその場を離れた。


このような戦闘は予定外だった。

大量の銃弾が消費され、残りの道中節約したとしても目的地に着く頃には弾が尽きている可能性さえ出てきた。

あと2回同型の針付きゾンビに遭遇すれば、弾はなくなってしまうだろう。


「なんくるないさ~」

田中は笑って言った。


新米のクルド人ふたりを和ませようとして言ったのだが、顔がひきつっていた。

だから「なんくないあ~」と聞こえ、クルド人は「なに言ってんだ」と思った。

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