病気
しばらくしてユキが体調を崩した。
最初はただの風邪かと思ったのだが、療養しても良くなるどころか悪くなる一方だった。
後に原因が捕獲した小型ゾンビによるものだとわかり、廃棄することに決まった。
研究室にあった死骸をごみ袋に詰めて特区外へと運び、焼いて処理する。
だが小型ゾンビを燃やしてからも、ユキの体はもとに戻らなかった。
肺炎を患い、苦しそうに息をする彼女。
アンナはタワーマンションで預かって、希美が面倒を見ていた。
交代でユキの家に泊まって看病する。
その日は僕が当番だった。
自室のベッドに横になっているユキは、明らかにやつれていた。
「私がこんなんじゃ、示しがつかないわね……」
「そんなことはない。みんな心配してるよ」
病気になると、急に心細くなるものである。
今まで味方だと思っていた人が信じられなくなったり、逆に嫌いな人でも味方に見えたりする。
数々の功績を残してきたユキは、自分の行為を信じられなくなっていた。
「バチがあたったのかもね。いろいろやってきたから」
「そのぶん人も救ってる。差し引きでプラスになるほどな」
「どうかしらね」
ユキは夜に眠れないと言った。
殺してきたゾンビたちが夢に出てくるのだという。
僕は考え過ぎだと言った。
日中寝ていて、一日横になっていれば眠れなくても無理はない。
「なにか食べたいものはないか? 探してみよう」
「別にない。イワンたち、早く帰ってこないかなあ」
彼女は虚空に話しかけるように言い、窓の外に目をやった。
春、真っ青な空を野鳥の群れが飛んでいる。
ここ数年で都内を飛ぶ鳥の種類が増えた。
街中に緑が広がって、山から降りてきているのだろう。
「明日は香菜が来るからな。手柄話を聞いてやってくれ」
暗い雰囲気を振り払おうと、明るい話題を提供する。
「あの子またなにかやったの?」
「噂だけどな。前哨基地の近くにでたゾンビの頭を斧でかち割ったらしい。新人教育の最中に“こんなやつらに弾を使うなんてもったいない!”って叫びながら」
「無茶するなあ」
「元気になったら相手してやれよ。あいつの組めるのは君くらいしかいないんだから」
香菜はもはや女版セガール、女版シュワルツネッガー、女版スタローンである。
あまり話しても悪いと思ったので黙っていると、寝息が聞こえてきた。
起こさないようにして部屋を出ると、リビングで阿澄とばったり会った。
彼女は今日、夜の付き添いをする予定になっていた。
しかし夕暮れまでにはまだ相当な時間がある。
どうしたのか尋ねると、暇だったので早く来たのだと言った。
やることがないのは僕も一緒だった。
「今眠ったとこだから、静かにしといてやろう。ちょっと外に出ないか」
僕は阿澄を誘って外に出た。
「もうひと月になるのね」
「ユキからしたら“まだ”ひと月だろうけどな」
「あなたも大変でしょうに。無理しないでなにかあったら相談してよね」
「なんのことだ?」
「とぼけてもダメ。マミから全部聞いたもの」
先日、マミが懐胎した。
阿澄はそのことをあれにして言っているのだ。
4年前イワンにあれこれ言っておきながら、僕もまた一般的な父親と同様、親になるという実感が湧かない男だった。
そんな僕に、マミは強く出ることなく普通に接してくれる。
それが逆にプレッシャーとなり、なんとなく家にいづらい日々が続いていた。
言ってしまえば、ユキの家に看病に着ているときが僕にとっても心休まるときとなっていた。
他人を心配している時間は、工場で毎日を生き延びることに必死だった頃に戻ったような気になれる。
だけど本当は、自分の人生と向き合ってちゃんと考えなければならない。
ぐずぐずと先延ばしにして、目の前のことにかかずらっている場合ではない。
わかってはいるけれども、なかなか思うようにはいかない。
「マミは倒れるまで愚痴らない人だと思うよ」
阿澄が忠告めいた口調で言った。
「知ってるよ」
「出過ぎた真似だとわかったうえで言うね。あなたはここにいるべきじゃない。マミのところで、マミの心配だけしていなさい。ユキのことは私たちでなんとかするから」
夕食を作る時間になって、僕は阿澄を家まで送り届けてからマンションに帰った。
阿澄の忠告を聞き決心した僕は見納めにユキの家を眺めた。
夕日に照らされてオレンジ色に輝く一軒家。
アンナとユキのふたりで暮らすには不釣り合いな豪邸だ。
もしもイワンが帰ってこなかったら、と想像しかけて、首を振る。
縁起でもないことを考えるのはやめよう。
帰ったらマミと話し合わなければ。
アンナとも遊んでやろう。
人生はままならないが、やるべきことは山積みだ。