出陣
いよいよ大阪遠征の日がやってきた。
三月中旬、雪はまだかすかに残っているけれども、到着する時期を見越して今の時期に出発することになった。
本格的に暑くなれば行軍の効率も落ちる。
計画では夏前に大阪に到着して、夏中を監視にあてることになっていた。
残暑の頃に引き返し、雪で道が埋もれる前に特区に帰還する。
もちろん計画通りにいくとはかぎらない。
その場合は夏と冬、とくに冬は仮拠点で過ごし、できるだけ安全策を取って人命を最優先にする。
うまくいけば今年の秋、悪ければ来年の秋頃に帰還となる。
早朝、イワンの部隊は門の前にズラッと勢揃いして、出陣の刻を待っている。
偵察だろうがなんだろうが命懸けの遠征には変わりない。
それも敵の本拠地を探りに行くのだ。
出陣の儀はまるで特区民全部隊が出撃するかのような盛大さで執り行われた。
工場班、中島班、カズヤ班全員と、シフトの警備員。
本当は特区民全員を呼びたいところだったが、あまり騒がしくしてもいけないと思ったので呼ばなかった。
「えー、それでは作戦の成功を祈って、くれぐれも健康には気をつけるよう。休憩を充分にとって、なるべくゾンビのいない道を通って偵察に行ってください」
僕は慣れないスピーチに緊張していた。
特区民の前でやるのとはわけが違う。
重大な任務の前、部隊員の不安を軽くしてやらなければならない。
「銃弾の不足に備えて各自この半年間近接格闘術を学んできたと思います。僕も前にイワンから習ったことがありますが、過信は禁物です。とくに強化ゾンビの腕力を前に、人間の格闘術など無に等しい。危ないと感じたら迷わず銃を構えてください。ユキの分析では、強化ゾンビの頭蓋骨でも拳銃弾で撃ち抜けるそうです。冷静さを失わず、狙いは正確に。みなさんが全員生還すると僕は信じています」
恥ずかしながら、部隊員のほうが僕よりも自然体だった。
彼らは整列して、僕のスピーチに耳を傾けている。
「ボス、俺たちに任せてくださいって!」
列に並んだひとりが言った。
「大丈夫ですよ、必ず敵の本拠地を暴いてきます」
「ボスは安心して待っていてください」
目頭が熱くなった。
こんなにもたくましい人々に囲まれて、守られていたのか。
僕は自分のことを心底幸せ者だと思った。
正直にいって、早く隠居したいと思うことが多かった。
特区を回す業務はペーペーの僕には重すぎる。
設立したはいいけれど、守らなければならない人数が増えれば増えるほど特区を解体してそれぞれが自給自足する生活のほうがいいのではないかと思うようになった。
無責任な話だが、僕は自信がなかったのだ。
しかし今は違う。
僕なしでも自力で偵察に行く男たちがいる。
門が開き、部隊が移動を始めた。
足取りは軽い。
ちょっと散歩に行ってくるというような足取りで、特区の外に踏み出していく。
僕はこの遠征が尋常ではない道のりであることを知っている。
おそらく戻るのは良くて半数だろう。
そんな気配はおくびにも出さず、勇ましい出陣をみせる彼らの姿に、僕は涙腺をやられてしまった。
列の中にいる田中と目が合った。
彼はにっこり笑って片手で手を振って見せた。
最後尾のイワンも、門を出る前にこちらを一瞥して頷いて見せた。
「いよいよはじまるのね」
行列が出ていき、門がしまった後マミが言った。
「俺たちはいつでもいけますよ。ゾンビの親玉がどんなバケモノでも、地の果てまで追ってやります」
カズヤが閉じきった門を睨むように見つめながら言う。
「イワン様がいなくなると警備が心配よね」
朝っぱらから濃い顔でやって来た中島は、イワンのことばかり口にした。
「私たちにできるのは、部隊が帰ってくるまで特区を守り抜くことだけです。成功を祈って待ちましょう」
希美がうまくまとめた。
見送りが済んで解散した直後、僕はユキの姿を探した。
そういえば出陣のときに目立っていなかったなと思ったからだ。
それもそのはず、彼女はいつも着ている白衣を着ていなかった。
群衆の中から彼女を見つけ出したとき、僕は再び泣きそうになった。
ユキは僕がはじめて彼女と出会ったときと同じ服装をしていた。
都市迷彩を施したロシア製の軍服。
「これ? イワンがくれた服なの。見送りに白衣じゃ格好付かないでしょ」
僕の意図を察したユキは先回りして説明した。
「悪いな。本当は僕が率先して行かなきゃならないのに」
「なに言ってるのよ。イワンなら平気、ゾンビなんかにやられる人じゃないわ」
「そうだな」
僕たちにできるのは、最終決戦にそなえて特区を守り抜くことだけだ。
時が来れば、特区民全員での大群行となる。