The cattcher in the rye
人生にはどうにもならないことがたくさんある。
たとえば月日の流れはどうやっても早められないし、縮められない。
だからこそ一日の積み重ねが後に重要になってくる。
千里の道も一歩から、だ。
次第に気温が下がっていき、雪が降る日が多くなった。
降雪量の平均値はあてにならない。
去年は大雪で特区が壊滅しかけた。
だが今年は、雪は降っても積もることは少なかった。
積もったとしても端から雪をかいて特区外に捨てていくので、道路が塞がって通れないということにはならない。
去年はできなかった特区外に積もった雪を溶かす作業も、今年は安全に行える。
たまにゾンビがひょっこり現れるけれども、基本的には特区周辺は安全が確保されている。
装置によるゾンビの排除、前哨基地、観測所の監視網は万全だ。
降る雪を窓から眺めながら、僕は思った。
こうして日一日と過ぎていく時間の流れの大切さ。
平時には思ってもみなかったが、今日の行いが明日に、明日の行いが明後日にと連続していて決して無為ということがない。
「どう、積もりそう?」
書斎から出てきたマミが言った。
彼女は寒さ対策に厚手のカーディガンを羽織っている。
「なんとも言えない。降ってきたばかりだから」
雪がやみ晴れたかと思うと、また思い出したかのように雪が降る。
合間に晴れるので陽光が雪かきをしてくれるとはいえ、こう断片的に降られると気分が滅入る。
毎回降雪のたびに積もるか積もらないかを心配しなければならない。
都内でこれなのだから、都外は新潟遠征時のときのように膨大な量の雪で覆われているに違いない。
昼過ぎに、僕は支度をして門に向かった。
ゾンビを撃ちに行くのだ。
定期的に行っている見回り。
新人の教育も兼ねて同行しているが、どんな仕事でも筋がいい者とそうでない者でハッキリ分かれる。
集合している警備員たちを見たとき、今日は外れだなと思った。
銃を手に立っている姿に覇気がない。
「おはようございます!」
警備員のひとりが言った。
警備員たちはいつ何時でも「おはようございます」と挨拶をする。
芸能界でもおはようございますと挨拶するらしい。
「おはよう、今日の見回りは短時間だから、さっさと済ませよう」
門が開く。
僕は村上とともに先頭に立って歩いた。
「ユキさんの装置ができてから平和なもんですね」
村上が言った。
「油断するなよ、例の河童事件は知ってるだろ」
「狩人が何人も殺られた事件ですね」
「前哨基地までの道は子供でも通れるくらい安全だが、その先は依然魔窟だ」
「肝に銘じておきます」
どこまでも続く廃墟。
雪とあわせて見てみると、幻想的に感じられなくもない。
ゾンビが潜んでいる可能性さえなければ絵になる光景だ。
前哨基地をこえ、僕たちは街の奥へ奥へと進んだ。
ゾンビの姿はなく、たまに見かけても行き倒れて動かなくなっている死骸だけだ。
これでは訓練にならない。
ある一郭に差し掛かったとき、僕たちから40mほどの地点に1体のゾンビが見えた。
雪の中をのそのそ歩行しているゾンビだ。
後ろからついてきていた新人を呼び寄せて、銃を構えさせる。
「落ち着いて狙え。この距離なら充分に余裕がある」
「はい、やってみます」
新人は89式小銃で狙いをつけて、頭部めがけて単発で射撃した。
銃弾は外れ、音に気づいたゾンビが方向転換する。
「僕たちがついてる。絶対に噛まれることはない」
次いで射出された銃弾が頭部を撃ち抜き、ゾンビは仰向けに倒れた。
「よくやった、お手柄だ」
「ありがとうございます!」
彼は新人ではあるが四十に手が届きそうなおっちゃんである。
特区の高齢化は仕方のないこととはいえ、四十歳の新人を教育するのは骨が折れる。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
マンションに戻ったのは夕方だった。
「どうしたの、浮かない顔をして」
マミが言った。
「人生に悩んでいるのさ」
「ああそう」
気のない返事だった。
「ああそうってのは酷いだろ」
「今更人生相談もないでしょう」
僕は革ジャンを脱ぐと、部屋着に着替えてソファに腰掛けた。
熱い紅茶が淹れてある。
火傷しないよう慎重に口へ運びながら、僕は考えた。
「あいつ元気にしてるかな」
「どいつ?」
「ほら、大学にいた眼鏡の、たしか名前は吉村とかいった」
「ミスに選ばれた子?」
「そう、その子」
ミスK大に選ばれた吉村。
大学では有名人だった。
ミスに選ばれただけでなく、小説のなんとか賞を獲った。
「なに、吉村さんのことが好きだったって言いたいの?」
「そんなんじゃないさ。ただ……」
「ただ、なによ」
「あのとき僕は素直に凄いなって思えなかった。嫉妬したんだ。同い年なのに僕と彼女とでは天と地の差があることを感じていた。僕だって頑張ってるのに、なんで彼女だけいい思いをするんだって思った。今日ゾンビを仕留めた新人を褒めたとき、吉村はゾンビを撃ち殺すよりもよっぽど凄かったんだな、って唐突に浮かんだんだ」
「だけどきっと吉村さんはもう……」
マミは目を伏せた。
「わかってる。感傷的になったんじゃない。実を言うと、どう思ってるのか、自分でもわかんないんだよ。僕にわかってることといえば、話に出てきた連中がいまここにいないのが寂しいということだけさ」
「ライ麦畑でつかまえてね。誰にもなんにも話さないほうがいいぜ。話せば、話に出てきた連中が現に身近にいないのが、物足りなくなって来るんだから」