女心と秋の空
女心と秋の空、男心と秋の空。
秋の空からしたら迷惑な話であるが、人間の心はしばしば秋の空にたとえられる。
移り気なことを指す言葉あだけあって、秋の空模様は変わりやすい。
今にも雨が降り出しそうな曇天となったその日、僕たちは高尾に向けて出発した。
「肩慣らし」も兼ねてイワンの部隊も同行することになった。
イワンの部隊がいれば僕は参加しなくてもいいような気がするが、約束していたのでついていくことにした。
僕やユキは軽装だが、他の隊員たちは大阪遠征の訓練で重装備をしている。
荷物はひとりあたり35kg、加えてゾンビが入っている車輪付きの檻を数人で押している。
ユキの他にも研究者が参加している。
彼らは騒動時大学生や大学院生だった。
現在はユキのもとで学んでいる。
研究者たちは多少ぎこちないのを除けば、万全の状態で臨む特区外活動だ。
イワンの部隊員の実力は特区にいる全警備員に匹敵する。
それが半数も参加しているのだから、これで対処できなけければ特区が滅びるほどの危機ということになる。
つまり今日の遠征は、問題が起きたとしても即座に対応できるような安心安全の遠征だった。
ちなみに田中も参加している。
僕は隊列の先頭で、田中と並んで歩いていた。
彼はAK-12、僕はAKMを携帯している。
「そういや台風のときに台風飲みをしたんだけどよ、台風みたいにぐるぐる酔っ払ったぜ」
僕は先日の台風飲みのことを田中に話した。
「俺も呼べよお」
「だってお前訓練中だったろ」
「抜け出して行ったのによお」
えらく冷え込んでいた。
吐く息が白い。
秋だと言うのに真冬のような寒さだ。
朝起きたときに気温の低さを感じて防寒具を着込んできたが、それでも足りなかった。
視界をなにかが横切った。
道の端から端へ、横に黒い影が動いた気がした。
「今の見たか?」
「見えねェ」
田中は見逃していた。
はじめは僕も見間違いかと思った。
けれどもしばらく進むと、また影が横切った。
「気味が悪いな」
「俺には見えねえけどなあ」
「あっ、あそこだ!」
引き金を引くも、銃弾は影の後方をなぞるように着弾した。
速すぎて当たらない。
「いまのはさすがに見えたよな?」
「ああ、なんだあれ」
「トラブル?」
後方の部隊から銃声を聞きつけてやって来たユキが言った。
「いや、よくわからないんだが、膝くらいの高さしかない生き物がさっきからうろうろしてる」
「新種かしら?」
「逃げ足の速さから察するに、人間じゃなさそうだ」
「ちょうどいいわね。ここで待機しましょう」
そう言って彼女は檻のところまで行き、拘束してあるゾンビを解放した。
ゾンビははじめ不審がってその場を動こうとしなかったが、ユキがなにやら手元の装置を弄ると、のろのろ歩いて路地に消えた。
ゾンビの腰には縄が巻きつけられていて、檻に固定してある。
長さはせいぜい100mほど。
縄がピンと張るまで時間はかからなかった。
「行きましょう」
ユキが言った。
部隊員数名を檻の傍に残して、僕、田中、ユキは縄をたどっていった。
縄はピンと張られたまま動く気配はない。
「もうそろそろね」
「気味がわりいよお」
角を曲がったところに解き放ったゾンビがいた。
先ほどうろうろしていたモノらしき小型の生き物を抱いている。
ガリガリに痩せたミイラのような人型の生き物だ。
「戻りましょう」
ユキは言って、解放したときと同じ要領で装置をいじった。
僕たちが引き返すと、ゾンビは大人しくあとをついてくる。
なんというか一番不気味なのはユキである。
「鷹狩みたいなもんよ」
彼女は言った。
「鷹でさえ訓練すれば言うことを聞くのに、ゾンビが手懐けられないはずないわ」
マッドサイエンティストの口ぶりであった。
さて僕たちは檻に戻って、ゾンビを拘束し直した。
小型のヤツは既に息絶えていたので一緒に檻に入れておいた。
胃がシリコンで塞がっているゾンビが食べてしまう心配はない。
「小さいゾンビ、ゲットだぜ!」
ユキは言った。
僕は力なく笑った。
ひとまずは収穫があったといっていいだろう。
ゾンビを操ることに成功し、新種も捕獲できた。
行きたまま捕獲できなかったのは残念だけれども、贅沢は言っていられない。
「ボサっとしてないで行くわよ、立った立った!」
ユキにうながされて立ち上がる部隊員。
あの旦那にしてこの妻ありか、もしくは逆か。
僕たちは再び高尾駅を目指して歩いた。
檻の中のゾンビは座っているだけでいいのだから楽なものである。
たまに外に出されても、縄の伸びる範囲しか歩けないのだから疲れない。
ユキは実験をするとだけ言っていたので詳細は知らないが、鷹狩ならぬゾンビ狩をするのが今回の目的なのだろうか。
毎度のことながら彼女の秘密主義には困ったものである。
機密漏洩を心配して隠しているのかもしれないが、信用してもらいたいものだ。
まさか僕たちにすら悪印象を与えないようにしているわけではあるまい。
今更彼女の実験の本質を聞かされたところで、ユキのことを嫌いになったりはしない。
女心と秋の空、女心とは不思議なものである。




