すぐに準備できればいいけどできないのさ
わお、これはグロいなと僕は思った。
特区周辺の危機が去った今、ユキはさらに広範囲のゾンビを殲滅する作戦を提案した。
イワンの部隊が遠征するときの手助けも兼ねて、山梨県側にいるゾンビを一掃する。
しかしゾンビたちも賢く立ち回るようになっている現在、銃を持って走り回るだけでは効果が薄い。
そこでユキはゾンビに発信機をつけ、巣を暴き出す案を提示した。
ゾンビの統率力は増している。
どこかに巣のような隠れ場があると考えるのはごく自然な流れだった。
だがゾンビを手懐けることなど可能なのだろうか?
方法が気になった僕は彼女の研究所を訪れた。
高尾駅あたりで捉えた比較的あたまが良く丈夫そうなゾンビが拘束してある。
拘束しているといっても、暴れているわけではない。
薬で眠らせているのだ。
特区周辺にいる賢いゾンビは全滅だから、捕まえようと思ったら遠出しなければならない。
人員の入れ替わりがあり、未だ多くが訓練中の警備員は遠征と聞くと尻込みした。
必然的に手が開いている上層部が確保に付き合うことになる。
今捉えられているゾンビを捕獲したのはマリナと梓だった。
ゾンビの凶暴性は把握済みだ。
基本的に彼らが人を襲うのは食事する目的でだが、それ以外でも人を見かければ襲いかかる。
けれどもたとえゾンビといえど、動物であることには変わりない。
満腹になれば動きが鈍くなり、判断能力も落ちる。
それなら手っ取り早く常時満腹にしてやればいい。
そう言ったユキはゾンビの胃にシリコンを流し込んだ。
胃が満たされると今度は顎の骨を叩き割って閉じなくした。
彼女の手際の良さには毎度驚かされる。
ドラマ版のハンニバル・レクターのような冷徹さで淡々とゾンビを「改造」していく。
ゾンビの脳に電極を差し込んでビリビリやったあと(何をしているのかは謎)ユキと僕は休憩がてら昼食をとった。
台風が過ぎ去り、残った爪痕も大方が復旧した頃の出来事である。
「ゾンビいじりは飽きないわね」
「土いじりみたいに言うんじゃない」
室内は整頓されている。
少なくともマミの書斎よりは綺麗だ。
ユキはよくいる研究者タイプとは違い、研究以外に興味はないという感じではない。
「実験は上手くいきそうか」
「おそらくはね。もしもなにもかも上手くいったら、高尾だけじゃなくて山梨県にかけてのゾンビを撃滅できるわ。そうなれば遠征隊は甲府までなんの攻撃も受けずにたどり着ける」
「甲府までじゃ心もとないな」
ユキの計画はゴキブリ退治の手法と似ている。
毒を食らったゴキブリが仲間の元に戻って死に、その死骸が仲間のゴキブリを殺す。
「ゴキブリ扱いは失礼よね。ゾンビとはいえ生きてるときは人間だったんだから」
「じゃあなんて呼ぶんだ?」
僕は冗談めかして尋ねた。
「天使なんてどうかしら」
「君はエンジェルメーカーってわけか」
「そうなるわね」
仮に世界が普通だったら、ユキはどんな女性だっただろうかと考えた。
彼女は好奇心旺盛で知能も高いが、集団生活に馴染むタイプではない。
よくてお定まりの結婚生活、悪ければ犯罪に手を染めて懲役もしくは死刑か。
歴史にifはないと言われるように、現実にもifは存在しない。
なぜなら現実もまた歴史の一部だからだ。
ユキはこんな人間だからこそ生き延びた。
こんな人間ではないユキなど存在しないのだ。
「私の見立てではね、ゾンビはなんらかの方法で知識や経験を共有してる。あなたの言ってた他のゾンビを操るゾンビがハブの役割をしているのかもしれない。これは脅威だわ。人間にはできないことをやっているわけだから、その点だけで言えばゾンビは人間の上位種かもね」
「笑えないな」
それから午後の実験にも立ち会って、帰る間際になってユキが言った。
なんでも明日高尾まで行って試したいことがあるのだという。
警備員を連れて行くつもりだが、念のため僕にも同行してほしいらしい。
「かまわないけど、別に僕じゃなくてもいいんじゃないか」
「まあ誰でもいいといえばいいんだけど、ほら、やることがやることだから」
なるほど、言いたいことはわかる。
ユキはこう見えて体面を気にする。
本人は隠しているが、特区の人に「魔女」と呼ばれるのは嫌だそうだ。
特区への貢献度でいえば、今ではイワンよりもユキに軍配が上がる。
そんな彼女がノイローゼにでもなれば、僕の責任だ。
「わかった、同行しよう」
外に出ると、ちょうどマミとアンナが帰ってくるところだった。
実験の最中はマミに子守を頼んでおいたのだ。
僕はマミと一緒にマンションへ帰った。
大きな計画の準備が着々と進む中でも、日は一日ずつしか進まない。
焦りは禁物だ。
事態がどう転ぶにせよ、なるようにしかならないのだから。