田中を慰める
傷ついた田中を慰めるのは、ボスの仕事だ。
彼は最愛の人を失ったショックで、毎日墓参りをし、墓を見て泣いた。
「田中、ちょっと付き合ってくれ」
墓の前にたたずむ彼に、後ろから声をかけた。
田中は黙って頷いた。
僕と田中は二人きりだった。
ボディーガードはもう必要ないのではないかと思い置いてきた。
特区を立て直す真っ最中に、ボスの座を奪って責任をかわりに背負う物好きはいない。
付き合ってくれと言ったが、どこに行くかは決めていなかった。
通りを眺めながら歩いていると、特区設立に関わるいろいろな記憶が蘇ってくる。
あるとき田中は、いつ終わるとも知れない対ゾンビ生活に辟易して言った。
「ゾンビになっちまったほうが楽かもしれない」
だが、ゾンビと戦うときに一番活き活きするのも彼だった。
愛用の日本刀は使えなくなって久しいけれども、肉弾戦をこよなく愛し、イワンの特訓に好き好んで参加していた彼だ。
イワンの特殊部隊への参加を、上層部だからという理由で断られたときには、悔しさのあまり月に向かって吠えていた。
閑散とした道路を歩きながら、僕は尋ねた。
「ゾンビに復讐できるとしたら、したいか?」
「そんなことができるのかよお」
「ゾンビを仕切ってる奴の所在が知れた」
田中は立ち止まった。
僕も止まった。
「どこだ?」
彼の瞳は怒りで燃えていた。
「大阪だ。イワンが下準備をしてるが、おそらくこれまでにないほどのきつい旅になる」
「お前は行くのか?」
「僕は……まだ決めかねてる」
特区に攻めてきたゾンビ二万体を率いるゾンビの親玉だ。
本丸にはそれ以上の数を揃えているに違いない。
あるいは揃っていないとしても、狙われると知れば日本中のゾンビを一箇所に集めることだってできるかもしれない。
約千人の特区民が二万体のゾンビに太刀打ちできたのは、周到な準備があったからこそだ。
それでも甚大な被害を被った。
多くの勇敢な特区民を失った今、最低でも二万体はいると思われる敵本陣を叩く力は残されていない。
イワンの行っている下準備は偵察の準備だ。
青年ゾンビの言ったことが正しいかどうかを確かめに行く。
確かめるだけとはいっても、東京から大阪までをほとんど徒歩で往復するのだ。
平時でさえ厳しい道のりを、ゾンビどもがウロウロしている中を通って行くとなれば死路を行くに等しい。
「俺は行くよお」
田中が言った。
「ゆっくり考えてから結論を出しても遅くはない」
「いや、俺は行きてえのよお……」
田中の目は本気だった。
「そこまで言うなら僕は止めない。橋部のバーで一杯やろう」
近くを通りかかったので、僕たちは橋部のバーに入った。
準備中の札が掛けられていたけれども、掃除していた橋部が田中の顔を見ると、快く招き入れてくれた。
田中はしたたかに飲んだ。
この世に蔓延るゾンビを飲み尽くすかのような鯨飲をした。
そして天地がひっくり返ったかのような酔い方をした。
彼は着ていたものをすべて脱ぎ捨て、拳銃を天井に乱射した。
止めに入ろうものならグリップで殴りつけられた。
撃ちまくり、弾がなくなると全裸のまま座って飲み泣いた。
「これは毒を出しきったほうがよさそうだな」
「毒を食らわば皿までか……」
僕と橋部はコソコソ話した。
「田中、彼女ってのはどんな人だったんだ?」
僕はあえて直球で尋ねた。
「いい子だったよお、器量が良くて、目が大きくて、よく笑う人だった。俺といると楽しいって言ってくれたんだよお。だから俺はいつも“楽しいやろ? おもろいやろ?”って彼女と話してたんだ……」
彼の口ぶりは、ガキの使いの破天荒ココリコ田中でやっていたのとそっくりだった。
「みんなを呼べェ!」
田中は急に叫んだ。
もはや自分が何を言っているのか自覚していない様子だ。
髪を振り乱し、ひたすら最愛の人の名前を呼んで(なぜか毎回名前が違った)いた。
僕はふとあることを思った。
いや、本当はそんなことを思うべきではなかったのだろうが、実のところ田中の彼女を知っている者は田中以外にいない。
即死したという情報を聞いたのも田中からで、埋葬も彼ひとりがやった。
ボディーガードも誰ひとりとして田中の彼女を直接見ておらず、密会は常に二人きりだったという。
「田中、彼女はどんな人だった?」
「いい子だったよお、器量は良くなかったが肌が白くて、感情豊かな人だった……」
「名前は?」
「サトコ……」
「歳は?」
「二十六……」
十五分後に同じ質問をした。
「名前は?」
「サヤカ……」
「歳は?」
「二十三……」
あっ(察し)




