窮地は脱したけれども課題が残る
青年ゾンビの存在はごく一部の者しか知らない極秘事項となっているので、定期的に作戦本部へ顔を出さなければならなかった。
どこでなにをしているのか、調べようと思えば簡単に調べられる。
マミも薄々感づいているようで、特になにも聞かれなかった。
戦闘が終わった今でも、マンションのフロントには作戦本部が敷かれている。
復旧のための人員を配置して、警備も通常のシフトに戻っている今、作戦本部の役割は少ない。
それでも解散せずにおいたのは、もしまたゾンビが攻めてきたらという特区民の不安を解消する目的でだ。
だから作戦本部といっても、残っているのはマミや希美、中島などのメンバーで、彼らも暇を持て余しているようだった。
「おかえり、今日は早いのね」
マミは椅子に座って編み物をしていた。
「そんな日もあるさ」
僕はコーヒーポットのところへ行って、コーヒを淹れた。
ジェスチャーで皆に飲むかどうか尋ねると、全員首を横に振った。
一人分のコーヒーを持って、テーブルに持っていく。
街には陰鬱な雰囲気が漂っていた。
特区内の安全確認が終わり、観測所を引き上げ、前哨基地からゾンビの目撃報告が途絶えた今でも、ショックが忘れられないのか多くの人が怯えていて、活気が失われていた。
前は道に並んでいた屋台も、営業できる雰囲気ではないため一軒も出ていない。
皆が皆、傷跡を癒やすのに精一杯だった。
「田中は? 上で寝てるのか?」
「彼女のとこへ行ったわ」
「そうか……」
田中と付き合っているという女は、ゾンビの侵入を許したとき逃げ遅れて帰らぬ人となった。
それが分かったのは戦闘が終わる前で、タワーマンションに田中が駆けつける道中で救助に行くと、既に冷たくなっていたのだという。
即死だったのがせめてもの救いだ。
田中は彼女のために墓を作って、毎日見舞いに行っている。
体の傷と違って、心の傷は目に見えない分厄介だ。
「バリケードを剥がすか。暗くて仕方ない。バールを取ってくる」
窓に打ち付けられた木板をベリベリ剥がしながら、僕は考えていた。
青年ゾンビはなかなか口を割らない。
タイムリミットは明日。
それまでになにも吐かなければ、イワンが問答無用で撃ち殺すだろう。
これだけの被害を受けたのだから、なにか聞き出さなければ割にあわない。
そんな気持ちが神経を高ぶらせ、焦りを生んだ。
仕事でもしていないと落ち着いていられない。
じっとしていると、救えなかった人々の顔が浮かんでくるのだ。
立川特区は、もはや特区とは呼べない規模にまで縮小してしまった。
生き残った者の多くは負傷していて、重労働には就けない。
畑や池、水路、発電施設は壊されなかったから、村規模の人数を養うのには問題ない。
しかし一度築き上げたものが無に帰したのは、精神的ショックが大きい。
「これで少しは明るくなったろう」
木板を剥がし終えると、バールを傍らに投げ、椅子に着いて冷えたコーヒーを啜った。
我ながら落ち着きのない動きだと思う。
いっそのことなにもかもうっちゃって、楽になりたかった。
「今日飲みに行かない?」
中島が言った。
行ってもいいか、と僕は思った。
この局面で、優しい警察役の僕に出番はない。
三日間尋問したが、僕が青年ゾンビの部屋に入ったのは二度だけだった。
あとはイワンに任せておけばいいだろう。
「橋部のバー? たしかゾンビが入ってきて火事になったんでしょ。晴海から聞いたわ」
マミが言った。
「それが隠し倉庫に上物を蓄えてたのよ。橋部が警備員とコソコソ話してるのを盗み聞きしたの。今日からオープンするって言ってたわ」
「そりゃいい。よし、行こう」
「決まりね。マミちゃんはどうする?」
「私は行けないわ。みんなが出払ったら本部の仕事はどうするの」
「心配しないで行ってきてください。本部には私が残りますから」
希美が言った。
「希美だけだと大変だろう。夜には香菜も起きてくるだろうから、番を頼もう」
夜勤続きだった香菜は、生活リズムを整えるのに苦労していた。
「でも、悪いわ」
「なに言ってるんですか、マミさんがいたからこそ、この程度の被害で済んだんですよ。一番の功労者が休まなくてどうするんですか」
「そうかしら?」
「そうよォ、今日はみんなでパーッと飲みましょう!」
マミは希美と中島の口車に乗せられて同意した。
峠を越した今、休めるときに休んでおかねば。
またいつ事が起こるか知れない。
敵に勝つたびに宴をやる海賊がいるように、何事も緩急が大事なのだ。
三段論法。他人は死ぬ。しかしぼくは他人ではない。
ゆえにぼくは死なない。――ナボコフ『青白い炎』




