囚人のジレンマ
囚人のジレンマは、言わずと知れた両刀論法である。
二人の囚人を用意して、別々に拘束する。
自白するよう言い、もう一人の囚人より早く自白すれば刑期はチャラにすると迫る。
他にも諸条件あって、囚人にとって最も合理的な判断は、両者とも喋らないこととされる。
この実験のことを考えるとき、たいていの人は自分を囚人側に置いて考える。
ジレンマたる所以を考えれば当然だが、このゲームのキモは囚人と尋問者の関係だ。
つまり尋問者は、最初から自白をうながしている。
我が身可愛さに仲間を見捨てて自白するかどうかを試しているのである。
だから囚人のジレンマを利用して尋問する際には、馬鹿正直に諸条件を守って、自白するのを待つ必要はない。
とことん揺さぶりをかけてやるのだ。
標的はお喋りな青年ゾンビに決まった。
彼の求めるところは把握している。
このゲームでは、自白の見返りに何を与えるかが重要になってくる。
青年の場合は特区の居住権だ。
「僕にもやらせてくれ」
夜、イワンが言っていた廃墟に行くと、かがり火を灯した室内に部隊の姿があった。
現在、彼らのほとんどは休んでいる。
窓際には見張りがいて、狙撃銃を構えている。
「昼のうちに探りを入れてみたが、もう一人はダメだな。得体が知れない」
「僕にも見せてくれ」
首謀者らしきゾンビが拘束されている部屋を覗く。
仮設のドアにマジックミラーが嵌めこまれていて、直接入らなくても姿を見ることができた。
廃ビルのフロア、真ん中の椅子に括りつけられているゾンビは、異様な風体をしていた。
黒焦げのように真っ黒な体に、眼や鼻のない顔。
口だけが大きくぽっかりと開いている。
身長は青年の同等。
170㎝くらいだろうか。
体格はひょろひょろで、触れば折れてしまいそうなくらい腕が細い。
部屋にも明かりが灯してあるのだが、ゾンビは光を嫌うようで、顔をそむけていた。
目がないのに光を嫌がるそぶりをするのは、不気味という他ない。
「会話はできそうだったのか」
「一応は。要領を得ないがな」
「なら標的はアイツしかないな」
「ああ、これが昼間奴に話した内容だ」
紙に書かれたものを読み、青年ゾンビが拘束されている部屋に入った。
「これはこれは、お久しぶりです。戦勝祝いをしていると聞きましたが、わざわざお越しいただいですみません」
椅子に縛り付けられているというのに、余裕のある声だった。
彼はゾンビだから疲労など感じないのかもしれない。
「なに、君がいたからこその勝利だ。本来なら君が主役として祝いの席にいなきゃならん」
「そう思うのでしたら、どうかこの縄を解いていただけませんか」
僕は自分の分の椅子を持って彼の前まで引きずっていき、正面に座った。
「そうしてやりたいのは山々なんだが、相方がうるさくてね」
「巨漢の彼ですか。あなたからも説得してくださいよ。私はあなたがたの勝利のために尽力したというのに、この仕打ちは酷い」
「まったくだ。でも相方の言っていることも正しいように思える」
青年の口が一瞬止まった。
だがすぐに動き出す。
「なにが正しいと思うんです?」
「昼のうちにもう一人が喋ったそうだ」
「なにを喋ったというんです」
「さあ、それは聞かなかったな」
青年ゾンビの顔色は常に悪いので、意図が読めない。
ただし言葉には焦りの色が浮かんでいた。
「もしや約束を反故にするつもりじゃありませんよね」
「すまん、時間だ。あとは相方と話してくれ」
「待ってください!」
青年が呼び止めるのを無視し、部屋から出た。
「台本通りにやってきた、食いついてるぞ」
「五分後に俺が行こう」
イワンは手元の時計を見て言った。
計画はこうだ。
首謀者のゾンビが協力的で、青年がやったという誘導はすべてこのゾンビがやったのだと話していると青年に告げる。
青年に誘導の手順を細かく話すように言い、話したところでそれが事実とは違っていると詰め寄る。
逆に首謀者の言い分のほうが筋が通っているという設定で、青年に揺さぶりをかける。
ここで首謀者の望みが特区に住むことだと青年に教える。
本当のことを言った方を解放し、嘘をついたほうを殺すと言う。
たとえ作戦の首謀者だったとしても、特区に被害が出ていない以上、有益な情報をもたらすのであれば望みを聞くとも言う。
青年は食いつくだろうか。
食いついてもらわなければ困る。
イワンが部屋に入る時間がきた。
上記の内容にプラスして、良い警官・悪い警官の戦略でいく。
室内から早速イワンの声が聞こえる。
味方である僕まですくみ上がるほどの大声で、ゾンビを脅迫している。
なまじ相手に知能があるだけに、面倒な手を使わなければならないのは遺憾ではあるが、敵の作戦や思惑を聞き出さなければ、特区にいる人たちはいつまで経っても安心して眠ることができない。
交代しながらの尋問は朝まで続けられた。