An Die Freude
後学のために尋問に立ち会うことにした。
けれどもイワンは、いつまで経っても尋問室に入れてくれなかった。
2フロアぶちぬいてこしらえたという射撃場兼尋問室。
主にアンナとユキが使用するという部屋に、今は捉えた自衛隊員が拘束されている。
名前を二宮将吾というらしい自衛隊員は、前哨基地で多くのことを喋った。
すべてノートにまとめられ、移送されるときにイワン邸へと運ばれた。
僕の手元にあるのがそれだ。
ペラペラとめくると、どうでもいい内容と一緒に、重要と思われる内部情報まで記されている。
彼が暴露したところによると、三沢基地で内部抗争が勃発し、住民と隊員がいくつものグループに別れてバラバラに散ったうちの一つが、大滝根山の分屯地を居城としているのだそうだ。
人員は1000名余。
特区へ移住した者の多くも、もとは分屯地の構成員だった。
構成員といっても、兵隊としての訓練など受けていない一般人、ゾンビの相手も銃を持った自衛隊員がしていたらしい。
ノートには分屯地の鳥瞰図から警備の配置まで細かく書かれていた。
はじめ三沢基地にはヘリコプターや戦車といったものも置かれていたそうだが、現在は使われていないという。
何が信じられないかというと、これを二宮が拷問もされずに語ったということである。
防音パネルで囲ってあるという尋問室からは、大音量の音楽が聞こえてくる。
An Die Freude、歓喜の歌。
寝かさないためだというが、いくらなんでも音が大きすぎやしないか。
「あら、来てたの」
研究室からユキがアンナを連れて出てきた。
「アンナ、おじちゃんにご挨拶しなさい」
「こんにちは、後白河おじちゃん」
僕は後白河ではないし、おじちゃんという歳でもないのだが、アンナに罪はない。
「こんちには。お勉強かい?」
「ううん、今日はお休み。実験の手伝いをしたの!」
ギョッとしてユキの顔を見た。
彼女は「なに見てんだ」という顔で見返してくる。
「フツーの化学反応を見せてただけ。やましいことはしてないわ」
「それを聞いて安心したよ」
「イワンはどこ?」
ユキが言った。
「必要なものを取りに行くとかで、物置まで行ってる。どこの物置かは言わなかったな」
「尋問に立ち会うんでしょ? たぶんもう二、三日待ってからのほうがいいわ」
「そんなに長い間あれを続けるのか?」
「そうよ、頭を使えなくしなきゃ意味がないもの」
しかし頭を使えなくして、細かい数字や配置がいくつも書かれたノートと照らしあわせて尋問するなどできるとは思えない。
睡眠を妨害し、薬まで使って、ろれつが回らなくなれば会話すらできないではないか。
「意外とマッチョだったし体力はあるでしょ」
そう言ってユキは笑った。
「だけど見てくれ、こんなにたくさんノートがあって、字も読めないようになったら困るぜ」
「あのね、字なんか読む必要はないの。聞きたいことを聞けばいい。ぼうっとしてるときに嘘なんかつけないし、ついたとしてもすぐバレるようなものしか言えないようになってるから、ニ、三日待つだけでいいのよ」
これを一児の母親が言っているのだから恐ろしい。
しかも22歳である。
「あの選曲はなに?」
僕はずっと気になっていたことを質問した。
「イワンが適当に見繕ってきたやつの一枚よ。今朝はやかましいクラブミュージックかなんかがかかってたけど、うるさいから別のにしてって私が言ったの。そしたらあれになった」
眠れずに一晩中、喜びを讃える歌を聞かされるのはどんな気分だろう。
きっと死にたくなるに違いない。
「それじゃニ、三日経ってからまた来るよ。イワンにも伝えといてくれ」
「送るわ。トラップを解除しなくちゃいけないし」
歩いて数秒の距離を、何分もかけて移動してようやく道に出た。
これだけ多くの罠が仕掛けてあって、アンナはスムーズに移動できるのだろうか?
子供が銃で遊んでいて事故を起こしたという事件は結構多い。
アンナにかぎって、そんなことは起こるはずもないか。
あれでいてユキやイワンは銃の管理を徹底しているし、彼らにとって銃は遊ぶ道具ではない。
それは身近にいるアンナにも伝わっているだろう。
「子供か……」
僕は独り言を言った。
最近リビングのテーブルに大昔のマタニティ雑誌が置かれているのを見た。
古典的なアピールだ。
それにしても大昔のものをわざわざ持ってきて、テーブルの上に置くなんて見えすぎたことをやるほどまでに、マミは切羽詰っているのだろうか。
いつかは考えなければならないと思っていたが、ようやくその時がきたという感じだ。
結婚適齢期のど真ん中にいて、「そんなことは考えてませんでした」とはいかない。
マミのことを思うのなら、決断は早ければ早いほうがいい。