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パワハラの末路

八月の酷暑のさなか、三名の自衛隊員はもと来た道を引き返した。

浦安市に到達するまでに銃弾を節約できたのは、長田と杉浦のベテラン隊員がいたおかげだった。

彼らは普通科部隊に所属するごく一般的な隊員だったけれども、このゾンビ・パニックにいち早く順応し地位を高めた切れ者だった。


ゾンビの首をナイフで切り裂く技術に長けていて、数体であれば音もなく近づいて無力化できた。

平隊員だった三名にはそれができない。


彼らの名前は現時点で問題ではないので、仮にABCと番号を振っておく。

長田と杉浦を撃ったのがABで、重火器を申請するべきだったと言ったのがCである。

Cは平生無口な男だった。


往々にして腕が立つ男とは無口なものである。

沈黙は金、雄弁は銀というが、Cの寡黙は希少金属プラチナ位の価値がある。

特区のバリケードの隙を突いて、穴を開け分隊を侵入させたのも彼だった。

漆喰やモルタルで塗り固められている壁を突破する際、Cが用意した油圧ウェッジが大いに役立ったのだ。


彼は困惑していた。

少ない武装でホットスポットを通るのは無謀だと感じていた。

茨城県を通るにせよ、道中の戦闘は避けられない。

だが分屯地を目指すべきだという案には反対ではなかった。


特区の連中は野蛮で危険だから、そうするしか道はないと思っていた。

提案もなく、ABが上官の二人を撃ち殺した。

撃ち殺すだけの理由がないと内心でいきどおった彼は、自然と離反をたくらんだ。

しかし特区までの道のりは長く、孤立しては到底たどり着けないだろうことは彼にもよく分かっていた。


ここは協力するふりをして、機を見て逃げ出そうと密かに荷物をまとめた。

日中気温が馬鹿みたいに上がったせいか、午後になって夕立が降ったその日、三人は朽ちたアパートの屋根の下で休息を取ることにした。

近場のコンビニまで歩いて行って、Cが見張りをしている中、ABが食料を掘り出してきた。

コンビニは既に跡形もなく崩れ去っていたので、地面に埋まった缶詰から状態のいいものを見繕みつくろった。


「もっと別の店から盗めばいいのに」

Cはこう思いながらも、一面では

「これじゃ野党と変わらない」

とも思っていた。


この時代には珍しく、彼は盗みを嫌う性質たちだった。

自分がやっているのはあくまでも任務で、自衛隊員としての誇りを失ってはならないと常日頃から心に言い聞かせていた。


三人は無言のまま缶詰を食らう。

分屯地のカレーが恋しいとCは思った。

ABが盗ってきた缶詰はことごとく腐りかけていて、とても食えたものではなかったが、美味そうにがっつくABの手前「不味いからいらない」と言い出せないCは、無理をして完食した。

「こんなものをよく食えるな」

Cはそう思いながら、こみあげるものを我慢した。


夜半、傷んだ食料を無理して食ったものだから、Cの腹がギュルギュル鳴る。

ズキズキする腹を抱えて、彼は表に出た。

ABのうちAは眠っておらず、目をあけて彼が出て行くのを見送った。


「護衛してくれ」とCは言わなかった。

いくらなんでも腹痛で苦しんでいるのを同僚に見られたくはない。

それを察してかAも自ずからついてこなかった。


草むらで用を足しているとき、Cは死んだ二人の顔を思い出していた。

横暴で気が利かず、命令するだけでいけ好かない先輩だと思っていたけれども、いざいなくなってみると、妙な心細さがある。

「不安だ……」

そのとき彼の腹は猛烈に痛んだ。


痛みと闘いながらも、Cは決して視線を下に向けない。

自分の身は自分で守れという分屯地の方針で、いかなるときも警戒を怠らず、周囲を見張る癖がついていたからだ。

だからこそ彼は腹が痛んでいる最中でも、前方50mを歩く人影を見失わなかった。


「気味が悪いな」

人影は明らかに生きた人間のものではない動きをしていた。

そもそも明かりもないこんな場所を、ひとりでうろついている生存者がいるはずがない。


ゾンビが近くにいるという緊張のせいで、Cの腹はなかなかよくならなかった。

それどころか側頭部がズキズキと脈打ち、具合が悪くなってきた。

まるで新米兵士のように情けなくビビる自分に活を入れるべく、彼は心持ち尻をあげて踏ん張る。



楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽



Cが腹痛と戦っていたのはほんの三十分程度の時間だったが、ゾンビを見かけたと報告しなければならないと感じていた彼は、大急ぎでABのもとへ走った。

朽ちたアパートの割れた窓からは、若干の明かりが漏れている。

夕方に立てかけておいた木板が倒れていた。


Cは木板を持ち上げた。

音を出さないよう慎重に抱きかかえ、もとあった位置に戻そうとした。

もとあった位置が窓の傍なのだから、彼は窓の傍に近づく。

すると中の様子がチラと見えた。


Aと、いつの間にか起きていたBが直立して、壁に頭を打ち付けている。

打ち付けるといっても、勢い良く叩きつけるといった感じではなく、触れるか触れないかの微妙な動作を反復している。

Cは謎の行動ではなく、ふたりの表情にゾッとした。


目はうつろで口を半開きにして、ひたすら頭を動かしている。

「これはただ事じゃないぞ……」

彼は木板を立てかけると、忍び足でその場から離れた。


先ほど用を足した草むらがあるところまで歩いて行き、身を隠す。

これからどうするか、彼の頭にあるのはこの一点のみだった。


あの異様な雰囲気の中、何くわぬ顔をして部屋に入って眠るなどということは到底できない。

彼は恐ろしかった。

同僚が今までに見たことのない表情をして、不可解な行動をとっていることが。


「もう少し様子を見てから確かめにいこう」

なんとしてでも孤立を避けなければならなかった彼は、あれを単なる発作として片付けた。

しかしどんな病気のどういう発作なのか、医療に明るくないCには判別できない。


「俺は医者じゃないからな。腐った缶詰を食って、腹でも壊したんだろう」

彼は持ち前の呑気さでそう思った。

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