平行線が交わる世界
特区を脱出した長田、杉浦の二人は、外で待機していた隊員三名と合流して、千葉県浦安市の公道を歩いていた。
特区を奪取する作戦を実行するにあたり、実行部隊にありったけの弾を渡していた五人は、ただの重りとなった89式5.56mm小銃を後生大事に抱えている。
侍が日本刀を捨てられないよう、軍人も弾の出ない銃を捨てられないものだ。
「こんなことになるなら、素直に特区民として働くべきだったぜ。お偉方の読みもあてにならないしよ!」
「武力は拳銃程度って、スナイパーライフルまで持ってたな、あいつら」
「てめえが毒盛られなきゃ作戦がバレやしなかったんだ」
「ああそうかい、全部俺のせいだってことか」
悪態をつく杉浦に、長田が圧され気味になる。
彼らより立場が下の三名は、やりとりを後ろから黙って眺めている。
三人は新田の不在を訝しんでいた。
作戦は失敗した。
実行部隊は壊滅。
工作部隊は直ちに撤退し、今ここにいる。
撤退など端から予定されていなかった。
武装した素人を片付けるなど本職の兵士にかかれば赤子の手をひねるようなものだと、大滝根山の分屯地にいる上官が判断したからだ。
腐っても訓練を受けた自衛隊だけあって、上下関係はハッキリしていた。
あるいは誰かが命令する立場にいなければ、ここまで生きながらえなかったのかもしれない。
「こうなったら分屯地まで戻るしかねえぞ。みんな、弾は何発残ってる」
杉浦が言った。
特区を出てから幾度となく繰り返された残弾確認。
何度確かめようとも、弾が増えていることはない。
五人合わせて拳銃用の9mm弾が135発。
5.56mm弾は合わせても20発しかなかった。
「こんなんでどうやったらホットスポットを越えられるんだ? 行きで何人殺られたと思ってんだ」
杉浦は残弾確認のたびに繰り返す文句を、飽きずに繰り返した。
「こうするより他にやりようがないんだから行くしかないだろ。上に報告もしなくちゃならん」
長田がむきになって言う。
「へえ、なんて報告する気なんだ? 薬を盛られて作戦を喋っちまったので失敗しましたってか?」
「いいかげんにしろ。俺だって好きで戻ろうと言ってるわけじゃない。こんな装備でホットスポットを越えるのは無謀だってことは、馬鹿でも分かる。それでも分屯地まで行けば補給にありつけるし、再出撃する人員も揃えられる」
「許可がおりますかね」
平の隊員が口を挟んだ。
「無理にでもおろさせるしかあるまい」
長田が断定した。
日本国内には、魑魅魍魎が跋扈するホットスポットが複数あった。
都内では台東区や千代田区、新宿区などがそれにあたる。
彼らが分屯地に戻る道中にある栃木県は、県全体がホットスポットと化している魔窟だった。
都内にいるゾンビの多くは、騒動発生後に栃木県からつくば市を通り、常磐線沿いから都内に流入したものが多い。
ゾンビは日本国内を、まるで血液が循環するように流動していた。
環境が変化するたび体質を変化させて、より強靭になっていく。
武装の面で武田たち特区民に劣ることのなかった自衛隊員が、栃木県のホットスポットで大打撃を受けたのには理由がある。
それは一度都内に侵入し、特区民と衝突し銃弾を浴びたゾンビが、生き残って栃木に逆流入していたからだった。
数は少ないとはいえ、5.56mm弾をものともしないゾンビは存在する。
その多くが栃木県に集中しているとなれば、自衛隊員が苦戦したのにも納得がいく。
「ルートを変更しよう。海沿いを進んで、茨城県を通るんだ」
長田が言った。
「どこを通るにせよ今度“でかいの”に遭えば俺たちはおしまいだ。9mmじゃ穴もあかないんだから」
「せめて重火器の使用を申請すべきだったかもしれませんね」
「重火器なんてものがどこにある? ハチキュウを持ち出せたことさえ奇跡なのに」
他人事のような口調の平隊員に、杉浦は苛立って言う。
実際、平隊員は騒動発生時には新米の隊員で、長田や杉浦の四つ下だった。
長田と杉浦は見た目こそ若いが、アラサーである。
「あいつらただじゃおかねえ。次は絶対にぶっ殺してやる」
特区を脱出してから、杉浦は始終この調子だった。
口を開けば「ぶっ殺す」だの「ひねり潰す」だの言う。
これには平隊員も閉口するしかなかった。
「ぶっ殺すには弾が要るんだ。分屯地に帰るしかないぜ」
「必要ないね。今すぐ引き返して、この手でひねり潰してやる。あんなガキどもに銃なんてもったいない」
「藤堂の頭が吹き飛ぶのを見たろ。渋川が撃たれるのも、実行部隊が軽機関銃で蜂の巣にされるのも。銃がなきゃ無理だ」
会話どこまでいっても平行線だった。
地球上は平面ではなく、宇宙もまた平らではないので、彼らの平行線もいずれどこかの点で交わることになる。
しかしそれには時間が短すぎた。
長田と杉浦の関係は非ユークリッド幾何学では説明できない代物だったので、平行線は永遠に平行線のままだった。
これまで大人しく付き従っていた平隊員の二人が拳銃を抜き、彼らを撃ち殺したのだ。
「特区に引き返そう」とひとりが言った。
「俺たちは人を殺しちゃいない」
「まだ間に合うはずだ。謝って許してもらおう」
三人の意見は一致した。