窓の外にヒューイを見かける
波乱続きの毎日につかの間の休息。
優雅に午後のお茶を楽しみながら街を見下ろすとは、なんという贅沢だろう。
先日の作戦に参加しなかったマミは、休息を取る必要が無いと言って、新たに加わった連合員に配る書類をせっせと作っている。
だから僕はひとりきりで茶を飲んでいるのだが、孤独というものはいいものだ。
静かな部屋にひとりくつろいでいると、胸の内が湧き上がるような思いがする。
窓の下に見える道路に、白い物が動いているのが見えた。
ヒューイが散歩しているのだ。
近頃ヒューイはマンションに寄り付かなくなった。
どこかで餌をもらっているのだろう。
自由になったヒューイは、心なしか昔より元気になっているように見えた。
やはり動物は自由にしておくのが一番だ。
ヒューイを観察していると、ノックの音がした。
入ってきたのはユキだった。
「アトロピンの効力がどうだったか聞いておこうと思って」
非番でも軍服を着用している彼女は、本来なら大学四年の歳だ。
逆境は人を強くする。
彼女の好奇心はとどまるところを知らず、今では自分のマンションに研究用の機材を揃え、毒物を自作するまでになっていた。
連合員がユキのことを裏で「魔女」と呼んでいるのを知っている。
単なる魔女であればどれほどいいか。
特殊部隊仕込みの戦術と体術を併せ持った魔女など聞いたことがない。
「効き目はばっちりだった。長田は倒れるまで毒を盛られていると気づきもしなかったよ」
「ならよかったわ。お茶貰える?」
「はいよ」
ユキはロシア人の旦那の影響からか、茶を10杯以上も飲んだ。
あまり知られていないが、ロシア人が茶を消費する量は日本や中国よりも多い。
寒い地方だからかもしれないが、とにかく茶をガブガブ飲む。
一日中お湯を沸かしていて、一度飲むとなれば茶だけで腹一杯になるまで飲むのだ。
「難儀な世の中になったもんだ」
僕は窓の近くに戻ってつぶやく。
「まだ終わってないのよ。長田と杉浦の行方も知れないし、残党だって残ってるんでしょ。弱気になるのは早いわ。窓の傍からは離れて」
有無を言わさぬ口調にビビった僕は、ティーカップを片手にユキの正面へ腰掛けた。
テーブルを挟んで向かい合う。
「マミは?」
「書斎にいる」
「挨拶してくるね」
ユキが書斎の扉の中に消えると、室内から女子らしいトークが響いてきた。
こういうのでいいんだよ、こういうので。
僕は井之頭五郎の気持ちになる。
聞き耳をたてていると、ガールズトークはジバクアリの話になり、ニトログリセリンの話に移った。
こういうのではないんだよ……。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
ユキが帰ると、田中を見舞っておこうという気になり、隣室に向かった。
彼は工場班で唯一、一人暮らしをしている。
希美は香菜と相部屋だ。
いい忘れていたが、希美も先日の作戦に参加していない。
三人組と面接した前日に、香菜を筆頭とする部隊は特区の300m西にある前哨基地に移動した。
街中に配置した車などのバリケードやトラップによって、西側の大門以外から特区内に侵入しづらくしてあるのだが、自衛隊はトラップのある方面から侵入してきたので、前哨基地からの報告はなかった。
このまま何事もなければ、二、三日後には帰ってくるはずだ。
田中は寝室で横になっていた。
眠ってはいない。
ぼんやり天井を眺めているようだった。
「浮かない顔だな」
僕はベッドの横に座って言った。
「結婚してえェ」
「お前いつもそう言ってるけど本気じゃないだろ」
「店でぶっ倒れたとき、花畑が見えたんだ。そこには母ちゃんや父ちゃんがいて、早く孫の顔を見せろって言われた。身を固めなきゃって思ってよお。フラフラしてるわけにはいかねェ」
「街にイイ子がいるんだろ」
「ああ、外に出られるようになったら会いに行くよお」
「お前も一端になったよな」
「このザマを見といて言うかァ?」
田中のいいところは馬鹿正直なことだ。
彼はこの4年間、毎日の訓練をかかしたことがない。
出会った日からずっと、もしものときのために備えている。
成果は上々だった。
敵が真っ先に田中を狙った理由はそれだ。
彼は2000m離れた人間サイズの的に、10発中5発命中させられる。
これは驚異的な技術だ。
肉体の俊敏さにも磨きがかかり、股割りも完璧。
愛用の日本刀は手入れを怠っていたのでボロボロだが、居合の速度は達人級にまでなっている。
握力は室伏並みだ。
「ユキには来るなって言っといてくれよお。こんな姿を見られるわけにはいかねェ」
「伝えとくよ。何か欲しいものあるか?」
「酒が飲みてェ」
「当分は禁酒だ、当たり前だろ」
「ちぇっ」
人前でも潰れるまで飲む癖だけはいくら言っても治らない。
彼は給料の8割を飲酒につぎ込んでいる。
連合員からのアダ名は「テキーラ職人」である。