泥沼に耐える強い精神力を育もう
僕は中島、鈴木、阿澄、希美を部屋の外に連れだし、希美には尋問が終わるまで扉の前で待機するよう言った。
他の三人にはやってもらわなければならないことがある。
事情聴取と監視だ。
昔はゾンビを監視するために握った銃を、今では仲間を監視するために握っている。
ゾンビはよろよろ、人間を食うために襲ってくる。
人間はこそこそ、人間を騙すために密談をかわす。
誰がどこで何をしているか、誰と仲がよく、誰と折り合いが悪いのかを知っておくことは、集団の秩序を維持するのに役立つ。
皮肉な話だが、ゾンビより怖いのが人間だ。
マンションの裏口で銃声がした。
ユキが作ってくれた人感センサー付き散弾地雷が作動した音だ。
急いで駆けつけると、脳天に弾を食らって即死した新田が倒れていた。
遅れてきたイワンと僕は彼女の死体を室内に入れて、血だまりを掃除した。
状況は急速に進展している。
「生きているように見せかけよう」
僕は言った。
「当然だ、人質に使う」
イワンが死体の損壊を調べている。
「でも、これじゃ厳しいかな。頭が……半分なくなってるのを誤魔化すのは無理だ」
「カツラがいるな。それと氷とエアーポンプと密閉できる袋」
「物置にないか探してみよう」
「急げよ、俺はこいつを――ああっ畜生! 血だらけだ――奥に持ってく」
正直に言って、僕は冷静を保っていられなかった。
こんなことになったのは初めてだ。
自衛隊に命を狙われ、つい先刻殺されかけた。
脳内麻薬のせいでハイになっている。
あとでグワングワンする頭痛に悩まされることになる。
ゾンビでさえ引っかからない散弾地雷で人間が死んだ。
最上階にいる三歳児の母親が、一階の部屋で殺人犯を拷問している。
すべてが異様で、すべてが間違っている、そんな考えがフッと浮かぶと、どうにもならなくなる。
呼吸が激しくなって、廊下の壁に背をあずけて座り込んだ。
膝が震えて思うように動かない。
最初に怪物を撃ったとき以来の動揺だ。
早くイワンに頼まれた材料を持っていかなければ。
死体が腐るのを抑えるのに、氷で冷やし空気を遮断するために!
「やってられん! やってられねえよ……」
僕は泣いていた。
誰にも見られるわけにはいかない。
希美は言うだろう「ボスとしての沽券に関わります」と。
鼻水をすすって、ほっぺたを強く抓った。
固く目を閉じて、しっかりしろと念じる。
何度も、何度も頭のなかで言い聞かせる。
殺らなきゃ殺られる。
「ゾンビを撃ち殺すほうがはるかにマシだな」
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
頼まれた材料を持って、渋川を拷問している部屋に行った。
イワンがどこにいるのかユキに聞くためだったのだが、イワンは室内にいた。
どこからかパクってきた風呂桶も一緒だ。
タワーマンションに設置されているものではない。
「遅いぞ」
イワンにどやされた。
死体を袋に入れ空気を抜いている横で、僕は用意した氷を浴槽に入れた。
量がぜんぜん足りない。
「二酸化炭素消火器があったでしょ、あれ持ってきて!」
渋川の指を電気ドリルで貫きながら、ユキが叫んだ。
僕は再び物置に走った。
ユキとイワンが蓄えている物資は、工場班の二倍以上だ。
彼らは場所を分散させて保管しているので、工場班の住むこのタワーマンションにも保管庫はあるし、中島班のところにも、街にある誰も寄り付かない倉庫にも物資が蓄えられている。
普段は立ち入り厳禁の物置部屋に踏み入る。
たくさんのボンベ類に混じって、消火器が何本も転がっていた。
二酸化炭素消火器の噴出口からはドライアイスが噴き出してくる。
その部分を布で覆って吹き付ければ、楽にドライアイスが手に入る。
これで死体を冷やす問題は解決した。
一息つく暇もなく、監視に出た中島から無線が入る。
東の壁を、自衛隊の服を来た一個分隊が乗り越えて特区に侵入したという。
そのとき警備員は、就職希望の難民に業務を説明する仕事で手薄になっていた。
これも敵の工作だと思うべきだろう。
中島には決して手を出すなと言い、監視を続行するよう頼んだ。
自衛隊員は自衛隊員らしく89式5.56mm小銃で武装しているらしい。
「こいつ、交渉に使えるかな?」
僕は言った。
渋川のことだ。
「どうかしら。これだけいたぶっても吐かないのは、本当に作戦を知らないかプロかのどっちかね」
作戦を知らない素人なら、交渉には使えない。
相手にとって無価値の存在だからだ。
職業軍人が拷問されて仲間を売らないのは、助かる見込みがあるからではなく、死を覚悟しているからだ。
死を前提として任務についているなら、交渉には使えない。
僕は渋川の傍に立って、ベレッタ92を突きつけた。
「どうせ喋らないよな」
「そうみたいだな」
これが彼の最後の言葉だった。