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大波乱の予感

田中は馬鹿だが弱くない。

ボディーガードもふたり従えていたし、毒を盛られたタイミングからしても不自然だ。

長田に盛ったアトロピンの効力が切れるには早過ぎる。


他にも協力者がいたということなのだろうか?

田中は朝まで戻らなかった。

ハメを外しすぎて、朝まで例の食事処で飲んでいたのだろう。


そこで倒れて、イワンに連絡がいった。

なぜ僕を差し置いて、イワンに連絡がいった?

そして都合よくイワンのところにも間者が現れた。

詳しく調査する必要がありそうだ。


とはいえ今日中は外に出られない。

田中につけていたボディーガードふたりをマンションに呼び出し、事情を聞こうと思った。

ボディーガードが着く前に、警備主任がフロントに駆け込んできた。

あまりの勢いだったから、思わず驚いて腰の拳銃に手を伸ばす。


「ボス、急いで来て欲しいんですが」

「いや、今日はここを動くつもりはない」


呼びつけたボディーガードが来るまでは、動くわけにはいかない。

それに命を狙われている状況下で、フラッと外に出て行く馬鹿者がどこにいる。


「門に大勢の難民が押し寄せてるんです。なんでも三沢基地から来たそうで」

「人数は」

「ざっと600人といった具合です。門の傍に待たしてありますが、人数が人数なので早いとこ追っ払うか引き入れるかしないと、音を聞きつけたゾンビが襲ってきます。どうしましょう」


特区を出入りできる門はひとつしかない。

いくつか秘密の裏口を作ってあるけれど、存在を知っているのはごく一部の者だけだ。

こんなときに大量の難民が現れるとは、混乱を誘っているとしか思えない。


追っ払おうかと僕は考えた。

特区の構成員はリストで把握しているとはいえ、現特区民を超える人数が一挙に加わるとなれば、リストなどあってないような物だ。

しかも三沢基地といえば、噂の東北ではないか。


カードにあった陸上自衛隊の文字。

難民の中に隊員が潜んでいても、調べる術はない。


本当に難民だという可能性は?

渋谷区連合のときのように、大規模な離反運動があったと考えるのはどうだ。

あまりに人数が多すぎる。


「とりあえず引き入れて、リストにまとめてくれ。仮の住居にはあいている建物を適当に与えて、なるべく一箇所にまとめるようにしてくれ」

「了解です。しかし人数が多いもんで、何時間かかるか……」

「警備の者にも通達して、リスト制作に当たらせろ。いいか、武器の持ち込みは厳禁だ。見つけたら即没収して、終わったらここに持ってこい」


手順を説明していると、呼びつけたボディーガードが到着した。


「さあ、もう行け。リストは正確に頼むぞ」

「了解です」


「一人か? ふたりで来いと言ったはずだが」

「はい、そのことなんですが、渋川の奴が昨日の夜から行方不明でして」

「渋川が?」


渋川正則しぶかわまさのりは、最も信用している狩人ハンターの一人だった。

背丈は180cm、体重90kg、柔道の経験があり、拳銃の扱いにも手馴れている。

その彼がいなくなったとなれば一大事だ。


僕は鈴木を呼んで、フロントに来てもらった。

狩人ハンターに事情を聞くのを任せるためだ。

僕は一旦部屋に戻って、警備員に着せている制服に着替えた。

廊下に出たところで、希美とばったり会った。


「お出かけですか? 家にいるようにイワン様に言われていたと思いますが」

「緊急事態だ。狩人ハンターの渋川が消えた。拉致されたのかもしれん」

「落ち着いてください。渋川がいなくなったのはいつのことですか?」

「昨日の夜からだそうだ」

「そうですか……」


「用がないなら行くぞ」

「待って。考えてもみてください。田中様が毒を盛られた日に姿を消した者が四人。長田、新田、杉浦、渋川。もしや渋川は内通者だったのでは? 事態が露見する前に姿を消したと考えるほうが、あの渋川が拉致されたという説よりも自然です」


希美の説は合理的だった。

渋川の体術はイワンのそれにも見劣りしない。

素人が寄ってたかって暴行しても、渋川なら返り討ちにするだろう。

いくら相手が陸上自衛隊だったとしても、渋川には9mm拳銃の他9mm機関拳銃も持たせていた。


「ちょっと考えさせてくれ。君は下に行って鈴木のサポートを頼む」

「かしこまりました。くれぐれも妙な気を起こさないよう」


リビングではマミとアンナが遊んでいる。

ベレッタ92の分解と組み立てをやっているのだ。


「進展はあった?」

銃から顔を上げて、マミが言う。


「渋川が消えた。それに難民が門に押し寄せてるそうだ」

「さっき無線機にも連絡があったわ。すごい数だそうね」

「このタイミングで、変だと思わないか」

「敵の作戦でしょうね。でもおそらく、難民の大半は事情を知らない」


「どうしてそう言える?」

「事の運びからいって、この作戦は敵にとっても重要なんだと思う。迅速かつ的確、渋川が姿を消したってことは――彼が内通者だったとして――作戦が次の段階に移行したってことでしょう」

「君も渋川が内通者だったと見ているのか」

「そのほうが自然だもの」


信用していた人間に裏切られたというのに、この落ち着きぶりはなんだ。

希美といいマミといい、彼女たちの様子を見ていると僕だけが馬鹿騒ぎをしている気分になってくる。


「僕は裏で動こうと思うんだけど」

「よしなさいよ。ボスが直々に出ていって、目立たないわけがないじゃない。ここに残って、窓には近づかないことね」


夕方になってから、イワンから連絡がきた。

彼は廃ビルから難民のリストアップを監視していて、ユキは裏通りを駆け巡っていなくなった三人を探していたのだという。

それから難民の列に雇った連合員を紛れ込ませ、情報を探らせた。


やはり彼らは自衛隊の指示で立川特区に移動してきているという。

けれども彼らの言う自衛隊と、僕たちの思う自衛隊は違っていた。


騒動の混乱の中、指揮系統が麻痺した自衛隊。

組織というものは無秩序に弱い。

一般市民はそのようなことには関心がなく、守ってもらおうとして基地になだれ込んだ。

そのときの一般隊員の発言力、権力は、平時における政治家並みだった。


位階秩序ヒエラルキーは瞬く間に崩壊し、銃を持っている奴が一番偉くなった。

国家公務員である自衛隊員には、最初のうちこそ善意が残っていて、復興のために発電施設を作ったり、バリケードを設置したり、食料を取ってきたりという業務をこなしていた。

いつ終わるとも知れない慈善事業ボランティア

心の弱い者から徐々に壊れていった。


内部抗争が勃発し、被害は避難民全員に及んだ。

何人かの自衛官は、蜂起した避難民数人と基地を脱出していった。

行くも地獄、残るも地獄である。


立川特区に逃げてきたのは、最近まで三沢基地に残っていた人々だった。

つまり「やることやってた奴ら」である。

頭のなかに「やむを得ずやった」という意識があるから、特区にいる元犯罪者より質が悪い。

悪行を自覚しておらず、あくまでも自分は善良だと思い込んでいて、救われるべき人物だと誤解している。


結局、難民の中から悪い心になってしまった自衛隊員は見つけられなかった。

とりあえずは、難民の素性がわかったというくらいだ。

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