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この世で最も憎むべき犯罪

映画『羊たちの沈黙』では、殺人犯が女性を井戸の中に閉じ込めて監禁していた。

これはアメリカの連続殺人犯ゲイリー・ハイドニックの事件を元にしていて、ハイドニックは6人の黒人女性を地下室で監禁、うち2人が死亡している。


工場に戻ってからも、僕は気が重かった。

二階にはマミ、阿澄、香菜がいて、田中と鈴木は留守だった。

救助した3人の容態が予想以上に悪かったので、工場よりも上等なベッドがある中島班のマンションに移送することになったのだ。


耳を疑いたくなるような、陰惨な犯罪行為。


騒動発生時、房の外にいた島田は、ゾンビ・パニック発生初期は房の中に身を隠していた。

刑務所内にもゾンビがあふれていたが、翅型ゾンビが発生した時期に房のゾンビも変質して、刑務所内からゾンビが消えた。

島田はそれから、刑務所と近隣のスーパーを往復し、徐々に外部の状況を把握していった。


被害者の女性とはそのときに知り合ったという。

島田は刑務官の服を奪って着ていて、刑務官を偽っていた。

ニューナンブM60で武装していた彼は、被害者女性らが避難していたスーパーに押し入るやいなや「ここは危険だ」と言い、刑務所に連れて行った。


同行した男性は房に閉じ込められ、彼女たちの話では餓死した。


監禁されていた女性は5人。

全員ひとつの独房に手錠をされたまま入れられていた。

毎日島田に淫行を強要されたが、その割に島田は性欲が弱かったので、5日に一度のシフトで五人が相手をしていたという。


まったく嘆かわしい話である!

淫行よりもきつかったのは満足に食事が与えられないことで、5人いたうちの2人は極度の栄養失調で昏睡状態に陥り、治療できる人間もいなかったため、島田は気を失っている少女(死亡した女性はふたりとも未成年だった)を外に連れだし、一人で戻ってきたのだという。


雪が溶ける時期になって、島田は“大家族”にふさわしい地を求めて刑務所を出た。

たどり着いた地がここ西東京というわけである。

廃墟になった一戸建てに住み着いて、犬小屋を三つ用意して、被害者にそこで寝起きするように言った。


こういう犯罪行為を耳にした時に、どうして反抗しないのかと言う人がいるが、とんでもないことだ。

日常的に暴力を受け、脅され(しかも今回は拳銃までつきつけて)ていた人間は、思考能力が低下する。

食料を満足に与えられていないのでは体力も落ちる。

拳銃で武装した男と衰弱した女性が戦って、女性が勝つ世界はどこにもない。


「あのクソ野郎、遠くに捨ててきたんでしょうね」

マミに睨まれた。

怒りのやり場に困っているという感じだ。


香菜は肩を震わせていた。

阿澄はそれをなだめている。


「地獄に送ったよ」

僕は言った。


「香菜ちゃん、大丈夫?」

僕が声をかけると、マミが首を振って制止した。

彼女に連れられて、僕は上がってきたばかりの階段をおりた。


僕の手はマミに握られていた。

彼女は震えていて、それが僕にも伝わってきた。

悟られまいとしているが、体の反応まではごまかせない。


立ち止まったとき、マミの体と僕の体の距離は15cm以下になっていた。

これは親密かつ条件が揃わなければありえない近さだ。

僕はマミを優しく抱きしめた。


彼女の体からフッと力が抜け、体重をこちらにもたせかけてくるのが分かった。

マミは泣いていた。

落ち着くまで、ちょっとした時間がかかった。


「ありがとう、もう平気」

「何があった」

「順番に説明するから、ちょっと待ってて」


マミは涙をぬぐい、呼吸を整えた。

彼女は比較的淡々と、上記に記した事件の顛末を語った。

その内容自体は、彼女を震撼させるまでには至らなかったらしい。

問題はそのあとだ。


僕が最初に被害者女性たちとすれ違ったとき、彼女たちは落ち着いているように見えた。

そのとき既に嫌な予感はしていたのだが、それは的中していた。

装甲車からおろされたばかりの女性らは、ある種の自己喪失とでもいうのか、強いショックで反応が稀薄になっていた。


同じ女性ということで、マミと阿澄が事情を聞いたり、安心してと語りかけた。

だんだんと自身が置かれている状況、助かったのだという安堵していくうち、これまでのことを思い出したのか、ひとりがパニックを起こした。

パニックは連鎖して、二人が絶叫、一人が止めに入った鈴木をとてつもない腕力で突き飛ばし(脳が筋力のリミッターを外すほど錯乱していた)、工場から出ていこうとした。


阿澄、田中、鈴木の三人で暴れる一人を止めているとき、マミは被害者の中で一番落ち着いている女性に話を聞いていた。

僕が戻ってきた時に、すぐに説明できるように。


それが上記の事柄だ。

憶測を含めながら、驚くほど正確に分析し、異常なほど落ち着いて話した女性。

マミは「どうしてそれほど落ち着いているのか」と尋ねた。


すると彼女は、自分の名前ではなく、他のふたりの名でもなく、死亡した少女たちの名前でもない人を指して、「可哀想だったから」と答えた。

解離性同一障害を発症し、ショックを和らげるために脳が別人格を創りあげていたのだ。


想像を絶する苦痛。

マミはそれを想像しようとしてこうなった。

再び震えだしたマミの手を、僕は握り続けた。

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