人体の神秘
「ユキさんってどんな人?」
「香菜ちゃんはまだ会ったことがないんだっけか」
ユキの陣痛が始まってから、マミと阿澄はイワンのマンションに行っている。
ふたりとも産婆の経験はないが、男手ひとつよりは役に立つ。
「ユキは、そうだな、香菜ちゃんの六つ年上って感じの人だ」
嘘ではない。
12歳から射撃訓練をしていれば、18歳になる頃にはユキを越えるガンマンになっているだろう。
「それって適当すぎない?」
「それよりオリーブオイルとってくれ」
マミがいない今、僕が4人分の料理を作っている。
今日のは自信作だ。
「後白河さんって料理できるの?」
「僕に聞いてる?」
「他に誰がいるの」
マミのやつ、香菜に嘘の名前を教えたな。
「マミほどじゃないがそれなりのものは作れる」
「へえ、意外」
イワンの言い草ではないが、男が出産に立ち会ったところで出来ることはない。
医者ならともかく、僕たちは素人だ。
戦場で軍人を治療したことのあるイワンがいれば十分。
僕たちが出向いていっても邪魔になるだけだ。
「出来たぞ。盛りつけるから皿を取ってくれ」
「うげえ。これなに?」
「コンビーフのロパビエハ風。自信作だぞ」
「意味分かんない」
出来た料理を4人でいただく。
田中と鈴木もどこか心配そうだ。
「ユキちゃん大丈夫かなあ。俺たちで護衛だけでもしたほうがいいんじゃないかなあ。痛みで叫んでゾンビが寄ってきたときに備えて」
田中が言う。
「サイガぶん回して笑ってる女だぞ。痛みはあるだろうが叫びはしないだろ」
「なんか落ち着かないよな。田中の気持ちもわかる」
鈴木もこの調子だ。
「何かあれば連絡が入る。心配いらないって」
「みんな意気地がないのね」
香菜はこの通り工場に溶け込んでいた。
毒舌ではマミに匹敵する。
まあ、マミがお守役をしているから、うつっただけかもしれない。
「まっず、なにこれ」
香菜が僕の料理を口にして言った感想がこれだった。
子供の口には難しい味付けだったか?
少なくとも僕にとっては美味い味だった。
「もう工場の暮らしには慣れたかい?」
鈴木が尋ねた。
「うん、まだちょっとゾンビは怖いけど。でもこれがあるから平気」
彼女は言って、最近は肌身離さず持ち歩いているCZ 75 P-07を見せびらかした。
この銃は香菜のお気に入りで、ガルガンチュアという愛称までつけている始末だ。
「たくさん食って大きくなれ。成長期なんだからな。おかわりあるぞ」
「もらう」
不味いと言いながらも、彼女は三杯のコンビーフのロパビエハ風を平らげた。
作った僕ですら、一杯目の後半からは美味いと思わなくなっていたのに……。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
「出産かあ。どんな感じなんだろ」
食後、香菜に銃の分解、組み立てを教えている時に、彼女がこぼした。
以前、マミや阿澄も同様のことを言っていた覚えがある。
やはり女性ならではの事柄だけあって、心配になるのだろうか。
僕たち男にとっては、あまり現実感がない。
仲間が一人加わるとか、乳児に危険が及ばないようにしなければという思いはあるけれど、出産自体に関しては具体的に想像できない。
陣痛やその他出産についてまわる現象は知識で知っているだけ。
経験したくてもできないし、身近での出産は今回が初だ。
だから、どんなふうにして応援したらいいのか分からないというのが本音だった。
必要以上に騒いで、心配している様子をユキに伝えても不安を煽るだけだ。
いつものように、普段通りに振る舞おうと、僕は前に決めていた。
「香菜ちゃんもそのうち相手ができれば分かるよ」
「そういうものなのかもね」
「今のうちからしっかりしておけば……あれ?」
窓の外に違和感を覚え、双眼鏡を覗いた。
ゾンビの大集団が一直線に工場に歩いてきている。
「田中! 鈴木!」
僕は眠っていた二人を叩き起こした。
「無風だ、射撃日和だぞ」
「夜中に営業させんなよな……」
「全弾命中、記録出しちゃうよお」
文句を言いながらも配置につき、狙撃銃を手に取るふたり。
香菜も一丁前にM24を持って、外を狙っている。
「当てられんのか? お眠の時間だろ」
「バカにしないで。見てなさい」
香菜は一丁前にXM8 Sharpshooter Rifleを構えた。
要は通常のXM8の銃身が長いバージョンである。
観測手として横で見ていると、撃たれた弾はゾンビの右膝に命中して、内股に折れ体勢が低くなった所に次弾がヒット、更に次に撃った弾が左目を捉え、発砲された3発をすべて当ててゾンビを撃ち倒した。
「やるな。まだまだ来るぞ」
「任せときなさい」
ユキにとっての長い夜は、僕たちにとっても長い夜になりそうだ。