小麦粉団子と赤ワイン
「ごめんなさい」
「なんのこれしき……」
少女は背負われている間中あやまっていた。
困ったときはお互い様。
そんなことは気にしなくても構わないのだが、香菜にとっては全てが初体験だ。
彼女がまとっていたボロは脱がせて、マミの着替えを着せた。
だいぶ温かくなったのではないかと思う。
吹雪で積もった雪は人間の背丈ほども積もっていた。
なるべく雪が少ない場所を選んで歩き、迂回できないときにはイワンの腕力で雪をどかして強引に進んだ。
一歩一歩に時間はかかるが、着実に柏崎市へと近づいていた。
湯沢町のドラッグストアで休息をとっていたときのこと。
埋まっていた出入り口を掘り起こして(もはや恒例の作業)中でくつろいでいると、足音が聞こえた。
店内のクリアリングは十全に行ったはずだが、見落としがあったのだ。
一同の顔に緊張の色が浮かんだ。
香菜はマミに擦り寄って怯えている。
壁際に移動して、店内を見渡せるようにする。
僕はイワンに目配せをする。
店内で発砲すると音が外に漏れたとき反響しない。
位置の特定は難しいが、ゾンビは音のした方向に歩いてくるので、建物の少ないこの一帯では、ドラッグストアを目指したゾンビの全員が建物内に侵入してくる恐れがあった。
こんなときのVSSである。
棚と棚のあいだから出てきた青白いゾンビ。
寒さのせいだろう。
一応ゾンビにも肉体はある。
そのゾンビは貧弱だったようで、凍えて両腕と片足が凍傷を起こしてうまく歩けないようだった。
呻いている声も心なしか、力が抜けている。
ゾンビの目には僕たちがごちそうに映ったらしく、最後の力を振り絞るといった感じで、瞳を爛々と光らせて歩いてきた。
イワンがVSSで仕留めた。
「すごい……落ち着いてるんですね。わたし、もうダメかと思った」
香菜が言った。
「あの程度なら、イワンは素手で倒すんだよ」
「ホントですか?」
香菜がイワンのほうを向いて言う。
打ち解けるチャンスだ。
「Правильно」
「なんで母国語が出とんねーん!」
思わずイワンの頭をひっぱたいた。
緊張のあまり母国語が出てしまったイワンは、照れくさそうに笑った。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
雪の降る地方の港では、当然船の雪かきも行う。
積もった雪の重さで船が沈むからだ。
積もった雪が溶けて、船の上で再び氷ると、剥がすのが困難になる。
重量も半端ではないので、航行に支障が出る。
運が良ければ、沈んだ船に張り付いた氷が海の中で溶けると、春頃になってまた海上に浮かんでくることがあるという。
だがそれは小さなボートなどの話で、クルーザーなどが転覆すると、僕たちの人数では復帰させるのは難しい。
イワンが心配していたのはそれだ。
ただでさえ武装を積み込んである船だ。
雪が積もって重量が増し、横風に流されればバランスを失って倒れる。
陸揚げをしていない船がどうなっているのか。
実際に確かめるまでは誰にもわからない。
銃弾も残り僅か。
難所は越えたとはいえこれから先、大規模戦闘が起こればジリ貧でこちらが負ける。
香菜のことをお荷物だと言っているのではない。
ただ、湯沢町から先は、今まで以上に気を引き締めて隠密行動を努めなければならない。
楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽楽
「こんなの作ってみたんだけど、どうかしら?」
名誉のために言っておくと、僕たちはマミに料理担当を押し付けているわけではない。
マミ以外では、イワンが料理上手だが、僕と眞鍋が作った料理は食えたものではないのだ。
そしてイワンはロシア人だから、作る料理の味付けがどこか異国風で、何かが違う。
必然的に、料理上手で日本人向けの味付けができるマミが、料理をしているというわけである。
ようやく食料のあるところにたどり着けた今日、マミは奮発して豪勢な食事を作った。
ドラッグストアにある缶詰や、大丈夫そうな粉物を駆使してこしらえたのは、雑穀やじゃがいも、小麦粉で作った団子をトマト缶と合わせて煮た“なんちゃって小麦粉団子”だった。
命名はマミ。
食べてみると、じゃがいもとトマトの風味が優しい味だった。
これなら腹持ちもよく栄養バランスもいい。
病み上がりの香菜もペロッと平らげた。
「これで麦スカッシュがあれば最高なんだけどなぁ」
僕はふらっとQUSUMIで覚えた単語を使った。
「いやいや、これは赤ワインでやるのがベストだよ」
酒の話になった途端イワンが饒舌になった。
「ライス付きのボイルドチキン、さいまきエビのフリット、カツレツ、食べたいですネー」
よくもまあそう食べたいものの品名が浮かぶものだ。
僕なんかは「こってりしたやつ」とか「さっぱりしたやつ」とか「肉」とかしか思い浮かばない。
親睦を深めるために、僕は香菜にも話をふってみた。
「香菜ちゃんは食べたいものある?」
彼女はひとしきり悩んでから
「エスカルゴ」
と言った。
最近の子供はませた食い物を知ってるぜ、と僕は思った。




