散弾銃は森っぽい
先刻の老人(名前を聞いたが忘れた)がどうしてひとりでうろついていたかと尋ねると、酒の席の興奮のせいもあって、簡単に聞き出すことが出来た。
僕たちが防音壁を破壊した音、それが銃声だと思って見に行ったのだという。
「俺達も止めたんだがな、あいつは人の話を聞かないから」
顔を真赤にした老人が、それでも焼酎を飲む手を止めずに言う。
「銃声がしたから見に行ったって、自衛隊でも助けに来たと思ったんですか?」
「違う違う。まだ村にいた頃、あとひとり若造のメンバーがいたのよ。といっても四十歳くらいだがな。撤退中に足をくじいて、後から追いつくってんで置いていってそれっきりさ。もうだめだ、ってことは分かってた。俺達もバカじゃねえからな。ただ、あいつだけは、今でも待ってんのよ」
相棒を置き去りにし、今でも帰りを待っているというその老人は、皆の輪からは離れて孤独に杯を傾けていた。
今宵の主賓はイワンだ。
彼は輪の中心で皆にお酌をされながら焼酎を一気飲みしている。
一気飲みは危険だからやめたほうがいい。
「夜間はゾンビ、発狂人は襲ってこないんですか?」
隣りにいた婆さんに、僕は話しかけた。
しかし婆さんはニコニコしながら頷くだけだった。
「あんたミヨちゃんの息子に似てんのよ」
ベレッタA303を持った老人が言った。
老人だが体は屈強そうで、どちらかというと“おっちゃん”の雰囲気だ。
だが猟友会のメンバーは全員65歳以上だと聞いている。
「ミヨちゃん?」
「その婆さんだよ。息子さんがいるんだけど、もう何年も帰ってないんだ。きっと顔が似てるあんたが来て、嬉しいんだな」
僕の手はミヨちゃんという婆さんにさすられていた。
「ここなら安全だよ。今日のアレは例外中の例外さ。一応、これから見回りに出るが、ついてくるか?」
「はい、僕も行きます」
このままだと吐くまで飲まされそうなので、僕は外の空気を吸いがてら見回りに同行することにした。
おっちゃんは貴重品だという煙草に火を点けて、深呼吸するように吸った。
「都会じゃどうか知らんが、ここで煙草は弾と同じくらい貴だからよ」
「さっきここは安全だと言ってましたが、何か対策をしてるですか?」
おっちゃんは銃を担いだまま、顎をシャクった。
「この森が要塞さね。森を抜けてまで集落にたどり着くゾンビは少ない。もし着けたとしても、お前さんたちが目撃したよう足腰をやられちまって這ってくる。たまに強靭なのが駆けてくるがな。そういうのはたいてい村のほうからだ。ほら、あっちのほう」
僕たちは山から直接集落に来たので意識しなかったが、集落は小山の上に陣取る形で建っていた。
老人が指差した方角には電柱や電線が見える。
きっとあの位置に元いた村があるのだ。
「村から集落に来る道には、狩猟用の罠や落とし穴なんかがあちこちにある。木と木のあいだに鈴をつけた紐を垂らして警報装置にしてるし、今日みたいなことはめったに起こらんよ」
「見張りはいつも一人でやるんですか?」
「いつもは二人か三人。今日はお前さんがいたし、飲ませてやりてえじゃんかよ。久々の客人で皆浮かれてんのさ。俺は下戸だから……」
おっちゃんの表情が変わった。
狩人の勘というやつだろうか。
「隠れな、あんちゃん」
茂みに身を潜めていると、山から雪男のような怪物が現れた。
あれが山ゾンビか?
発達した大腿部、まっすぐ伸びた背骨、バランスのとれた二足歩行。
だが毛は白くない。
茶色っぽい黒色の体毛はボサボサに伸びていて、頭部や顔も毛で覆われている。
「あれはなんです」
「雪男さね」
やはり雪男だったようだ。
おっちゃんは慣れた手つきで弾を込める。
撃つつもりだ。
熊撃ち用の12ゲージ散弾銃に大ペレット弾が装填される。
雪男に狙いを定める横顔は本場のマタギにも引けをとらない。
雪男はもうすぐそばまで来ている。
芸術的な、余りに芸術的な発砲音。
狩猟用の散弾銃はクレー用も兼ねていることが多いため、機能美の他にも芸術美を併せ持っている。
僕は横で耳を塞いでいたのだが、もしものときに対処できるよう意識を集中させていた。
しかしそんな心配は無用だった。
おっちゃんは狩猟のプロである。
二回の発砲。
ばらまかれた散弾は雪男の側面を遅い、体に無数の穴をあけた。
まさしく達人の技。
雪男は膝から崩れ落ちる。
「これは、やりますねえ」
「若いもんにはまだまだ負けんよ」
そう言いながらおっちゃんは雪男に三発目を撃ちこみ、排出された薬莢を手でキャッチするという謎の芸を披露した。
クールに気取っていながら、彼もまたこの芸を見せられる客人の到来に浮かれていたのかもしれない。