行軍日和
ユキの出産予定は5月。
それまでに立川に戻ってくることが目標だ。
ちなみに大昔のヨーロッパでは出産日から懐胎した時期を逆算していて、どんなに長くても10ヶ月程度で産まれると考えられていたそうだ。
大昔といっても中世、人間のつくりは今と変わらない。
人によっては出産までに10ヶ月を超えることもザラにある。
そんな場合には、主人とは別の男の子供が出来たと勘違いされ、酷い目に合わされることもあったという。
日本人はおおまかにだいたい10ヶ月前後としていたので、そのようなことはあまり起こらなかった。
案の定、スノープラウは役に立たなかった。
積もった雪は下部が圧縮されて氷になる。
スノープラウでは引き剥がせず、いくら押しても車の前方に積み上がっていくだけで、効果がない。
最低でもディーゼル除雪機を引っ張ってこなければダメだ。
しかしそんなものが東京にホイホイあるわけがない。
新潟まで行けばあるいはどこかに転がっているかもしれないが、期待はできない。
せめて冬に騒動が起こっていてくれればと僕は思った。
まさか練馬ICから関越自動車道に入るわけにはいかないので、まずは所沢ICか三芳PAを目指すことになる。
近そうに見えるが、渋谷区に向かった時のように道が整備されていないし、何より徒歩で雪をかき分けて行くのだから時間がかかる。
第二次世界大戦時、兵士は行軍で50kgの荷物を背負って歩いた。
現代はもっと軽くなったとはいえ、30kg近くの荷物を背負う。
道端にゲリラが潜んでいて撃たれる心配はないので気持ち的には楽だが、30kgは30kg。
重くて仕方がない。
僕と眞鍋は男だからというハラスメントを受け30kgを担いでいる。
マミは女だから軽めに20kgだ。
イワンはというと一人で60kg担いでいる。
もやは人型の馬である。
ハッ、ハッという息遣いだけが皆の口から漏れる。
会話をしている余裕はない。
徒歩での移動は危険だ。
せめて関越自動車道に着けば、高所かつ防音壁で隠密性があがり、ゾンビに気づかれにくくなる。
銃弾は必要最低限しか持ってこなかったので、余計な戦闘は避けていく。
イワンのVSSが唯一の狙撃銃。
僕と眞鍋はHK416を、マミはM4カービンを持っている。
各自拳銃も携帯しているが、拳銃用の弾は少ない
「これは、思ってたより、きついわね」
「きついなら荷物を少し持とうか? 僕はもうちょっと持てそうだ」
「いいえ、あとでヘバッたら、困るでしょ。このくらい、なんとかなるわ」
前方を歩いていたイワンが、片手を挙げる。
止まれの合図だ。
僕たち三人は中腰になる。
銃には白いテープ、体には上下白の防寒着を着ているので、雪の中でしゃがむとゾンビに見つかりづらい。
前方でイワンも中腰になって、VSSを構えた。
チャッチャッという独特の発砲音は、この距離からでも聞こえにくい。
再びイワンが片手を挙げ、ついて来いという合図を出した。
「ありゃあプロですな」
眞鍋が言った。
通り過ぎる前にイワンが撃った方向を見ると、ゾンビの死体が1体転がっていた。
このように、イワンは先陣を切って進んだ。
実際、彼の巨体が道を作るので、僕たちは後ろからついていくだけでよかった。
冬期ゾンビ世界を体験してみようツアーに参加しているような気分だ。
ガイドは元スペツナズのロシア人。
使用する弾は実弾。
気分を味わうために、参加者には実銃と30kgの荷物を持ってもらいます。
一度関越自動車道を通ってきているイワンの提案で、テントなどは置いてきている。
なぜなら高速道路には車が大量に捨てられているので、屋根のある場所には困らないからだ。
雪で埋もれているとはいえ、掘り起こせば鉄製テントの出来上がり。
荷物も減って一石二鳥である。
僕が密かに楽しみにしていたのは、パーキングエリアで売っているご当地モノだ。
こればかりは都内のスーパーをいくら漁っても手に入らない。
道のりが長く険しいからこそ、小さなことを楽しまなければやっていられない。
その日は結局、関越自動車道に着く前に日が暮れ、近くにあった民家で泊まることにした。
雪を火で溶かして熱湯にし、湯たんぽに入れて抱きながら目を瞑ると、すぐさま眠りはやってきた。
歩き通しの疲労と、湯たんぽの温かさで熟睡出来たその日、例の悪夢は現れなかった。
工場にいた時には毎晩見ていたのがウソのようだ。
これなら日中の行軍も悪くないな、と僕は思った。