拉致
ハチ公前広場に戻った僕は、装甲車に銃を積んで、後から考えたらなんでそんなことをしたのかわからないが、ハチ公像の前まで行き「よう、ハチ」と声をかけた。
渋谷駅では何度か降りたことがある。
ウフィツィ展を観に行ったときや、言の葉の庭を観たときだ。
待ち合わせ場所はモヤイ像で、ハチ公像ではなかった。
だから一度でいいからハチ公像を見ておきたかった。
別段忠犬ハチ公に思い入れがあるわけではないのだが、なんとなくハチ公に挨拶しておかなければと思ったのだ。
「まだ待ってんのか、ハチ公。忠義モンだよな、お前も」
人類の危機が起こってもなお、渋谷駅で飼い主を待つハチ公像。
もし僕が帰らないときに、ヒューイは待っていてくれるだろうか?
「手を上げろ! ゆっくりと膝をつけ」
どこから現れたのか、僕の後方には拳銃を持った四人の男女がいた。
マスクをつけているため顔の造形はわからない。
しかし髪の毛や背格好からいって、男女それぞれ二人ずつだ。
「怪しい者じゃない。僕たちは通りがかっただけだ。君たちと争う気はない」
「黙れ! いいから膝をつけ! 車の奴らも降りてこい!」
彼らはもう僕の側まで来ている。
車にはエンジンがかかっているが発車する気配はない。
彼らのニューナンブM60では装甲車を抜くことはできない。
眞鍋は僕の指示を待っている。
降りて応戦するのか、大人しく投降するのか、それとも逃げるのか。
正解は三番だ。
事前に決めておいた合図を、拳銃を持っている奴ら(おそらく渋谷区連合員)には分からないように出す。
装甲車は急発進し、それに向かって一人が発砲するも、当たらなかった。
「まあいい、放っとけ。こいつがいれば戻ってくるだろう。お前、立て! 行くぞ」
二人に両脇を抱えられて、もう一人にボディーチェックを受ける。
腰にあったベレッタ92を奪われた。
ボディーチェックの様子を眺めていたリーダーらしき人物が言った。
「これをどこで手に入れた。盗んだのか?」
「ジャパネットたかたで買ったんだよ。送料無料だぜ、あんたも一つ注文したらどうだ?」
「ふざけやがって。連れて行け!」
僕はずるずると引きずられていく。
拳銃を持っているからどんな連中かと思ったら、意外とお粗末な奴らだった。
人質をとって移動する際に、拘束する場所までの道のりを見られるのは愚だ。
袋でも何でも頭にかぶせたらいいのに、彼らはそれをしなかった。
おかげで僕は、放送センタービルに行くまでの道のりを覚えてしまった。
彼らは一直線に向かうのではなく、道をわからなくする目的か、はたまたゾンビを撹乱するためかは知らないが、くねくねと曲がりながら放送センターに向かった。
さすがは放送センターといったところか。
テロリストの襲撃に備えて入り組んだ内部構造になっている。
けれどもそれをまったく活かしていない彼らは、入り口からかなり近い部屋に僕を押し込んで、交番から盗んだものだろうか、手錠をかけて出て行った。
手錠は椅子と手を括りつけるようにしてはめられている。
見張りはいない。
彼らがマリナが言っていたニート長老なのだろうか。
全員男だと聞いていたが、女も混じっていた。
何はともあれ状況確認だ。
閉じ込められた部屋は元は控室か事務室に使われていたようで、狭くはない。
武器になりそうなものは見当たらない。
椅子は床に固定されていないので、立ち上がれば手錠で繋がったままではあるが移動できる。
しかし相手は拳銃で武装している。
闇雲に争えば撃たれておしまいだ。
ここは様子見が得策だろう。
やがて目出し帽をかぶった大柄の男が部屋に入ってきた。
拳銃を持っていたのとは別人だ。
「質問に答えてくれ。お前は何者だ?」
「僕は日本人だ」
「それは見ればわかる。自衛隊か?」
ヘルメットを見て言ったのだろう。
ここは演技しておいたほうが良さそうだ。
「そうだ。練馬駐屯地で籠城していたが、ゾンビが少なくなってきたので外に出てきた。君たちに危害を加える気はない。解放してくれ」
「余計なことを喋るな。質問にだけ答えろ」
まるでドラマのような台詞だ。
「仲間は何人いる。武器は? どれくらい車に積んである」
「僕と、もう一人だけだ。拳銃と89式を持ってる。弾は二人で360発しかない」
「駐屯地には何人いる?」
「それは答えられない」
男は立ち上がった。
あまり考えるのは得意ではないようだ。
ブツブツと独り言を言いながら、指を曲げたり伸ばしたりした後で、また部屋から出て行った。
きっと誰かに報告しているのだ。
それならなぜ立ち会うのではなく、あの男一人に任せているのか。
人数や武装を知られたくないから?
敵対する必要がどこにある?
わからない。
だが、用心しすぎるということはない。