06
一時間よりも長いものとなってしまいましたが、ドラゴンの里へ向かう空の旅は概ね順調でした。
特に私は、お尻の痛みを除けば楽しんでいたくらいです。
しかし、ドラゴンの里に辿り着くのに一時間以上掛かる原因となった人は、地面に降りた今でもなお青い顔をしています。
初めて乗った時は気付きませんでしたが、ドラゴンに乗って飛ぶというのはジェットコースターに乗った時ととても感覚が似ています。
私は日本でテーマパークの近くに住んでいて、よく絶叫系に乗っていた上に好きだったので大丈夫でしたが、オルディオにとってはそうではなかったのでしょう。
あれは、苦手な人はとことん苦手ですからね。
しかしオルディオは、決して私たちに惨めな姿を見せはしませんでした。
ただ唇をぐっと噛みしめ、壮絶な表情でファリィにしがみついていました。迷惑を掛けまいと思ったのでしょう。
その様子に気付いたファリィが速度を落としたので、結果的に行程は遅れる事になりましたが。
「ミ、ミカ様。一時間前に掛けたまま、魔法を掛けていませんので、今……」
息も絶え絶えでそのような事を言われても頷けません。
「私はまだ、大丈夫だから」
「……すみません」
本当は少し体が重いのですが、まぁ問題ないでしょう。
それにしてもドラゴンの里というのは、想像していたよりもずっと綺麗な場所ですね。
かなり高さがあり、さらに今は冬なので、剥き出しの地面にちらほらと草花が生えているだけの、自然の豊かさという点においては閑散な景色です。しかし、乱立する様々な色形をしたクリスタルがその場を鮮やかに彩っていました。
光を受けたクリスタルがそれを通し、色を付けるので里全体が七色に輝いているように見えます。
「綺麗、ですね」
いくぶんか顔色の良くなったオルディオの呟きに私は頷きました。
地球では決して見ることの出来ないものでしょう。実にファンタジーらしい光景です。
「……こんなの全然、綺麗なんかじゃないです。あの結晶はドラゴンの死体なんですよ」
私の頷きに、ここに着いてからずっと沈黙を保っていたファリィが非難の声を上げました。
一体、ドラゴンの死体とはどういうことでしょうか。
ファリィと同じ生物だったものには全く見えませんが。
オルディオと二人で言葉の続きを待ちます。
「ドラゴンはしっかりと肉体を持っているように見えますが、実は身体のほとんどが魔力でできているんです。だから人間にも変身できるんですが……死んだ時はああいう風に魔力の塊に戻って、元が誰かもわからなくなっちゃうんです。ドラゴンの姿で葬られることも無く、ただの石になって道端に突き刺さって、結晶に残った魔力が切れたら跡形もなく消えちゃうんですよ? そんなの、綺麗だと思えません。私は、嫌です」
私はそっとファリィの首の付け根に手を置きました。
艶やかな鱗の下に確かにある、温かい血の流れが置いた手から伝わってきます。
ファリィがどんな気持ちなのかは全くわかりません。
ただでさえ、異世界に来て自分の命に関する現実感が持てずにいるのに、そんな話を聞いても何と言えば良いのか。
けれどもうここへ来て三年。さらに現在命の危険にさらされている訳ですから、無関心でいるわけにはいかないでしょう。
それにもうぼっちじゃないのです。家に引きこもって魔法の研究ばかりしている訳にはいきません。
自分自身がちゃんと考える事の出来なかった事を、自分の事のように心配してくれた大切な友達。
友達の話はよく聞いて、よく考えて、しっかりと返事をすべきですよね?
「ファリィ、あの――」
「お前たち、そこで何をしている!」
聞こえてきた野太い声に振り返ると、ファリィと同じ紫色のドラゴンが胸を膨らませて大きく息を吸っているのが視界に入りました。
胸元がどんどん赤く染まっていきます。
「ミカ様!」
オルディオが私とファリィの前に飛び出して、魔方陣の描かれた紙を地面へと叩きつけました。
そこから瞬く間に土の壁が作り上げられていきます。
しかし、土の壁は凄まじい音を立ててすぐに崩れてしまいました。
一体何が起こったのか。
先ほどのドラゴンの口から煙が上がっているのを見て、ようやく理解しました。
いわゆるブレスというやつですね。
普通、初見でぶっぱなしますか。ふつふつと怒りが湧いてきますが、魔法が使えないので攻撃も防御も出来ません。
口惜しい……。
と、思ったら今度はファリィがブレスを相手に向かって吐きました。
もしかして、ブレスはドラゴン流の挨拶なのでしょうか。
ブレスをもろに受けてのけ反った相手にファリィは助走をつけてのしかかると、そのままゼロ距離でもう一度ブレスを放とうとしました。
容赦がありません。
「待っ、待ってくれ! 死ぬっ、そんなことされたら死んじゃうからぁっ」
情けなく叫んだのを見て、ファリィがぴたりと動きを止めました。
あぁ、やっぱりブレスは挨拶では無かったようですね。
それにしてもファリィ。正直言ってやりすぎです。
「あれ? もしかして、フリュー?」
しかも知り合いみたいですね。
「最初に見た時点で気付けよ! ったく、実の姉に殺されるかと思ったぜ」
知り合いどころか身内だったようです。
「ごめんなさい。突然ブレスが飛んできたからびっくりしちゃって、反撃しないとって思ったの。それに百年ぶり位だからかな、凄くフリューが大きくなっていて気付けなかった」
百年ぶりって一体ファリィは何歳なのでしょうか。
とても気になる所ではありますが、久しぶりの会話みたいですし、今は姉弟の再開を見守りましょう。
「大きく……ふんっ! まぁ、いい。それよりもいつまで俺の上に乗っているつもりだ!」
フリューと呼ばれたドラゴンは乱暴にファリィをどかすと、首を最大限に伸ばして私たちを見下ろしました。
同じ色の鱗と瞳を持っていますが、ファリィとフリューは正反対の動作をしますね。
まぁ、同じ色と言ってもファリィの方が透明感のある宝石のような色合いで、フリューの方はペンキをぶちまけたような、原色そのままという感じの色合いですが。
それにサイズも弟だからか、フリューの方が少しだけ小さいように見えます。
「ファリシエッド、こいつらは一体何だ?」
「何って……いきなり攻撃してきてその言い方は――」
普段穏やかで沸点の高そうなファリィの声が怒気を帯びました。
私とオルディオの為に怒ってくれているのかと思うと嬉しいものがありますが、第一印象は大切。
フリューがどういった立場のドラゴンかわからない以上、機嫌を損ねる訳にはいきません。ファリィの弟だからといって私たちを迎え入れてくれると安易に思わない方が良いでしょう。
というより、フリューの態度から察するに間違いなく歓迎されていません。
私はドラゴンの里に入れてもらい、そこの技術を借りなければいけない身の上。誇りなどはかなぐり捨ててへりくだるべきです。
今にもフリューに向かって何かを言いそうなファリィ―を手で制し、私は二人の間へと踏み出しました。
自分の数倍も背丈があるフリューを至近距離で見上げた瞬間、先ほどのブレスが頭をよぎりました。嫌な汗が握りしめた手に滲みます。
こんがり焼かれない為にも出来るだけ丁寧に、はやる気持ちを抑えてゆっくりと頭を下げます。
後ろでファリィが息を呑んだ気がしました。
「前触れもなく、突然ドラゴンの領域に乗り込んでしまった非礼をまず、謝罪したいと思います……申し訳ありません。私はグレンダ王国に所属する魔法学者で、ミカエルと申します。そしてこちらは――」
そういえばいち魔法学者が、護衛などという大層なものを持っているのでしょうか。
何と紹介すべきか悩んでいるとオルディオが私の少し後ろへと移動し、中途になっていた言葉を引き継ぎました。
「ミカエル様の従者をしております、オルディオ・クレメンテです」
最低限の礼をして、オルディオは少し下がりました。
「お前たちには聞いてない。だけど、まぁ、いいだろう。礼儀は知っているようだな。俺はドラゴンの里の統括者であり、竜族の族長であるフリューイング・ゼスティンハイムだ」
弟が族長ということは、ファリィは人間でいうところの王女様でしょうか。意外なことに驚きは大きくありませんでした。人間として抜けている所は多いものの、言動の端々に気品と聡明さをいつも感じていたからでしょう。
しかしこのドラゴンが族長でドラゴンたちの将来は大丈夫なのでしょうか。
フリューは私の心の内を知ってか知らずか、こちらを見て鼻で笑いました。
「それで、人間が何の用でここへ?」
「実は私、ドラゴン特有の病に掛かってしまいまして。その治療法がドラゴンの里にしか無いとファリシエッドさんに聞き、ここを訪れました」
「まさか、魔力を作る事が出来なくなる病か!?」
いきなりフリューが顔をぐっと寄せてきたので、思わず悲鳴を上げそうになりました。
フリューの大きな口が、鋭い牙が視界を占めて、頭の中が真っ白になります。
「は……は、い」
どうにか絞り出した声は掠れていました。
返事を聞いたフリューは私の怯え様に気付いたのか、慌てて後ろへと下がりました。
緊張から解放されて、止めていた息をゆるゆると吐き出します。座り込みたい衝動に駆られましたがさすがにそれは我慢。
我ながらびびりすぎて嫌になります。
「そうか……ファリシエッド、お前があの魔方陣を使う気か?」
「ううん、私じゃきっと失敗しちゃう。だからフリュー、お願い。私の代わりにミカさんの病を治して!」
頭を下げたファリィに、フリューは戸惑った顔で私とファリィを見比べています。
私自身、ファリィの話の内容には戸惑いを隠せません。
てっきりファリィが魔方陣を使って、私の病を治してくれるものと思っていたのですが。
しばらく逡巡していましたが、結局フリューは頭を横に振りました。
「それは無理だ」
「フリュー!」
すがるようなファリィの声を、フリューは淡々とした口調で跳ね除けました。
「お前の望みならなおさら聞けない。今この瞬間、お前の顔を見るのも嫌なのに願いなんか聞けるわけないだろ。俺はお前を殺したいとさえ考えているんだ」
何と自分勝手な。
命の危機に瀕している私からすればそう思わずにはいられませんでしたが、出会い頭にいきなりブレスを吹っ掛けるくらいです。何があったのかはわかりませんが、殺したいという思いは肉親であれ嘘では無いのでしょう。
どういう経緯で殺意を抱くまでに至ったのか聞いてみたい気もしますが、そこは二人にとって踏み入ってはいけない部分のような気がします。
少なくとも赤の他人である私には口を出す資格はありません。
ファリィは弟の言葉に衝撃を受けたようで、目を見開いて固まっています。
「おい人間、確かミカエルと言ったな?」
「はい」
何を言われるのか内心どきどきしながら、フリューの青い瞳に視線を合わせます。
「……ミカエル、お前の病を治してやることは出来ないが、ドラゴンの里への滞在は歓迎しよう。幸い、その病はうつるものではないしな」
今までの見下したような、険悪な態度はどこへいったのでしょうか。
気遣ってくれる言葉に驚きつつも、私は頭を下げました。
「ありがとうございます」
フリューは私の礼を見届けると、いまだ硬直したままのファリィへと顔を向けました。
「お前はここより先に立ち入る事は絶対に許さない。だが、魔方陣のある場所へだけは入っていい事にする。まぁ、お前には無理だと思うが、せめて責任を持って自分で治そうとするくらいはしろ」
「……うん」
「じゃあな」
フリューは早口で別れを告げると、一秒でも長くここに居たくないといった様子で、足早に飛び去って行ってしまいました。
親切なのか不親切なのか。
何とも言えない気持ちでフリューが飛び去った方を眺めていると、今まで沈黙を貫いていたオルディオがふいに口を開きました。
「色々と思う所はあるかも知れないけど、今最優先すべきなのはミカ様の病を治すことだ。自信が無いとしても、魔方陣を使って欲しい。酷い事を言っている自覚はある。でも、僕が常にミカ様に魔法を掛ける事がいいけど、不測の事態が起きてもし掛ける事が出来なくなったら、取り返しのつかないことになってしまうかも知れないんだ」
「わかってる。わかってるよ」
ファリィの声がまるで泣いているようだったので、私は慌ててファリィの方へと目を向けました。
しかしドラゴンの表情など読めません。ただ、いつもと同じ聡明そうで雄々しく、美しい立ち姿だと感じるだけです。
けれどオルディオは私にはわからない表情の変化を機敏に読み取って、ファリィに声を掛けたのでしょう。
二人とも私のせいで悩んでいるのかと思うと、感謝の気持ちと同時に感じる罪悪感で胸が苦しくなります。
「治る可能性のあることはなりふり構わずすぐにやっておくべきです。フリューイングさんにはドラゴンの里に滞在していいと言われましたが、魔法が効かなかった時の為に今すぐ魔方陣の所へ向かった方が良いと思います。そうすれば最悪、今日中に王都に行って医者に見てもらうことも出来ますので」
「うん、そうだね……ファリィ、辛い思いをさせてごめん。でも」
「私なら大丈夫です! 魔方陣の所へ早く行きましょう」
明るく言おうとしている感じは伝わってくるのですが、ファリィの声はまだ若干涙声です。
「ありがとう、ファリィ」
そう言って首の根っこの方を撫でると、ファリィは一度だけ身じろぎをしてからゆっくりと体を地面へと伏せました。
「二人とも、乗って下さい」
「えっ?」
我ながら何ともまぬけな声を出してしまいました。口も半開きで、お顔も中々恥ずかしい事になっているでしょう。
表情を引き締め直して私はファリィに問いかけました。
「乗るって、魔方陣はここにあるんじゃ?」
「ドラゴンの里って意味で言えばここで合っているんですが……えっと、あそこに塔みたいに突き出た所があるの見えますか? あれの先っぽって少し平らになっていて、そこがドラゴンの里の頂上で、魔方陣の描かれた場所なんです」
「あー……なるほど」
里の奥の方に、確かに地面が突出した部分があるのが見えます。
しかし下の方は大きく、上に行くにつれて細くなっていっているので塔というより、山の上にもう一つ小さな山があるように見えます。その形は東京タワーに似ていないことも無いので、ある意味では塔と言えるかも知れませんが。
私は別にここであろうが向こうであろうが構いません。
大して距離もありませんし。
しかし、彼にとっては大きな問題でしょう。
恐る恐る振り返ると、若干青ざめた顔でオルディオは立っていました。
声を掛けるのも躊躇われる程の凄惨な佇まいです。
私が見ているのに気付いたオルディオは、強張った表情を無理やり動かしてぎこちない笑みを浮かべました。
「……ミカ様。治癒魔法を掛けてから…………いきましょう」
逝きましょうと聞こえたのは気のせいではないと思います。
私はオルディオに向かって両の手を丁寧に、心を込めてゆっくりと合わせて、頭を下げました。
読んで下さりありがとうございました!