05
あれから一晩経ちましたが、一向に熱が下がりません。
オルディオによると普通、治癒魔法というのは一度掛ければ完治するそうなのですが、何度掛けても熱は一旦下がるだけですぐにぶり返してしまいます。
変わった病気なのか、それとも異世界人だからなのかはわかりません。
しかし、魔力を自力で作り出せないという今の状態はかなり危ないそうです。
そもそも普通の風邪だと魔力を作ることが出来なくなりはしないとか。
治療中オルディオは説教をしたいのかずっと物言いたげな顔をしていました。
ただ「あまり無茶をしないでください」と言われたので「無茶なんてしてないよ」と反論したら「ほとんど徹夜で魔法の開発をしていたでしょう」なんて、どうして知っているのか不思議な事を言われました。
それ以上のお小言が無いのは不調の私を気遣ってくれているからでしょう。
オルディオだって私の為に寝ずに魔法を掛け続けていて辛いはずなのに、黙々と家事までこなしてくれています。
それというのもファリィが全く家事を出来なかったからなのですが……。
しかし彼女もオルディオに教えてもらいながら精一杯手伝っているようです。
病に侵されても衰えない食欲で朝食を美味しく頂いていると、オルディオがじっとこちらを見つめてきました。
「何か話でも?」
「いえ。ただ、食事を摂る事は出来るようで、安心しました」
「オルディオが魔法を掛けてくれているからだよ」
私の言葉に、オルディオは何故か困り顔で苦笑しました。
「治す事が出来なくて、すみません……あの、王都の医者を呼ぼうと思うのですが、よろしいでしょうか?」
「うん、お願い」
食べ終わったので皿を持って立ち上がると、ファリィに慌てて止められました。
「私が運びます! ミカさんは座っていて下さい」
「あ、うん。ありがとう」
お言葉に甘えて大人しく椅子に掛け直します。
普段は気付きませんが、こうして座っているだけで少しずつ魔力を消費しているのを感じます。
魔力を使いすぎると死ぬとよく言いますが、もしかすると魔力は生命力のようなものなのかもしれません。
通常の状態ならば、消費を上回る量の魔力を生成できるから問題無いのでしょう。
しかし、今私は魔力を作る事が出来ません。オルディオがいなければもう生きていなかったかも知れないと思うと、ぞっとします。
「ミカ様はもしかすると、人の掛かる病じゃないものに掛かったのかも知れませんね」
オルディオの言葉に私は首を傾げました。
「別の生物の病気ってこと?」
「はい。専門じゃないので確かなことは言えませんが、その可能性はあります」
地球での経験上、そういう病は厄介なイメージがあるので、治るのかどうか不安になってきました。
とにかく、オルディオが呼んでくれるという医者を待つしかありません。
憂鬱な気分を振り払おうと窓から外を眺めてみると、紫色に輝く鱗が見えました。
「ファリシエッドさん?」
朝早くに一体何の用でしょうか。
とりあえず立ち上がろうとした瞬間、轟音が耳を貫きました。
ファリシエッドさんの声です。
穏やかに話す姿しか見たことがないので、咆哮を上げる時はこのように大音量を出せるのかと意外な思いです。
「魔物か――!? ミカ様、隠れていて下さい」
止める間もなく、オルディオは剣を片手に外へと飛び出して行ってしまいました。
このままではファリシエッドさんとオルディオが争う事になるかも知れません。
私も慌てて二人の下へ向かいました。
「オルディオ! 待って、そのドラゴンは知り合いなんだ! ファリシエッドさん、今日は一体どうしたんですか?」
ファリシエッドさんが返事をする代わりに、オルディオがふらりと前に歩み出ました。
「ファリシエッド……君は、ファリィじゃないのか?」
「えっ?」
驚きと共にファリシエッドさんの方へ目を向けます。
ファリシエッドさんは言葉を知らないかのように、ただ静かに青色の瞳で私たちを見下ろしています。
何も言わないのを肯定を受け取ったのか、オルディオがさらに一歩前に進みました。
「ファリィ……人間じゃないとは思っていたけど、まさかドラゴンとは」
以前から人間じゃないと思っていたのですか。
全く気が付かなかった私は鈍感なのでしょう。しかし言われてみれば体を覆う紫色、話し方、仕草、そして何より、透明感のある知的なあの青い瞳はとても良く似ている、というより同一のものです。
どうやって鉤爪で文字を書いているかずっと不思議でしたが、今思えば文通の返事は人間の姿になって書いていたんですね。
どうして気付けなかったのでしょうか。
「本当に、ファリシエッドさんはファリィなんですか」
ほとんど確信していましたが、本人の口からきちんと聞きたいと思って私はファリシエッドさんに尋ねました。
「はい、ファリィです」
「どうして」
何と言っていいか分からずに私はただそう呟きました。
「どうして、でしょうね……最初に人間の姿であった時、すぐにファリシエッドだってばれるだろうなぁって思いながら、ほんの出来心で嘘を吐いたんですけど、意外とミカさん気付かなくて」
私の鈍感さのせいですか。
いや、気が付かなかったのは悪いと思っているんですが、まさかドラゴンが人間に変身できるとは思いませんし。
「そのままずるずると嘘を吐いているうちに言い出しずらくなって……もう、このまま嘘を貫き通そうと思ったんです」
「しかし今日ドラゴンの姿を見せたら、オルディオに正体を見破られてしまった、という訳ですか?」
「いえ、オルディオにドラゴンの姿を見せたら気付かれるっていうのは前から確信していました。だから、嘘がばれることは覚悟の上で、ドラゴンの姿で会ったんです」
喉元まで出かかった先ほどと同じ疑問の言葉を、私はぐっと飲み込みました。
突然ファリシエッドさんが正体を明かそうと思った理由なんて、よく考えれば一つしかありません。
「ファリシエッドさんは、私の病気について何か知っているんですね」
「はい……同じものか確信はありませんが、私は魔力を作る事が出来なくなる病を知っています。そしてそれは人の病ではありません。ドラゴンだけが掛かるものです」
やっと色々と得心がいきました。
どうしてドラゴンの病に掛かってしまったかは不思議ですが、ファリシエッドさんは私をオルディオが人の病ではないかも知れないという話をしているのを聞いて、ドラゴンの病について思い至ったのでしょう。そして私の為にそれを教えてくれた。ならば最も重要な事を最後に聞かなければいけないでしょう。
「治療法は、あるのですか?」
「あります。ドラゴンの里にある山の頂上に魔方陣が描かれているので、それを使えば病は治ります」
「治るんですか……良かった。それにしても回復魔法の魔方陣ですか。凄いですね」
個人の魔力に合わせて魔方陣を描かなくてはいけない為、理論上では不可能とされてきたことです。もし誰にでも効く回復魔法の魔方陣があったとしたら、大発見でしょう。
それとも、特定の病原菌などを取り除く魔方陣なのでしょうか。それなら可能かも知れませんね。
ふとオルディオの方を見ると顎に手を当てて考え込んでいました。恐らく同じような事を考えているのでしょう。
視線に気付いたのか、オルディオがふいに顔を上げました。安定の困り顔です。
「ドラゴンにしか効かない、とかはないよね」
「わからないの。今まで人間に使ったことないから……それに、昔ドラゴンに使った時も失敗しちゃったし――」
治る確率は思ったよりも低そうですね。しかし他に手がない以上、ファリシエッドさんの言う魔方陣に懸けるしかないでしょう。
ドラゴンは掟なども厳しそうですし、そもそも行かせてもらえるかわかりませんが。
「ファリシエッドさん。魔方陣の所へ、私たちを案内していただけますか」
「もちろんです! ただ……」
ファリシエッドさんは言い淀んだまま黙り込んでしまいました。
もしかして、ドラゴンの里に行くには何か代償でもいるのでしょうか。
「あの……恐らくですが、ファリィの言いたいことが分かるので、私が代わりに行ってもよろしいでしょうか」
ファリシエッドさんの方を見てみると頷いていたので、オルディオに言って貰います。
「間違っていたらすみません。ファリィは、ミカ様に以前のようにファリィと、呼んで欲しいのだと思います。そして敬語ではなく、人の姿のファリィと話していた時のように、親しげに話をして欲しいのだと思います」
そんなまさかという気持ちでファリシエッドさんの方へ顔を向けると、何度も頭を縦に振っていました。
確か私の命に係わる重大な話をしていたはずなのですが、皆さん結構呑気です。
「なるほど。わかったよ、ファリィ」
溜め息交じりに私は言いました。
二人とも、私の事なんかそんなに心配していないということが、よくわかりましたとも。
「ありがとうございます! 私、ミカさんにファリィって呼んで貰うの、とっても好きなんです。だから、これからもミカさんにファリィって呼び続けて貰えるよう、絶対にミカさんの病気を治します!」
「たとえその魔方陣が使えなかったとしても、ミカ様がご迷惑で無ければ、私は魔方陣を掛け続けますので……」
前言撤回です。想像していたよりもずっと私の身を案じてくれているようです。
感謝してもあまり表現出来ない自分の不器用さにはうんざりしますが、今はそれどころではありません。
「二人ともありがとう。じゃあ、ドラゴンの里にはいつ行こうか」
ドラゴンの里なんて聞いたことも無い所です。
行って帰ってくるのも一筋縄ではいかないでしょうし、何かしら準備をする必要があるでしょう。
「えっと、今から行かないんですか?」
心底不思議そうなファリィの言葉に、オルディオが眉尻を下げつつ答えました。
「こっちの都合で申し訳ないけど、遠出をするなら国に相談しに行かないといけないから、今からはちょっと厳しいな」
「遠出って、バディーナ山ですよ? 一時間もあれば付きます」
「ドラゴンの里って、意外と近いんだ」
オルディオが放心したように呟きました。
バディーナ山は、ファリィが住んでいたスヴェレラ山を越えた所にある、グレンダ王国で最も大きい山です。
ここからの直線距離で言うと、王都とここの距離の1.5倍くらいでしょう。
実際には山を越えなければいけないので数倍の時間が掛かりますが、ファリィは飛べるので問題はありません。さすがに一時間は早すぎると思いますが。
「一時間か……では、念のために置き手紙をしてからドラゴンの里へ向かいましょう」
オルディオの言葉に、ファリィが首を傾げました。
「置き手紙って誰が見るの?」
「グレンダ王国から僕たちの様子を見に来る人かな。毎日ミカ様の様子を国に報告をしているんだけど、僕が何らかの原因で報告しにいけなかった場合、国から人が送られてくるはずなんだ。昨日、報告に行けなかったから昼までには来ると思うんだけど」
オルディオが王都へ続く道に目を向けたのにつられて、私も視線を動かします。
今のところ人が来る気配は全くありません。
「レヴィスのやつ、寄り道しているんじゃないだろうな」
普段聞かないような低い声に振り向くと、苛立たしげに形の良い眉を歪めたオルディオが視界に入りました。完全に目が据わっています。
「すみません。すぐに手紙を書いて、その他の準備も済ませますので」
「私もどこかへ行くのなら準備がいるから、そんなに急がなくてもいいよ」
「……ありがとうございます」
軽く頭を下げたオルディオを横目に、準備をする為に家の中へ向かいます。
「待って下さいミカさん! お手伝いします!」
そう言うとファリィは早口で呪文のような物を唱えました。
するとドラゴンの身体が紫色の鱗になって、風で桜吹雪のように舞い上がりました。
何とも幻想的な光景です。ぼんやりと眺めていると、その中から人間姿のファリィが地面へと降り立ちました。
紫色の長い髪と、オルディオの選んだ青いワンピースの裾が風でふわりと持ち上がって、ファリィに一種の神秘性のようなものを与えています。
実は天使でしたとカミングアウトされても疑いはしないでしょう。
「綺麗だよ」
何の気なしにそう言うと、ファリィは頬を真っ赤に染めて俯いてしまいました。
「あ、ありがとうございます」
照れているのでしょうか。とても可愛いですね。
ふとオルディオの方を見ると、ファリィの事をぼんやりと見つめていました。
中々見る事の出来ない情景でしたし、仕方ないでしょう。そっとしておくに限ります。
「じゃあ、手伝いよろしく、ファリィ」
「はい!」
名前を呼ばれて、嬉しそうにファリィが笑顔を浮かべました。
さぁ、彼女の故郷、ドラゴンの里へ向かう為の準備を始めましょう。
読んで下さりありがとうございました!
書いていて、なんだかんだ言って主人公が一番呑気な気がしました……。
ファリィの秘密に気づいていた方がどのくらいいたのか、気になります!