03 ドラゴンの青い空
美味しいご飯にファリィとの楽しい会話。これ以上ないほどに穏やかな食事の時間です。
そんな朝の幸せな一時を壊したのは、小さな来訪者でした。
ケチャップで味付けをした炒り玉子と、厚切りのハム。それと昨日の残りの、少し硬くなってしまったパンをミルクに浸して食べていた時です。
元気よく扉を叩く音が聞こえてきました。
「こんな朝早くに誰でしょうか?」
ファリィが不思議そうに首を傾げています。
客の正体を知っている私は、緊張に表情を強張らせながらも扉へと向かいました。
「どなたですか?」
念のため聞いておきます。と言うより、聞かないと怒られるので聞いておきます。
「オルディオです」
はきはきとした返事が外から響いてきました。
これまでは昼頃に来て、夕方になると帰っていたのですが、昨日私が何も言わずに遠出をしたことで、朝から晩まで一日中護衛、もとい監視をすることにオルディオは決めたそうです。
しかし都からここまで一時間。今の私の足で行くと三時間はかかる距離です。
一体何時に起きているのでしょうか。
私のせいで寝不足になっていないと良いのですが……。
私は恐る恐る扉を開きました。
「おはようございます。オルディオ」
「おはようございます! 勇者様」
あぁ、また勇者様呼びです。
けれど、きちんと整えられた服と髪。そして生き生きとした声。何より子供らしい無邪気な笑顔には全く寝不足らしい様子は見られません。私は安堵のため息を吐きました。
「勇者……さま?」
後ろから聞こえてきた声に振り返ると、ファリィが呆然とした顔でこちらを見つめていました。
知られてはいけない事を知られてしまったようです。
「あの子は一体誰ですか?」
オルディオが険のある声で呟きました。
どうやら二人ともに説明をする必要がありそうですね。
さぁ、四角の机を囲んで説明会です。
一通り事情を話すと、ファリィは眉間に皺を寄せて難しい表情を作りました。
けれどあんまり真剣に悩んでいるようには見えません。子供が大人のしかめっ面の真似をして遊んでいるだけのように見えます。
しかし、一晩一緒に過ごしてわかりましたが、見た目に反してかなり頭の良い子です。
一体何と言われるのでしょうか。
「ミカエルさん。ちょっと気になる事があるんですが」
「何?」
「勇者様の名前って、タナカシンノスケとかヨコイタロウとか、ちょっと不思議な響きのものが多いって聞いたんですが、ミカエルさんは普通です。もしかして、偽名ですか?」
予想外の質問でした。
今までこの世界に召喚されたのは日本人しかいなかったのでしょうか。
「違うよ。私の名前も全て言えば、変わった響きの名前だと思う。ヤマダミカエルだから」
ちなみに漢字は山田美香愛瑠です。
日本人とアメリカ人のハーフなので、どちらの国でも通じる名前になるようにと名づけられました。
おかげで子供の頃のあだ名は大天使でしたが。
「ヤマダミカエル、ですか」
ファリィは確かめるように、何度も小さな口を動かして私の名前を呟きました。
やがて大きく頷くと、私のことを青い瞳でじっと見つめました。
「ミカエルさんは勇者様。納得しました」
名前で納得するのかとも思いましたが、とにかくこちらは一件落着です。
けれど、不機嫌そうな顔でずっとファリィを睨んでいるオルディオの方はそう簡単にはいかないでしょう。
この世界に来てから三年間、オルディオと一緒に過ごしてきましたが、笑っている顔と困り顔、そして呆れ顔以外あまり見たことが無かったので新鮮です。
ちなみに説教をしている時は常に呆れ顔です。
しばらく部屋に沈黙が流れましたが、やがてオルディオが口を開きました。
「君は国が隠している事を知ってしまった。だから、このまま普通に家へと帰る事は出来ないと思ってほしい。最悪処分されるだろう。そこで、君の素性を教えて欲しいんだ。どこから、何の用事でここに来たのか……勇者様はお聞きにならなかったみたいだからね」
「す、すみません」
オルディオの言葉に棘があります。
私の脆いメンタルはボロボロです。
ファリィの方を見ると、少し硬い表情をしていました。
「カタル村から出稼ぎの為に都へ行くつもりだったのですが、道がわからなくなってしまって。その時にこの家を見つけたので、一晩だけと思って泊めてもらいました」
「都に出稼ぎということは、働く当てが向こうにあるのかな? カタル村に家族は?」
「家族は皆、はやり病で死んでしまいました。だから当てはありませんでしたが、都に行って住み込みで働ける場所を探そうと思っていました」
ファリィが屈託なく、あまりにも子供らしく笑うので、そんなに苦労をしてきたとは思いもよりませんでした。
「なら、このまま勇者様のお世話係か何かとしてここで暮らすか、王宮で住み込みで働くか、どちらかだ。どうせ君はもう国の監視の下でしか生きられない身。これを断れば一生牢の中か殺されるかだと思ってほしい」
ファリィが私のお世話係と言うのには随分違和感があります。
ファリィがというより、今までお世話係というものがいたことが無かったので違和感があるのでしょうが。
それにしても、かなり物騒な話です。
「私は、もし勇者様が良ければですが、勇者様の下で働きたいと思います。良いでしょうか?」
断る理由がありません。私はファリィに向かって頷きかけました。
その様子を見守っていたオルディオは小さく息を吐き出すと、いつもするような困り顔を作りました。
「では、そういうことで国に報告をしておきます。勇者様が納得していると聞けば下手に手出しもしてこないでしょう。ファリィさん、脅すような事を言ってしまってすみませんでした」
素晴らしい豹変ぶりです。さっきまでの態度が演技だったのかと思うと恐ろしいものがあります。
ファリィも体の力を抜くと、笑みを浮かべました。
「いえ、こちらこそ迷惑を掛けてしまってごめんなさい。色々とありがとうございます。それで、あの、出来ればで良いんですが、さっきまでみたいにため口で話してくれませんか?」
オルディオが目を見開きました。黄色の瞳が驚きで大きく揺れています。
しばらく探るようにファリの方を見ていましたが、やがて気が抜けたようにふっと笑いました。
少し疲れているように見えるのは私の気のせいではないはずです。
「じゃあ、君も僕に対してはため口で話して」
「うん! ありがとう、オルディオ」
ふぅ、これで大団円と言ったところでしょうか。
「ところで、勇者様はどうしてそんなに簡単に扉を開けてしまったのですか! たまたまこのように善良な少女だったから良かったものの、勇者様を利用しようとする不埒な者だったらどうするつもりだったんですか。あなたを隠さなければいけない私の気持ちにもなって下さい!」
またオルディオの説教スイッチが入ってしまいました。しかし、今日の私は負けてばかりではありません。
「隠す隠すって言いますが、そもそもオルディオが私の事を勇者とさえ呼ばなければバレませんでしたよね?」
「そ、それはつい――」
オルディオは言葉を詰まらせて俯いてしまいました。
ハの字に垂れた眉を見ていると、何だか可哀想になってきます。
「ミカエルって呼びづらいのですか? それならばミカでも構いませんよ」
「呼びづらい訳ではないのですが……でも、そうですね。これからはミカ様と呼ばせて頂きます。その代わりと言っては何ですが、私に敬語を使わないで下さい。格下なのですから」
うぅ、また敬語禁止です。
今まで敬語については、変な顔はされても何も言われていませんでしたのに。
ファリィにため口を使っているのにオルディオに敬語と言うのは納得してくれないでしょう。
「わかった。けど、自分が格下なんて言わないで。あとファリィも、私のことミカってくれて構わないから」
「はい。ミカさん」
そっとオルディオが椅子から立ち上がりました。
「では、私は少し都に戻ります。ファリィが来て私の緊急時用のベッドが使えなくなりましたから。あと、ファリィの服も買ってきます。いつまでもサイズの合わない服で、風邪を引いてはいけませんからね」
言い方も言っている事もまるでお母さんです。
私の方が一応は年上のはずですが、どう考えてもオルディオの方がしっかりしています。
育ちの違いでしょうか。
オルディオは軽く礼をすると、そのまま出て行ってしまいました。
*
昼ご飯を食べてから、私は昨日の雨で消されてしまった魔方陣を描きなおしました。
うろ覚えの方角と距離を、頭の中から必死に絞り出します。
『こんにちは、ファリシエッドさん。昨日は酷い雨でしたね』
私は返事が来ることを心の底から祈りました。
もう一度あの距離を歩くのは絶対に嫌です。無理です。
せめてもう少し体を鍛えてからにしたいです。
じりじりとした思いで魔方陣を見つめていると、五分ほど後に返事は来ました。
『こんにちは。確かに酷い雨でした。雨が降っているととても飛びづらいので、ドラゴンにとって雨は天敵です! 昨日も雨で翼が濡れて、大変でした』
『それは災難でしたね。そう言えば私に同居人ができたんですよ』
『そうなんですか! 人間の一人暮らしは何かと物騒ですからね』
ここからまた世間話が始まりました。私達って、井戸端会議をする奥様みたいですね。
もう少し若さあふれる会話をしてみたいものです。
そして話は、ファリシエッドさんが私の家へと来る方向へ転がって行きました。
『では、今から向かいますね!』
ドラゴンだとここまで来るのに何分くらいかかるのだろうか、などと考えながらぼんやりと外で立っていると、ファリシエッドさんが大きな翼をはためかせて降り立ってきました。
「こんにちは! ミカエルさん」
「はは……こんにちは、ファリシエッドさん」
笑う事しか出来ません。私が一時間かかる距離を五分で行けるなんて、あんまりです。
「空を飛べるって、羨ましいですねー」
本当は空を飛べるのが羨ましい訳ではありませんが、私は浅慮にもそう呟きました。
「そうですか? なら、私の背に乗って飛んでみませんか!?」
「え……」
浅慮にも、空を飛べる事が羨ましいなんて恐ろしい事を呟いてしまったのです。
「そうしましょう! どうぞ、乗って下さい!」
嬉しそうなファリシエッドさんの提案を断れずに、私は空を飛ぶことになりました。
つやつやの鱗を、滑らないように気を付けて登ります。
それにしても本当に綺麗な鱗です。私は思わず紫色の鱗を撫でました。
「くすぐったいですよー。もうっ! 飛びますからね!」
「え――? うわぁっ!?」
ファリシエッドさんが飛び立ったことで、強い風が巻き起こりました。
私は風圧に目を細めながらも、顔をしっかりと前へと向けます。
「どうですか? 空を飛べるって良いでしょう」
得意気なファリシエッドさんの言葉に、私はぼうっとした頭で頷きました。
「まるで、夢の中にいるような気分です」
「ふふっ、気持ちが良いでしょう!」
ファリシエッドさんの背に乗って見る青空は、不思議なもの
でした。
凄い速さで上昇しているからでしょうか。
空の中に突っ込んでいるような気がします。
私は、特に理由もなく声を上げて笑いました。開放的な気分になったのかもしれません。久しぶりに大きな声で笑いました。
「ありがとうございます。ファリシエッドさん。とても楽しいし、気持ちがいいです」
ふとある考えが頭に浮かびました。
この素晴らしい経験を独占するのは忍びありません。
ですので、地上に降りたらファリィを紹介して、もしファリシエッドさんが良いと言えば、同じようにファリィにも空を飛んでもらいましょう。
読んで下さりありがとうございました!
お気に入り登録、評価をいただき、小躍りして喜んでしまいました。
ありがとうございます。
完結出来るように頑張ります!