02 雨の夜のお客様
家に帰った私を待っていたのは、自分より年下の少年から受ける説教でした。
「勇者様! どこへ行っていたのですか!? 怪我はありませんか。体調は悪くありませんか?」
私の姿を見るなり、少年は幼さの残る黄色の瞳を潤ませて心配してくれました。
癖のある茶色の髪を持った少年で、弟みたいな存在ですが、言い方は母親のようです。
「ありがとう、大丈夫です。新しい魔法を試しにカタル村の近くへ行っていたんですよ。それより私はもう勇者では無いのですから、名前で呼んで下さい」
「勇者様はたとえ魔王を倒していなくても勇者様です! 勇者様が言うのならば名前で呼ばせて頂きますが……」
私は小さく頷きました。
この少年は何度言ってもすぐに私の事を勇者と呼びます。
事実、魔王を倒す勇者として三年前に地球からこの世界に呼び出されたのですが、私が来てすぐに魔王が事故死してしまったらしく、魔王がいたという事を知っている人も少なかった事から、一言で言うなら無かった事にされました。
魔王の存在も勇者の存在も公表しない事になったのです。
私はやけくそになってこれでもかと我が儘を言い、結果的にこうして人気の無い湖のほとりで、ぼっちかつ引きこもりな生活をする事になりました。
三食護衛付きの悠々自適な生活。幸せではありましたが、国のお世話になりすぎですし、何より暇を持て余した私は、女神からもらった勇者チートを活かして魔法を研究する決意をしました。
魔法学者という職を得たのです。
「ミカエル様、とにかく勝手に出歩かないで下さい。心配したんですよ。せめて私に一声掛けてからにして下さい」
形の良い眉をハの字に曲げ、上目遣いで私を見つめる少年はおよそ護衛に向いているとは思えません。
しかし、見た目に反して同年代の中で頭一つ飛び抜けた実力を持っていて、天才と呼ばれているそうです。
元々は年上でごつくて強そうな人が護衛だったのですが、ぼそりとこの人怖そうだなぁと呟いた為に、私より年下の兵士さんが護衛に付くことになりました。
元の護衛さんに申し訳ないのともう一つ、とても説教が長いというので実は若干後悔をしているのですが――。
「すみません。オルディオには迷惑を掛けてばかりですね」
「そんなことはありませんっ! 勇者様!」
あぁ、また勇者様呼びに戻っています。
でもこれで長い説教は回避出来そうです。私はこっそり安堵の溜め息を吐きました。
「ちなみにずっと気になっていたのですが、新しい魔法とはどういったものなのですか?」
魔法を使う者として新しい魔法と聞いては尋ねずにいられなかったのでしょう。
少し自信のある魔法です。
私は手短にですが、心を込めて説明をしました。
しかし、話す内にオルディオの顔が曇っていきます。
「もしかして、役に立ちそうにありませんか?」
魔法学者と言う職があるとは言え、成果を上げられなければ無職同然です。それでは申し訳ないので国への感謝の気持ちも込めて精一杯作ったのですが、不味かったのでしょうか。
「いえ、素晴らしい魔法です。けれど、適当な場所に適当な数の魔法を試したってどういうことですか。他の国の人が見たらどうするつもりだったんですか」
「す、すみません」
「それに、あなたは人に見られてはいけない存在だということをもう少し自覚して下さい」
「すみません……」
オルディオの説教スイッチが入ってしまいました。
実はオルディオに見つかってからずっと外で、立ちっぱなしで話をしています。
冬にこれはきついのですが、言い出せる雰囲気ではありません。
文通の為に外にいる時は気にならなかった寒さが説教となると身に染みます。
あぁ、家に入って温もりたい。
*
結局小一時間ほど続いた説教の後、私は冷えた体を温める為にお風呂に入りました。
ちなみに湯は水の魔法と火の魔法の合わせ技で作り出しています。
勇者チート万歳ですね。
入浴後のホットチョコレートを楽しんでいると、ふいに扉を叩く音が聞こえてきました。
もう日の暮れた後です。こんな遅い時間に訪ねてくるなんて、日本人としては簡単に開けてやれませんね。
「どなたですか?」
私は警戒心も露わに尋ねました。
「夜分遅くにすみません。道に迷ってしまって、一晩泊めて頂けないでしょうか」
おや? まだ小さな女の子の声です。
慌てて扉を開けてみると、びしょ濡れになった少女がぽつんと立っていました。
オルディオと同じ年頃、十五、六歳に見えます。
いつの間に降り出したのか外は土砂降りでした。
雨音に全く気付かないなんて私ってかなり鈍感です。
それにしてもこのような時間に人気の無い湖の近くを通るなんて不用心ですね。
フードを目深にかぶっているせいで表情は良く見えませんが、随分と疲れているようですし、何かあったのでしょうか。
「大丈夫ですか? 取りあえず中に入って下さい」
「ありがとうございます」
少女は家に入ると、大きく溜め息を吐きました。
「あったかい……」
よっぽど寒かったのでしょう。ぼんやりと入口で佇んでいます。
「体が冷えてしまっているでしょうから、お風呂に入ってはどうですか?」
「お風呂があるんですかっ!?」
「えぇ」
私は急に声の弾んだ少女を微笑ましい気持ちで見つめました。
寒い日にはゆっくり湯船に浸かるのが一番です。しかし、少女は肩を落とすと首を振りました。
「そこまでお世話になるわけにはいきません」
「別に構いませんよ。それに、濡れた服のままでいられる方が迷惑です。風邪を引かれても困りますしね」
わざと突き放すように言うと、少女はしばらく俯いて悩んでいましたが、やがて決心したのかぱっと顔を上げました。
「すみません。お風呂お借りします」
「はい、じゃあ行きましょう」
お風呂場へと案内すると、少女は物珍しそうに辺りを見回しました。使い方が分からないのだろうと思ったので、指で示して説明をします。
「この魔方陣に魔力を込めるとお湯が出てきます。浴槽には私が湯を溜めておきますね。服はサイズが合わないかもしれませんが、私の物を着てください」
言い終わると同時に私は魔法を使い、湯を作りました。
湯船にたっぷりと湯がたまったのを確認して少女の方へ眼を向けると、口を半分開いたままで固まっていました。
「どうしました?」
「すごい……すごいです。こんなの初めて見ました!」
「はは……ありがとうございます」
やっぱり褒められるのは少し苦手です。
「あのっ、本当にありがとうございます! では、早速入らせてもらいますね」
私が頷いたのを見ると、少女はフードを脱ぎました。
独特な光沢のある紫色の長い髪が現れます。
私は思わず息を呑みました。
滑らかな曲線を描く輪郭。澄んだ白い肌の中、ほんのりと桃色に染まった頬。紫色の長いまつ毛に囲まれたサファイアのように透明感のある青い瞳。
どこを取っても非の打ちどころのない美しい容貌に、何よりほんのちょっと下膨れているのが幼さを覗かせて可愛らしいです。
それにしてもあの繊細そうな紫色の髪は本当に人間のものなのでしょうか。
ある種の神秘性を感じます。
「あ、あの……見られていると恥ずかしくて脱げません」
あまりにも驚いてついうっかりしていました。じろじろ見ていては確かに着替えられませんね。
「すみません。では、ごゆっくり」
さぁ、少女がお風呂に入っている間に晩御飯でも作りましょう。
そう考えた所で、少女の名前も知らない事に気付きました。
出てきてから聞くしかありませんね。
とにかくお腹も空いたので晩御飯です。
私の作ったご飯が少女の口に合えば良いのですが。
今日は疲れている事もあり、手軽においしく作る事の出来るオムライスを作りました。
それと、オルディオが持ってきてくれた都で人気のあるパン屋さんのパンが本日の晩御飯です。
「わぁ、オムライスだ! 本当に頂いて良いんですか?」
「えぇ、どうぞ」
「いただきます!」
行儀良く小さな手を合わせた少女に倣い、私も手を合わせました。
「いただきます」
久しぶりに人と一緒に食べる食事は、美味しさはもちろん、幸せを与えてくれるものです。
私は思わず笑みを作り、少女も同じように笑顔を浮かべているのを見て、聞かなければいけない事を思い出しました。
「そういえばあなたの名前を教えて頂いてもよろしいでしょうか。ちなみに私の名前はミカエルです」
「ミカエルさん、ですね。私はファリィと言います。あの、私の方が年下ですし、呼び捨てにしてくださいね? あと敬語も止めて欲しいんですけど……」
まさかの敬語禁止。
私はしばらく躊躇ってから口を開きました。
「わかっ……た。よろしく、ファリィ」
「よろしくお願いします! ミカエルさん!」
無邪気に笑うファリィに、私もつられて笑ってしまいました。
そのまま魔法の事などを話し、私たちは楽しい食事の時間を終えました。
「今日は本当にありがとうございました。人様のお家なのにはしゃいじゃってすみません……お休みなさい、ミカエルさん」
ぶかぶかの服に包まれたファリィが眠そうに目を擦ると、こちらまで眠くなってきます。
あどけない表情で布団へと入って行くファリィを見届け、私も布団へと入りました。
「お休み、ファリィ」
小さく呟いて目を閉じます。
あ、そういえばファリィについて名前以外何も知りません。
また明日、起きたら聞いてみましょう。
読んで下さりありがとうございました!