表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
化ける猫と黒縁眼鏡  作者: 佐伯 みのる
<春の章>
5/10

武藤とバイト

「おはようございます」

 その日、武藤は朝番のため、バイト先に午前9時に出勤した。大学の入学前に一人暮らしをするにあたり、引っ越しなど諸々の準備が必要なのであったが、そのときにふと見つけた大学近くにある『古書店』でのバイト募集の張り紙。

 それを見てしまってから、気がつけば、入学よりも前からそこで働いていた。

 大学近くという立地もあり、その古書店は論文や文献、資料の類を大量に有していた。棚に収まるものは収めているが、それ以外は乱雑に重ね置きされてるような、昔からある古書店、という、そんな古き良き古書店らしい風体だった。

「ああ武藤くん、おはようさん」

 そう言って出てきたのは店主でだった。「もう良い歳をした爺の道楽」などと言っているが、この店がいつからあるのかと考えると、むしろ若い頃から……いや、親から継いだと言われてもおかしくはない。そんな店主はもうじき70歳になるらしい。

「今日は何かありますか?」

「いつもの通りで頼むよ。……ああ、昨日買い取った本に値段をつけておいたから、少し本を綺麗にしてから値札つけて出しておいてくれるかい?」

「分かりました」

 店主が指差す先には、これまた年季の入ったレジの置かれている、買取・販売のスペースが用意されている。そこにドン、と10冊ほどの分厚い本が重ねられていた。

「店長、これ、揃いってことは……」

「ないねぇ。全部バラバラだから、分類間違えないようにね」

「……はい」

「じゃあ、今日は……13時までだったかな?よろしく頼むよ。ああ、ワシは10時から公民館の囲碁クラブに行くから、何かあったら電話、よろしくね」

 そう言ってにこやかに笑うと、店主は奥の住居スペースへと入っていった。武藤はそれを見送ると、積まれている本をじっと見つめる。

 何とか全集、のようにセットになっている本の方が圧倒的にラクなのであるが、バラバラとなると収納の棚も違えば、スペース作りにも苦労する。

 小さくため息をつくと、ひとまず朝のルーティンとして、ハタキを取り出した。出勤して最初にするのは掃除。当然である。




 店主に頼まれていた仕事も終え、時折訪れる客の在庫の有無などの問いかけに答えながら、古書店は静かに時間が進んでいく。

 特殊な本ばかりの古書店の本には『つるり』も『ざらり』もない本がほとんどだ。資料や文献などに作家の『感情』や『フィクションでのコーティング』など存在しない。そもそも武藤はそういう系統の本には全く興味がないのだ。

 しかし、その中で『つるり』を見つけてしまったのは、偶然だった。文学部の教授が資料を探しにやってきて、その時はなかなか見つからず武藤も探すのを手伝った。その時に、見つけてしまったのだ。

 紫式部。源氏物語の影印本。思わず手に取り、ページを捲ってみたが、文字がさっぱり分からない。眉を顰めていると、教授が笑いながら言った。

「さすがに、くずし字に古文じゃハードルが高いだろう」

「そうですね、さすがに読めないです」

 残念。そう呟いて武藤は資料探しを再開した。その合間に教授と言葉を交わす。

「文学部の学生かい?」

「いえ、法学部です」

「法学部の子がこういう古い本に興味があるんだ?珍しいねぇ」

「フィクションの物語を読むのが好きなんですが……さすがに古いものの原文は難しいですね。……っと、あった。お探しの物はこういうのでしょうか?」

 本棚の一番下から出してきた書籍を、少し埃をはらって教授に見せる。これからは掃除は本棚の一番下までハタキがけをしっかりやろう、などと考えながら。

 教授は本を手に取り数ページ捲ると、うん、とひとつ頷いた。

「ああ、これに探している情報が載ってるね。貰おうか」

「はい、ではお会計させていただきますね。レジの方へどうぞ」

 武藤が先導してレジへ向かったので、教授が文学関係の本が詰まっている中から、さらに本を2冊手に取ったことに、武藤は気づかなかった。




 会計をし、本を紙袋に入れて渡すと、教授はにこりと笑いながら、手に持っていた2冊の本もレジ台に置く。

「資料探し、助かったよ。本当にありがとう。お礼に、少しだけ教えてあげようと思ってね」

 そこにあったのは『浮世物語』という本。何故か2冊、少し装丁が違うものだ。何か違いがあるのだろうか。

「そっちが影印本。当時の写本を写真に取って印刷したものだ。だから書き方が当時のまま。くずし字も昔の言葉もそのままだ。そしてこっちが翻刻本。くずし字で読みにくい部分も活字で整えられているから、読みやすい。もちろん内容は一緒だから、翻刻本で十分なんだけど、当時の、手書きで書かれた文字の方が味があっていいだろう?こっちはくずし字で行き詰まったら辞書のように使うといい」

「え…」

「ははは、昔の小説を読みたいと言った君へのアドバイスというか、読み方のコツみたいなものだよ。現代語訳よりよほど面白いから、試してごらん。大丈夫、最初は誰でも読めないから。こういうものは慣れだよ、慣れ」

「…はい。ありがとうございます」

「個人的には『竹斎』もオススメだよ、と言っておくかな。よかったら読んでみておくれ」

 文学部でもないのにこういう物に興味を持っている武藤がよほど珍しかったのか、教授はアレコレと教え、最後には「分からないことがあったら聞きにおいで」とまで言って名刺を置いていった。どうやら気に入られてしまったらしい。

 武藤は時計を見る。時刻は10時半を少し過ぎた頃だ。大学前の古書店に客が入るのは、開店直後か大学の昼休み時間であることが多い。今はもう客もおらず、滅多に鳴らない電話番をしながらのアイドルタイムである。

 武藤は『浮世物語』の影印本を手に取った。



 最初は読めなかった文字も、何度か目にするうちに形が分かるようになっていた。くずし字は文字を読むというより、形の癖を覚えていく感覚だった。古文に関しては、バイトの時にこっそり古語辞典を持ち込んで、解読をしていくうちに自然と頭の中に意味が入っていった。

 そうして気づけば、武藤は教授に薦められた『竹斎』も読んでしまった。これはコツを教えてくれた教授に、礼を言いに行く機会があったら、感想を伝えられるかもしれないと思ってのことだ。


 そして武藤はさらにいくつかの本を読み、いつしか、あの時は諦めた源氏物語の影印本を手に取るまでになっていた。

 本の虫の根性、恐るべしである。

次回へ続く!!

☆面白かったときは評価や感想、レビューなどお待ちしています☆

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ