RPGセカンドストーリー 第四話 夏休み
大学二年の夏休み。そこで待っていたのはーー。
【フェーズCollege Summer Vacation】
その年の夏休み。
俺は、久しぶりに実家に帰った。
岸本がすぐ遊びにきた。
「どうだ、その後、大学は? 彼女できたか?」
「お前、すぐ、それだな」
「どうなんだよ?」
「うん、好きな子はいるよ」
「お、両思いか?」
「さぁ、どうかな。でも、彼女といると新しい自分を見つけられるから」
「へえ、どんな子?」
「KAHOちゃんって言って、高校二年の時に作ったオリジナルの曲でプロに誘われた子」
「なんだよ、それ? お前と全然、釣り合ってないじゃないか」
「ああ、俺もそう思ったけど、話してみると気さくでね。何より新しいアレンジとか、そういう創作意欲が湧いてくるんだ」
「じゃあ、付き合ってるのか?」
「いや」
「どうして?」
「もし、別れることになったら、一緒に音楽できなくなると思うと、なんか言えなくてね」
「崇だなぁ。ガンガンいけばいいじゃんか。みゆきの時なんか、上手く交わしながら気を惹いてたじゃんか」
「あ、まぁ、あれはなんでか知らないけど、そんなふうになったんだよ。 でも、KAHOちゃんには、できないんだよな」
「それだけ惚れたってことか」
「うん。たぶんな」
「たぶんって、どうゆう意味だよ?」
「なんか恋愛じゃない気がするんだよな。そんなもので壊れたくない」
「ん? よくわからんな」
「それに」
「それに?」
「いや、なんでもない」
「お前、言いかけたんなら言えよ」
「まぁ、迷ってるってことだよ」
「そうか。まぁ、言いたくないこともあるよな。それより、今夜、花火だろ? 俺、車で連れてってやるから一緒に行こうぜ」
「あ、そうか、今夜か。わかった。乗せてもらって悪いな」
「いいって。俺、車買ったから、いろいろ行きたいだけ」
「わかった。よろしく頼むよ」
「おう、まかしとけ」
俺は岸本に連れられて花火会場まで来た。
行ってみると、佐久本やユミちゃんも来ていた。
みゆきは見えなかった。
しばらく四人で歩いていると、向こうから見覚えのある浴衣姿の女性が二人、歩いてきた。
「お、あれ、三井じゃねえか?」
岸本に言われるまでもなく、俺は、それが彩乃と友達だとすぐわかった。
浴衣姿の彩乃は、びっくりするほど輝いて見えた。
たった二年で、こんなに大人の女性になっているとは思わなかった。
俺はTシャツ姿の自分が少し恥ずかしかった。
高校時代と何も変わらない子どもの自分が。
そのうち、二人が目の前までやってきた。
「岸本君、久しぶり」
「おう、三井、元気か?」
「うん、元気よ。安岡君も久しぶりね」
「ああ、久しぶり」
「どうしたの? そんな強張った顔して。私、何か変?」
「いや、大人びて見えたから、ちょっと見違えちゃって」
「え、なに? 私に惚れた?」
と、岸本が、
「うん、惚れた、惚れた。三井、俺と付き合ってくれ」
「もう、岸本君は相変わらずなんだから。みんなにおんなじこと、言ってるでしょ」
「いや、マジで、今日の三井は綺麗だよ。びっくりした。なぁ、崇」
「ああ、びっくりした」
「ちょっと、ちょっと。さっきから彩乃とばっかり話してるけど、横にこんな美人もいるんですからね」
「あ、ごめん。えっと、誰だっけ?」
「失礼ね。松田典子よ」
「あ、のっこちゃんか。ハモリが得意な」
「そうよ。安岡君の『終止符』ハモってあげたでしょ?」
「そうだったね。でも、のっこちゃんも見違えたよ。やっぱり女子は変わるんだなぁ」
「はいはい、付け足しでありがと」
まずいと思った岸本が、
「ところで、今日はお二人で花火?」
と話題を変えた。
「そうよ。彩乃が帰省したら一緒に来たの。ね、彩乃」
「うん。みんなにも会えるかなぁって思ったからね」
「ね、彩乃。あっちでたこ焼き売ってるから、買いに行こ。私、お腹すいちゃって」
「うん。行こう。じゃ、安岡君、岸本君、またね」
そう言って、二人は駆けていった。
「……三井、綺麗になったな」
「……ああ、綺麗になった」
「……ありゃあ、男できたな」
「え?」
「お前がびっくりすることないだろ。お前はKAHOちゃんとうまくやってるんだから。あ〜あ、寂しいのは俺だけかぁ」
「お前なぁ、お前には俺がいるだろ」
「はいはい。ありがと。……男じゃあなぁ。なんで俺の周りには男ばっかり集まるのかな?」
「いいじゃんか。男に人気がある男って、かなり男前だと思う。俺には無理だ」
「はぁ、それを女の子が言ってくれたらねぇ。世の中、うまくいかない」
なんて話していると、
「ちょっと、さっきから、二人とも私のこと無視してない?」
「え?」
振り向くと、ユミちゃんが少し膨れっ面でこっちを見てる。
その後ろで佐久本が無言のまま、両手の人差し指を上に向けて、鬼の角の形を作ってる。
「あ、いや、ユミちゃん。可愛いよ。もちろん」
「許せないわね。なんか奢ってもらわないと」
「わかった、わかった。たこ焼きでも、焼きそばでもなんでも買ってあげる」
「ほんと? じゃあ、ユミ、綿菓子がいい。すぐに買ってきて!」
俺と岸本はやれやれといった顔になった。
「俺が買ってくるよ」
と言って、岸本を置いて、綿菓子の屋台に行った。
何人か並んでいたので、待っていると、後ろから、トントンと肩を叩かれた。
振り向くと、彩乃が一人で立っていた。
「……彩乃」
「安岡君、後で二人で話せない?」
「今日は岸本たちと一緒だから難しいかな」
「そうね。私ものっこと一緒だし。じゃあ、明日、どう?」
「いいよ。どこで会う?」
「あの交差点でどう?」
それは、高三の文化祭の後で、彩乃が俺の頬にキスした場所だ。
「OK。わかった。明日、親の車、借りて迎えにいくよ」
「じゃ、のっこのところに戻らないといけないから、明日ね」
「おう、明日な」
そう言って、彼女は人波の中に消えた。
その時、
ドン!
夜空に大きな花火が上がった。
その音に弾かれるようにして、俺は思わず夜空を見上げた。
視界いっぱいに広がった光の残像が、ゆっくりと、けれど確かに夏の闇に溶けていく。
火薬の匂いが、風に乗って遅れて鼻を掠めた。
俺は、急いで綿菓子を一つ買って岸本たちの元へと走った。
「崇、遅い! 何やってんだよ!」
人混みの向こうから、両手にたこ焼きのパックを持った岸本が、呆れたような顔で声を張り上げた。 その隣では、ユミちゃんが早くも別の屋台に目を輝かせていて、佐久本はやっぱり何も言わないまま、人波に押されそうになるユミちゃんの肩をさりげなく庇うようにして立っている。
「わりぃ、ちょっと並んでて。ハイ、綿菓子」
俺は綿菓子の袋をユミちゃんに差し出しながら、無意識のうちに、さっき彩乃が消えていった人波の奥を視線で追っていた。
胸の奥が、花火の音とは違う種類の規則的なビートを刻んでいる。
『あの交差点でどう?』
という彩乃の、少し大人びた声が耳の奥にこびりついて離れなかった。
(明日、か……)
「おい崇、次あっちの唐揚げの屋台行こうぜ!」
何も知らない岸本が、買ったばかりの車の鍵をポケットの中でチャラつかせながら、無邪気に俺の肩を組んできた。
と、
ドン、ドドン!
仕掛け花火が点火されると、地面の暗闇がじわじわと明るくなっていった。
赤、緑、金色の光が、追いかけるように線を描きながら広がり、夜の輪郭を塗り替えていく。
人の顔が一瞬だけ浮かび上がっては、また闇に沈んだ。
岸本の笑い声も、ユミちゃんのはしゃぎ声も、その光の中で断片みたいに揺れて見えた。
*
次の日。
俺は家にあった軽自動車で待ち合わせの交差点へ向かった。
高三の文化祭の後、一緒に帰った日のことが頭をよぎった。
そして、交差点に近づくと、
バックパックを片方の肩にかけた彩乃が、歩道に立っているのが見えた。
昨日の華やかな浴衣姿とは違う、白いノースリーブに薄いデニムのジーンズ。
髪はラフにまとめられていて、すっきりとしたうなじが眩しい。
俺は駐車灯を点灯させて、路肩寄りに車を停めた。
彼女は車に気づくと、小さく手を振って助手席の方へと歩いてきた。
ドアを開けた瞬間、昨日の夜、綿菓子の屋台の後ろで感じたのと同じ、洗いたての髪の匂いが狭い車内に滑り込んでくる。
「待たせちゃった?」
シートに滑り込みながら、彩乃は悪戯っぽく微笑んだ。
その表情は高校生の頃のままで、でも、やっぱりどこか、俺の知らない最新の時間を重ねてきた大人の余裕が滲んでいる。
「いや、今着たところ」
俺は、ありきたりな返事を返すのが精一杯だった。
「どこ行く?」
「うーん、どこでもいいよ。崇君の運転、初めてだから、ちょっと緊張するかも」
そう言って笑う彩乃の横顔を盗み見ながら、俺はゆっくりとギアをドライブに入れた。
二年ぶりの二人きりの空間。 沈黙が怖くて、俺はカーステレオのボリュームを少しだけ上げた。
「いろいろ話したいから、喫茶店でも入らない?」
「喫茶店か。こっち、なんかあったかなぁ?」
「のっこから聞いたんだけど、S高校の近くに新しい喫茶店ができたんだって。そこ行ってみない?」
「のっこちゃんの推薦?」
「推薦というか、落ち着いて話せる雰囲気って聞いたから」
「S高の近くね。行ってみよう」
しばらく車を走らせ、S高の近くまで来た。
「あ、あれじゃない?『オアシス』って書いてある」
「え、『オアシス』?」
「どうしたの?」
「いや、大学の前にも同じ名前の喫茶店があってね。よく行くから、ちょっとびっくりしただけ」
「そうなんだ。安岡君、大学楽しい?」
「崇でいいよ」
「じゃあ、崇君」
「崇君は恥ずかしいな。呼び捨ての方が慣れてる」
「だから嫌なの。栗山さんみたいに呼ぶのは、ちょっと……」
「お好きにどうぞ」
「うん、崇君って呼ぶ」
彩乃は一瞬、寂しそうな顔をした。
俺は『オアシス』の駐車場に車を停めた。
二人は並んで、お店の中に入った。
カラン、コロン。
カウベルの鳴るドアを開けると、新築の建物特有の真新しい木と、まだ焙煎に慣れていないような初々しいコーヒーの香りが混ざり合った匂いがした。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
奥から出てきた若い女の子が、爽やかな笑顔で声をかけてくる。
きっと高校生のアルバイトだろう。
「あっちの、窓際の席に行こうか」
「そうだな」
彩乃の言葉に従って俺たちは窓際の席に座った。
後ろから、アルバイトらしき子が、水を運んできた。
俺は、メニューを見ながら、
「彩乃、何にする?」
「崇君は?」
「俺はカフェオレ」
「じゃあ、私はカプチーノで」
「え?」
「何? ダメだった?」
「いや、ダメじゃない。いいよ。すみません、カフェオレとカプチーノで」
とウエイトレスの子に頼んだ。
女の子が去ると、彩乃が訊いてきた。
「カプチーノ、何かあるの?」
「いや、大学の前にあるオアシス、よく行くって言っただろ?」
「うん」
「そこに一緒に音楽やってる子と行くんだけど、その子がいつもカプチーノ頼むんで、なんかちょっと不思議な感じがしたんだ」
「へえ、そうなんだ。ね、どんな子? 崇君はその子になんて呼ばれてるの?」
「安岡氏。だよ」
「安岡氏? なんかイメージ湧かないなぁ」
「まぁ、高校の時を考えるとそうだよな。彩乃は大学でなんて呼ばれてるの?」
「うん、あやちゃんとか、あーちゃんとか。あと、三井をもじって、ミッチとか」
「ミッチか。面白いね。そう呼ぼうかな?」
「やだ。崇君には、高校時代とおんなじように『彩乃』って呼んでほしい」
彩乃はそこだけ、急に強く言った。
「……で、そのカプチーノの子と付き合ってるの?」
「付き合ってないよ」
「ウソ。絶対、好きでしょ?」
「ああ、好きだよ」
「ほら、やっぱり。でも、付き合ってないってどうゆうこと? 一緒に喫茶店に行くんだよね?」
「ああ、ギターの練習の合間にね。彼女、KAHOちゃんていうんだけど、高二の時、初めて作った曲でプロにならないかって誘われた子なんだ。でも、そんな実力ないって断ったんだって」
「へぇ、そんなすごい子と一緒にやってるの? 崇君もすごいんだね」
「いや、メインは赤田先輩と一緒に『モラトリアム』ってバンドやってる。KAHOちゃんは俺に、自分の曲のリードつけてほしいって言ってくれたんだ。俺、彼女のこと、めっちゃ雲の上の人と思ってたから、最初は緊張したけど、喋ってみたら、とても気さくな子で、すぐに打ち解けた」
「ふ〜ん。それで?」
「そうそう、こんなことがあったんだ。日曜日に大学で練習して、『オアシス』寄って大学戻ったら、ギター置いてた二階の教室に上がる階段のシャッターが閉まっていて困ったことがあった」
「えー、それでどうしたの?」
「よく見たら、教室の隣にある男子トイレの窓が開いていたんで、雨どいをつたってスルスル登って、トイレから教室へ入って、それからギターを持って階段降りたんだ。裏からだとシャッター開けられたんで、なんとかセーフ」
「え〜? 守衛さんに見つかったらやばかったんじゃない?」
「ま、見つかれば、ね。見つからなかったから、セーフ」
「相変わらず、そういうところはいい加減だなぁ」
「KAHOちゃんも呆れた顔して『サルみたいだった』って」
「サル?」
「うん、雨どいをスルスル登ったから。『安岡氏、アブナイ人なんだね〜』ってケラケラ笑われた」
「ふ〜ん、そんな感じなのに、付き合ってないの? ……相手に彼氏がいる。とか?」
「いや、いないみたい」
「じゃあ、なんで?」
「なんでって言われてもなぁ……」
俺は言葉を濁した。
「……付き合って、もし別れたら、一緒に音楽ができなくなる。とか?」
「え?」
心の中をズバリ言い当てられて、俺は動揺した。
と、そこへ、注文のカフェオレとカプチーノが運ばれてきた。
俺は、カフェオレを一口飲むと、彩乃に訊いた。
「なんで、そんなことがわかるんだよ」
「『わかるんだよ?』か。じゃあ、当たりってことね」
「……ああ、そうだよ。もちろん、最初は付き合いたなって思ったよ。でも彼女と音楽やってるうちに、ずっと一緒に音楽続けたいって思ってしまったんだ」
「やっぱり。崇君はなんでも音楽を一番に考えるからね」
「そういう、彩乃はどうなんだよ? 大学で好きな人とかいないの?」
「……気になる人はいるよ」
「いるんじゃん」
「いちゃ、悪い?」
「悪くないよ。どんな人?」
「う〜ん、優しくてカッコいい感じ。背も高いしね」
「へぇ。でも、彩乃なら、モテて当然だよな」
「何が当然なの?」
「何がって、綺麗だし、しっかりしてるし、優しいし。男がほっとくわけないよ」
「ほっといたくせに」
「え?」
「そんないい女をずっとほっといたのは誰?」
「あ、いや、その〜」
「あれから二年だよ。私の気持ち、わかってたくせに、ずっとなんにも言わなかったのは誰よ」
「……言えるわけないだろ」
「え?」
「みゆきの亡霊に縛られたような俺が、彩乃に『好きだ』なんて言えねえよ」
「……うん、そうだよね。あの頃は崇君、みゆきに夢中だったもんね」
「そうじゃない。確かに三年の途中まではそうだったけど、『終止符』を曲にして彩乃に聴かせた時から変わったんだ」
「変わった?」
「彩乃、あの曲聴いて、泣いただろ? そして、『好きよ』って言った」
「言葉足りてない。『曲が好き』って言ったの!」
「ああ。でも、本当に曲だけだった?」
「あ、それは……」
「俺も彩乃のことはわかるんだよ。なんでか知らないけどな」
「なんでか、わからないの?」
「……はぁ、わかってるよ。彩乃のこと、気づいたら好きになってたから」
「……うふ、やっと言ってくれた。長かったぁ。私、ずっと待ってたんだからね。その言葉」
「え、そうなの?」
「そうなの!」
そう言うと彼女はカプチーノを一口、飲んだ。
「はぁ、よかった。……私、気になってる人がいるって言ったでしょ?」
「うん」
「その人から『付き合ってほしい』って言われたの」
「え、あ、そうなんだ……」
「『なら、言わなきゃよかったかな』って今、思ったでしょ?」
「思ってないよ」
「思ったでしょ?」
「思ってないって」
「正直に答えなさい」
「思いました」
「ほらね」
彩乃は俺の心を見透かして、したり顔をした。
「でも、なんでわかるんだよ?」
「わかるわよ。だから何も言えなかったの。付き合ってほしいって言ってくれた人にも、そして崇君にも」
「どういうこと?」
「わかってるくせに。女の子にそんなこと言わせる気?」
「……ありがと」
「え?」
「俺の言葉、待っててくれて」
「……うん。こちらこそ、ありがとう。うれしい」
俺たちは、カフェオレとカプチーノをもう一口、飲んだ。
「ところで、私が『終止符』好きって言ったから、私のこと好きになったの?」
「いや、本当は最初に音楽室にピアノの練習しにきた時から、いいなって思ってた」
「ほんと?」
「うん。でも、みゆきのこともあったし、そんな他の女の子、好きになっちゃいけない。なったとしても、何も言っちゃいけない、と思ってた」
「バカね」
「そう、バカなんだ。で、彩乃が風邪で寝休んだ時の電話でかなり意識しちゃって。そしたら、『終止符』の歌詞くれて。俺、それ読んだら、彩乃の気持ちが全部、自分の中に入ってきた気がした。でも……」
「でも?」
「二番の終わりが暗かったので、このままじゃ、彩乃が潰れちゃうと思って。『そして〜』ってラスサビを付け足した」
「うん。あれで私も前を向けた。感謝してるよ」
「うん。俺もあれで、みゆきにピリオドを打つことができた」
「だから、もう何も障害はないって思って、勇気出してキスしたのに、崇君、なんにも言わないんだから」
「言えなかったなぁ」
二人は、この二年間、ずっと言えなかった思いを埋めるかのように延々と話し続けた。
気づけば、夏の陽が傾きかけていた。
俺たちは『オアシス』を出た。
車に乗り込むと思い出したように彩乃が言った。
「ところで、崇君。最近、歌、書いてるの?」
「う〜ん、『モラトリアム』やKAHOちゃんとやってる時はギターメインだからなぁ。あんまり自分で歌書いてない」
「え、書いてないの? 『紲』や『Here After』みたいにいっぱい、いい曲あったのに?」
「でもね、赤田さんの詩を見て、書けなくなったんだ。情景だけで感情は聞き手任せっていう大人の詩を見てね。あ、ノート持ってきたんだった。そこに書いてあるよ」
俺は、いつもノートを持ち歩いていた。B5のコクヨノート。いつイメージが湧いてもメモが取れるようにするためだ。
ノートを見せると、彩乃は、真剣な表情で歌詞を目で追った。
「『カクテルグラス』か……。確かに大人の詩ね」
「うん。俺、絶対、こんなの書けないよ」
と、彩乃はページをめくって、ある詩に目をとめた。
♪風のように
送ってくれて ありがとう
泣いたして ごめんなさい
でも ほんと 愛していたの
そんな悲しい顔しないで
もう心配しないで
きっと きっと これからは
風のように やさしく
風のように 生きるから
いつかどこかの街で
ばったり あなたと出会ったら
やさしく笑って話せるように
今はまだ無理みたい
今はまだ好きだけど
きっと きっと それまでは
風のように さりげなく
風のように 生きるから
最後に一つ 一つだけ言わせて
『あなたに出逢えてよかった』と
そして
風のように やさしく
風のように さりげなく
風のように そう
風のように 生きるから
「この『風のように』っていうのは?」
「ああ、それは去年、大学に入ったばかりの時に書いたんだ。大学の同じクラスの女の子がいて、最初にできた友達って言っていいと思う。その子が、俺の高校の時の詩を見て、『別れた理由を書かずに書いたら面白いんじゃない?』って言ったんだ。で、『そうか』って思って、その場でパパッとできちゃった。そしたら彼女、『すごーい。3分でこんなの書けるのすごーい』ってめっちゃ、褒めてくれて」
「これ、すごくいいと思うな。崇君らしいし」
「ありがと。俺もこれ書いて『よし、いける』と思ったんだけど、赤田さんに出会って、もう詩を書くのは無理ってなって、今はギターに専念している」
彩乃はノートをパラパラめくった。
「ふ〜ん、それで、こんなに消した跡があるんだ」
「え?」
「『俺は書けなくなりました。これも違う、あれも違う』ってこのノートが言ってるよ」
俺は苦笑した。
「彩乃には敵わないなぁ。その通りだよ」
と、
「ねえ、崇君。これ、あげる」
いつ取り出したのか、彩乃の手に、カートリッジタイプの万年筆があった。
「え、これ、どうしたの?」
「私が使ってるやつ。私もたまに詩とか書くでしょ。その時に使ってるんだ」
「彩乃が?」
「そう。これで書くと消えないからいいの。間違ったり、使えなかったりした言葉も残るでしょ。その時に書いてる詩には使えなくても、他で使えるかもしれないじゃない。なんでも残しておきたいからそうしてるの。崇君もやってみたら?」
「なるほど、消さないほうがいいのか……。 わかった。やってみるよ」
「うん。それに私の万年筆を使ってくれるとうれしい。一緒に書いてる気持ちになれるから」
「そうか、彩乃と一緒に書いてるってことか。俺もうれしい」
「ふふ。どんなの書いてくれるかな? 楽しみ」
「あんまり、プレッシャーかけるなよ。さて、では帰りますか」
「……うん」
俺は待ち合わせた交差点へ車を走らせた。
このまま帰るには惜しい気がしたが、家の車を借りてること、彩乃が途中まで自転車で来てることを考えると、あまり遅くなることもできなかった。
夏とはいえ、八月も中旬を過ぎると少し陽が短くなる。
交差点に着く頃は薄暮状態になっていた。
路肩付近に車を停めたが、二人とも、そのまま、動けずにいた。
ハザードランプの点滅がお互いの鼓動音のようにも思えた。
耐えきれなくなって、彩乃が口を開いた。
「ねぇ、私、崇君と付き合っていいんだよね?」
「それはこっちの台詞。俺と付き合ってくれるんだよな?」
「もちろん。……よかった。これで安心して、向こうに行ける」
「俺も。彩乃がいてくれるって思えたらなんか心がスッと軽くなった」
「私もそう。でも、崇君。向こうに行っても、その気持ち、忘れないでね」
「忘れないよ」
「どうかなぁ? 音楽のことになると相手の気持ちの中にどっぷり入っちゃうからなぁ」
「それを言うなら、俺だって、彩乃に言い寄ってくる男の近くになんか帰したくないよ」
「え? ヤキモチ妬いてくれるの?」
「そりゃ、そうだよ」
「そっか。ヤキモチ妬くんだ。ふふ。なんかうれしい」
「変な笑い方するなよ」
「いいじゃない。これまでずっと待ってたんだから」
「待たせてごめんな」
「うん。でも、今日はありがと。じゃ、帰るね」
と彩乃は車のドアを開けようとした。
「待って、忘れ物」
「え?」
振り向いた彼女のくちびるに俺は自分のくちびるを重ねた。
彩乃は、一瞬、戸惑ったように大きな目をしたが、すぐにその目を閉じた。
数秒、俺たちの時間は止まった。
それはあっという間にも、永遠にも感じる時間だった。
ゆっくり、離れると、彩乃は、頬を染めてこう言った。
「……やったなぁ。こんなのずるい」
「二年前のお返し」
「あ〜、そっか。ふふ、お返しされちゃった」
「へへっ」
「もう、またすぐ会いたくなっちゃうじゃない」
「このまま帰したくない」
「私も帰りたくない」
「でも、……な」
「でも、……ね」
お互い、それ以上は言わなかった。
彩乃は、
「じゃあ、本当に帰るね」
と言って、車を降りた。
手を振る彩乃に手を振り返して、俺は車を動かし、その場を離れた。
バックミラーにこちらを向いたままの彩乃の姿が見えた。




