第十四話 「好きだから・・・」
――再会したユキノが告げた残酷な宣告。
二人の女性が編み上げた、優しくも悲しい嘘の迷路。
だが、崇の瞳に迷いはなかった。
陽子の叫びを背に、俺たちは「本当の現実」へと歩き出す。
【フェーズ8】
次の朝、玄関のチャイムが鳴った。
「来たみたいね」
と言って陽子が出ていった。
(来たって誰が?)
と思っていると、陽子の後ろから現れたのは、俺の知ってる顔だった。
「あ、ユキノ!」
「崇、おはよう」
ユキノは、何の屈託もなくいつもの様子で、そう言った。
「お、おはよう……」
俺は困惑しながら、そう言った。
「ふふふ、混乱してる、混乱してる」
と少し意地悪そうにユキノは笑って、
「実は、私と陽子は従姉妹同士なんだ」
と言った。
「え、イ・ト・コ……?」
「そ、従姉妹。ね、陽子」
「そう、ユキノのお母さんは私のお母さんの姉。つまり私たちは従姉妹なのよ」
「……そうなんだ。でも、どうしてユキノがここに? ここはユキノのいる世界とは別のはずだろ?」
「それは崇の錯覚よ」
「錯覚?」
「そう、錯覚」
ここで、陽子が割ってしゃべってきた。
「ユキノ、どこから話そっか」
「そうね、ここは私に任せて」
「わかった」
「……崇、あなたは病気なのよ」
「え、俺が病気?」
「そう、その病気に使う薬の副作用でいろんな記憶が混同しているの」
「……記憶が、混同?」
「私も最初はびっくりしたわ。私が看護師として担当している精神科の外来にあなたと陽子が一緒に現れた時は」
「俺が、精神科に通っていた?」
「そうよ。確かにそれまで、少しずつ変な兆候はあったのよ。私も薄々、気付いてはいたんだけど。認めるのが怖くてなかなかいえなかった」
「俺がいったいどうしたと言うんだ?俺は至って正常だぞ」
「そ、普段はね。でも、あなたは病気なのよ。恵理さんとの過去を無意識に引きずっていて、時々、発作的に叫んだり、誰かと話したりしてた」
「恵理のこと?バカな。恵理のことなんかとっくに忘れてるよ」
「そう思いたいのよね。でも崇、あなたは恵理さんに今でも囚われてるのよ。そうでしょ、陽子」
「ええ、そうよ。崇はことあるごとに恵理さんのこと言ってたわ。俺のせいだ、俺のせいだって」
「だから、精神安定のための薬を処方してもらって毎日、飲ませてたのよ」
「薬?俺、薬なんか飲んでないぞ。陽子、今日だって俺、薬飲んでないよな?」
「え、そ、それは……」
陽子が少し慌て出した。
「あなたが寝た後にこっそり飲ませてたの」
とユキノが冷静に言った。それに合わせるように陽子も
「そ、そうよ。あなたが病気のことを気にしたら、もっと悪くなるって先生から言われたから、気づかれないようにそうしてたの」
と言った。
「はぁ? 精神科の先生がそんなこと言うはずないだろ?ユキノ、俺だって病院に勤めてるんだ。まして恵理のことで精神科のことはたくさん勉強した。そんな治療法あるわけないよな?」
「そ、そうなの?ユキノ」
「陽子は黙ってて」
「ほら、やっぱり嘘じゃないか」
「嘘じゃないわよ。あなたは病気なの。自分が何をやってるかも忘れてしまう病気なのよ」
とユキノが言った。
「考えてみて。あなた、どうしてここにいるの?どうやってここにきたの? 覚えてる? 覚えてないでしょ。自分がどうなって、ここに来たかもわからないのに、病気じゃないって言えるの?」
「え、あ、いや、それは確かにわからない」
俺はユキノの言葉に急に不安になった。
しかし、次の瞬間、ん?何かおかしいと思った。
「じゃあ、俺はどうやってここに来たんだよ」
「あなたは私がここに連れてきたの」
「は? なんだって?」
「だから私がここに連れてきたのよ」
「陽子、それ、本当か?」
「本当よ。ユキノから頼まれて、私はあなたの面倒を見てたの」
「……そうか、俺病気なのか。ユキノに、陽子に迷惑をかけてたのか……」
俺がそう言うと二人は一瞬、目を見合わせて、ホッとした顔になった。
(いや……そんなはずはないんだ。ユキノの性格からして自分で何とかするはずだ。こんなことを感情の起伏の激しい陽子に頼むはずはないんだ。だから俺をここに連れてくるはずはない。これは何かがおかしい、世界が俺を騙している感じだ。うん、そうか、きっとそうだ。そうでなきゃ、ユキノがこんなこと俺に言うはずがない。)
俺は、
「何か、二人で隠しているだろ? ちゃんと答えろよ」
「な、何もないわよ」
「そうよ。何もない。あなたが勝手に何かあると思ってるだけ」
ユキノの平坦な言葉が部屋に響いた。
しかし、俺の心には全く響かなかった。俺はそれで確信し、
「違う!」
と叫んだ。
「え、何が違うの? 何も違わないわよ」
急に強気になった俺を見て、陽子は慌てたようにそう言った。
「俺は病気なんかじゃない!」
「ほら、そうやって感情が強く現れるのが病気の証拠よ」
とユキノの冷静な分析の声に陽子も大きくうなづいた。
しかし、俺には確信があった。
「じゃあ、聞くけど、俺が病気だとしたら、ユキノも陽子も病気なんじゃないのか?」
「え?」
「え?」
二人はお互いの顔を見合わせた。
「ほら、当たってるだろ」
「当たってないわよ。私、病気なんかじゃない」
「私だってそうよ」
陽子とユキノはそう言った。
「じゃあ、俺も病気じゃない」
「何でそうなるのよ。私はあなたに良くなってもらいたいから、こうやってわざわざ陽子の部屋まで来たんじゃない」
「俺と別れるためにか?」
「……そ、そうよ」
「本気で言ってるのか?」
「え?」
「本気で言ってるのかって聞いてるんだよ。ユキノ!」
「本気よ。決まってるじゃない」
と一瞬、ユキノの目が横を向いたのを俺は見逃さなかった。
「またそうやって、冷静さを装う。お前、気づいてないだろうけど、本当に助けてほしい時、お前は少しだけ視線を逸らすんだよ。今、そうしただろ?」
「してないわよ。するわけないでしょ」
「何年一緒にいると思ってんだ? お前が嘘ついているのは俺にはわかるんだよ」
「何よ、本当に別れるわよ。それがあなたのためじゃない」
「自分がいると『呪い』がかかるからか?」
「……そうよ。私が関わった相手はみんな不幸になるの。崇だって、精神を病んじゃったじゃない」
「俺は病んでない。病気になんかなってない。ユキノ、お前だってわかってるだろ」
「わかってるわよ、そんなこと。でも私といるとあなたは不幸になるの。だから、お願い、私のことは忘れて、陽子と生きて」
「お前、忘れたのか? お前があの晩、話してくれた辛い過去のことを聞いた時、俺がなんと言ったか」
「何も言わなかったわよ。ただ黙って抱きしめてくれただけ」
「そう、何も言ってない」
「何よ、それ。ふざけてんの?」
「ふざけてない。でも、俺はあの時、誓ったんだ。俺がユキノを幸せにして『呪い』を解いてやるって」
「え?」
「俺は、そう誓ったんだよ」
「え、じゃあ、崇は私のことが嫌いになって陽子のところにきたんじゃないの?」
「そんなわけないだろ。俺はユキノでなくちゃ、だめなんだよ」
「……、じゃあ、あの晩、そう言ってくれればこんなことにはならなかったのに」
「バカやろう、そんな照れ臭いことが言えるかよ」
「嘘、いっつも照れくさい台詞ばっかり言ってるくせに。肝心な時に何にも言わないんだから」
「ごめん。でも、俺はあの晩からユキノとの幸せだけを願っているんだ」
その声を聞いたユキノの表情が急に明るくなった気がした。そして、一瞬にして何か付き物が落ちたかのように穏やかな表情になった。
「ユキノ、一緒にいてくれるよな?」
ユキノは黙って、でも、しっかりとうなづいた。
「ユキノ、ちょっと外で待っててくれないか?陽子と話したいんだ」
「崇、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。ここは俺に任せてくれ」
「わかった。じゃあ任せる」
と言って、ユキノは外へ出て行った。
陽子と二人きりになった俺は、陽子の目を見た。
「♪ ……り ……かざり 繋ぐ手と……手……」
陽子は呆然と『夏のなごり』のメロディーを口づさんでいた。
あの日の車中、得意げに口づさんでいた鼻歌。
彼女の目は、焦点の合わない視線のまま、俺の顔を見つめていた。
俺は、そんな陽子に自分の素直な想いを伝えなければならなかった。
「陽子……」
「♪ お互いの ……りを 信じ……た……」
「陽子、聞いてくれ。俺……」
「ダメ、言わないで」
「聞いてくれよ、俺な」
「嫌、絶対聞かない」
「聞けよ! 俺はな!」
「嫌だったら!」
「陽子!落ち着けよ。俺、陽子と知り合えて嬉しかったよ。でも、陽子を支えるのは俺じゃない。俺には、どうしてもユキノが必要なんだ。たとえ、どんな呪いがあろうと、ユキノのいない俺の人生なんて考えられない。俺はユキノと生きてゆくしかできないんだ」
その途端、陽子が、
「わぁぁー」
と言って泣き崩れた。
「……わかってるわ、崇。……わかってたのよ。……私じゃユキノになれないって。でも、どうしてもあなたを失いたくなかった。だって、私を自由にしてくれたのは崇だもの。私だって崇のいない人生なんて考えられなかったのよ」
「陽子……。でも俺は……」
「もういいの、ひとりにして」
「いや、だってこのままじゃ……」
「いいの、ひとりになりたいのよ。このままあなたといたら、私、きっとあなたを殺すわ。だからひとりにして。もうほっといて」
「…………」
「大丈夫、死んだりしないから。私、そんなにヤワじゃないから」
「……わかった」
俺は、陽子の部屋を出た。
外でユキノが待っていた。
「ユキノ、俺、陽子を傷つけちゃった。俺に任せろって言ったのに、ごめん」
「うん、わかってる。大丈夫、あとはまかしておいて」
と言って、ユキノは部屋に入って行った。
そのあと、ユキノが陽子に何を言ったのかはわからない。でも一時間後に出てきたユキノは、
「……彼女は、陽子は本当にあなたのことを愛していたのよ、純粋にね。でも、もう心配しなくても大丈夫よ。帰りましょ」
と言って歩き出した。その目には涙の跡がしっかり見えた。
俺はもう一度陽子の部屋の窓を見た。
ひとり残された陽子の部屋に悲しい歌が流れているのがかすかに聴こえた。
……それは、さっきまで彼女が口ずさんでいた曲(夏のなごり)ではなかった。
俺は、もう何も言えず、ユキノと並んで駅への道を歩いた。
♪『好きじゃったんよ』
好きじゃったんよ
好きじゃったんよ
もうどうにもならんけど
好きじゃったんよ
わかっとるんよ
わかっとるんよ
お酒なんかじゃごまかせんの
わかっとるんよ
ひとりで飲むんは
寂しいもんじゃね
飲めば飲むほど
忘れたい面影
恋しゅうなる
好きじゃったんよ
好きじゃったんよ
今夜だけ言わせてぇや
好きじゃったんよ
明日になったら もう
‥‥もう言わんけぇ




