第十三話 「恋の迷路」
陽子の唇が、ユキノの言葉を紡ぐ。
幸せに満ちたはずの部屋に、突如として現れた「世界の綻び」。
「気付いちゃったか」――
スマホの画面に踊る謎の文字列は、残酷な真実を突きつけていた。
【フェーズ7】
陽子が出て行った後、俺は半分ホッとしながら、さて、どう伝えたら理解してもらえるか考えた。
『ユキノは俺が別の次元で一緒に暮らしている人だ』なんて言っても、陽子はあの激しさだ。そのまま信じてはくれまい。かといって嘘をつけば、その場はごまかせても、いずれ嘘だとわかってしまうだろう。
これがユキノなら、こんな嘘みたいな話でもストレートに言えば、『崇が本当のことを言っているのはわかるよ』と言ってくれるのだが。
俺は、陽子のいなくなった部屋で途方にくれた。
*
夕方になっても陽子はなかなか帰って来なかった。俺は、考えはまとまらなかったが、やはりそのまま伝えるしかないと思っていた。
(それにしても遅いな。……事故でもしてなきゃいいけど)
そう思った瞬間、
「ただいま、遅くなってごめんね。崇」
と言って陽子が帰ってきた。
俺は意を決して、
「さっきの話だけどな……」
と言いかけると
「ああ、それ、もういいの。わかったから」
「わかった?何が」
「……ううん、なんでもない。でも崇が私を嫌いになったんじゃないことはわかったの。外に出て冷静になってみたら、崇はいっつも私のこと考えてくれてるって気づいたの。だから、もう聞かない」
「いや、でも」
「聞かないの!それとも何? 私が嫌いなの?」
「いや、そんなことない。大好きだよ」
「じゃ、それでいい。この話は終わり。崇、お腹空いたでしょ?ご飯作るね。今日はシチューにしようと思って、バケットも買ってきちゃった。あとでワイン、一緒に飲も」
そう言うと陽子はキッチンで料理を始めた。
俺は、
(これは、今、ここで言うでべきではないってことか? しかし、伝えた方が俺はすっきりする。でも、今の陽子にこんなこと言ったら、余計、精神がやられるかもしれない。恵理のようになってもいけないしな。とりあえず、様子を見るか)
と考え、
「シチュー、いいな! 俺、腹減った、早くしてくれよ。その間に風呂入ってくるから」
と笑いながら言って、風呂場へ向かおうとした。
陽子は、その俺の手を掴んで、引き留め、朝と同じように俺の頬にキスをして、
「崇の好きな陽子特性シチューだからね。期待して待ってて」
と言って笑った。
風呂でシャワーを浴びながら、
(俺はこれからどうするべきなんだろう)
と考えていた。陽子と普通に会話できるようになったのは嬉しい。
(ん、嬉しい?)
俺は陽子と話せることを嬉しいと感じている。それは確かな感覚だ。
でも、そう感じるのとは裏腹に現実の世界に戻りたいと思っている。だが戻れるのか?それとも、やっぱりこれは夢を見ているだけなのか?そんな不安が心の奥から湧き上がる。俺は全く何もわからなくなっていた。ただ一つ、自分では現状を変えることができないことだけは、はっきりとわかっていた。
シャワーを止めて、鏡に映った自分の顔を見た。さっき、陽子からキスされたほっぺが熱い気がした。
(ユキノはほっぺにキスなんかしないよな)
この後に及んで、まだそんなことを考えてしまう自分が情けない気がした。
そんなことを考えていると、突然、ガラッと扉が開いて陽子が入ってきた。
「おい、脅かすなよ」
「ふふ、いいじゃん。一緒に入ろ!」
「全く、お前は……」
と俺が呆れても、陽子は意に介さず、
「崇と一緒にいたいんだもん」
と子どものようなことを言って恥じらう様子もなく、俺からシャワーヘッドを取り上げて、シャワーを浴び始めた。
「お前なぁ、少しは恥じらいとかないの?」
「いいじゃん、昨夜は、もっとすごいことしたんだし」
「すごいことって……」
その言葉に俺は、また『もうひとりの俺』への贖罪の念に駆られて頭を抱えてしまった。
「何?頭が痛いの?吐き気は?」
と陽子が異常なほど、気遣う声をかけてきた。
俺は、
「いや、昨夜のことなんて言うなよ。めっちゃ恥ずかしいから」
と自分の気持ちをごまかして、そう言った。
陽子は、ホッとした表情になって
「な~んだ、崇、そんなこと恥ずかしいんだ」
「バカ、男はみんなシャイなんだよ」
「へー、そうなの?じゃ、今日はやめとく?」
「あ、いや、その、だから……」
「ふふ、やっぱりシタイんじゃない。このままシテもいいよ」
「バカ、先に出る」
と俺は耳まで真っ赤になって風呂から出た。
風呂の中から、
「崇、そういうところ、純だよね。そこがカワイイ」
という陽子の声が聞こえた。
その言葉に俺は聞き覚えがあった。
(この言葉は……)
などど考えてると陽子が風呂場から出てきて、
「何やってるの?体拭かないと風邪引くよ。もう看病はこりごりですからね。しっかり拭いて」
とバスタオルを渡してくれた。
俺は、そのタオルを頭からかぶって頭と体を拭き、着替えてリビングへ出た。陽子も後から髪にタオルを巻いた状態で出てきた。
「だから、服、着ろって」
「大丈夫、風邪引かないから」
「そうじゃなくって」
「何、照れてんの?」
「とにかくせめてパジャマくらい着ろよ」
「は~い」
と陽子はふざけながら、それでもシースルーの下着だけつけて、エプロンをつけて家事を始めた。
「へへ、裸エプロンに見えるでしょ。興奮する?」
俺は目のやり場に困った。
「お前、昨夜が俺と初めてって言っただろ?」
「うん、そうだよ。わかってるくせに」
「その前から、いつもこんな格好してたのかよ?」
「しないわよ。ずっと抱えていたものがあったから、そういうこと無理だって頭が勝手に自分をセーブしてたのよね。でも、昨夜の崇のおかげで、そんなの全部、なくなっちゃった。私、本当はこんな感じなのよ」
と何かが吹っ切れたようにあっけらかんという陽子に、俺は心の中でまたまた頭を抱えた。
(もう、これ以上、何を言ってもダメだ)
と思った俺は、
「寝室に行って軽く寝るわ。ちょっと疲れた」
「一緒に寝る?」
「もう、いい加減にしろ!」
「ふふふ、おやすみ。ご飯になったら起こしてあげるね」
「ああ、頼むよ」
そう言って俺はその場から離れた。
寝室に入って、一人になった俺は、「ふぅっ」と大きな息をついてベッドに横たわった。
風呂場での陽子の言葉が頭をよぎった。
「崇、そういうところ、純だよね。そこがカワイイ」
(陽子のやつ、ユキノと全くおんなじこと言ってたな。女ってのは、みんな似たようなものなのか?それとも俺が子どもなだけなのか?)
などど、考えているうちに、不意に
(なんかユキノと陽子の間で恋愛ゲームでもしてるみたいだな)
という感覚が脳裏をよぎった。
(いやいや、そんなはずはない。これはリアルな現実だ。でも、こういろんなことが起こると訳がわからなくなる。いっそ、ゲームならよかったのに)
などと現実逃避の感情が湧いてきた。
このままではどうしようもない。これは現実なのだ。
「よし!」
と俺は飛び起きて、スマホを手に取るとメモアプリを開いた。情報を整理しようと思ったのだ。
メモをスクロールすると、黄色く文字を括ったところが出てきた。
(あれ、俺、こんなことしたかな?)
と思って読んでみると、まるで知らない内容が書かれていることに気づいた。
「え、これ……何なんだ?」
俺の目に映ったのは、まるで意味をなさない文字の羅列だった。
[[SYS_ERR: REALITY_OVERLAP_DETECTED_AT_0903]] [[STATUS_REPORT: SYNCHRONIZATION_FAILURE_LEVEL_ALPHA]] [[PLAYER_HEALTH: CORE_ENERGY_CRITICAL_LOW_WARNING_7893]] [[ACTIVE_PROGRAM_RUNNING: YOUKO_HONEYTRAP_VER_2.0_DEEP_STATE_MODE]] [[MEMORY_CORRUPTION_INDEX: BLURRED_TARGET_YUKINO_MATRIX_ID_001_ERROR_404]] [[OBJECTIVE_HINT: INITIATE_RECOVERY_PROTOCOL_VIA_MEMORY_MELODY_SEARCH_CODE_MKII]] [[TRIGGER_CONDITION: LOCATE_LOST_LOVE_HILL_KEY_SEQUENCE_GAMMA]] [[RESCUE_PROTOCOL_ACCESS: YUKINO_ACCESS_CODE_KNOWN_BY_HERSELF_ONLY_RESTRICTED]] [[GLOBAL_TIMER_ACTIVE: TIME_LIMIT_CRITICAL_IMMINENT_BETA]] [[SYSTEM_COMMAND_OPTIONS: REBOOT_COMMAND_INITIATE_QUESTION_MARK_PROMPT]] [[ADDITIONAL_DATA: UNKNOWN_SOURCE_SIGNAL_DETECTED_POSSIBLE_ASSISTANT_AI_OR_PLAYER_INTERFACE]]
(これは、何かのプログラミングか?)
何が書かれているのか、全く理解できない。だが、それが今、自分に起きていることと深く関わっている気がした。
注意深く見ていると、いくつかわかる単語があった。その中に**『YUKINO』**という単語があった。
(どうしてユキノが出てくるんだ?やはり、ここはパラレルワールドなのか。きっと俺は別次元に捕まったまま、元の世界へは戻れなくなったんだ。陽子を抱いてしまったから……)
……もう、元の世界へは戻れない……
俺の中で何かが弾けた気がした。そして何も考えられなくなった。俺は、そのままベッドに横たわり、考えることをやめた。やめたつもりなのに、ユキノの顔が目に浮かんで離れなかった。いつも俺のことを考えてくれて甲斐甲斐しくそばにいてくれたユキノ。ユキノの顔を思い起こすと、なぜか陽子の顔がそれに重なった。俺は、
「やっぱり、もう戻れないんだな」
と呟いて、そのまま目を瞑った。
……俺は口に何か温かいものが触れる感触を感じて目を開けた。陽子が俺にキスしていたのだ。いつの間にか眠っていたらしい。
「ふふ、起きた?ご飯よ」
「……ああ、寝ちゃってたのか」
「何言ってんのよ、こんなにセクシーな格好した私をほっといて寝るって言ったくせに」
と陽子は笑った。
見ると、陽子はまだそのままの格好をしている。
「お前、本当に、ちゃんと服着ろよ」
「ふふ、イ・ヤ・よ」
というと、起きあがろうとした俺に覆い被さってきた。
「よ、陽子」
「崇、大好きよ」
と再び俺の口を陽子の唇がふさいだ。
「う、オ・マ・・ェ・・」
言葉にならない声が陽子の唇によってかき消され、俺は陽子にどんどん引き込まれるように何も考えられなくなった。気づくと俺が上になり、陽子のエプロンを脱がせていた。陽子の腕が俺の背中に回って強く抱きついてきた。もう何も考えられなくなり、俺は陽子と一つに……なろうと……。
不意に『ユキノ』という言葉が頭に浮かんだ。すると、陽子の顔がユキノに見えた。
「うわっ」
と俺は叫んで、陽子から離れた。
「どうしたの?崇、早くきて……」
陽子が俺を誘うが、俺は首を振って、
「いや、やめよう」
と言った。
陽子は悲しそうな顔になって、
「……どうして?私のことが嫌い?」
「いや、好きだよ」
「じゃあ、いいじゃない」
「そうじゃないんだ、陽子。……俺はね、君の知ってる崇じゃないんだ」
「何言ってるの?あなたは崇よ。紛れもなく私の知ってる崇じゃない」
と半分笑いながらそういう陽子に、俺は、
「信じないかもしれないけど、俺は別の世界から来た人間なんだ」
と告げた。
「何、バカなこと言ってるの。そんなわけないじゃない」
「いいや、そうなんだ。これを見てくれ」
と俺は、陽子に自分のスマホのメモアプリを見せた。
「そこに黄色で括られたコードのようなものがあるだろ。それが証拠だよ」
すると、陽子は急に冷静な顔になって、
「……そう、崇、気付いちゃったの。そっか、気付いちゃったか」
「え、気付いたって?陽子は知ってたのか?」
「もちろんよ。でも、あなたには気付いてほしくなかった。ずっとこのまま、私といてほしかった。ううん、今でもあなたとずっと一緒にいたいと思っているわ」
「…………」
「でも、もう終わりね。わかった。今日はもう遅いから、この話は明日しましょ。とりあえず、ご飯食べよ。陽子特性シチュー作ったんだからしっかり食べてよね」
そう言って、陽子は寝室を出て行った。
俺は、訳がわからなかったが、今は何も聞けないことだけは陽子の雰囲気から感じ取った。
俺はベッドから立ち上がって、陽子のいるリビングへ出た。
向こうを向いている陽子の背中に、
「陽子、あのな……」
と声をかけようとすると、陽子の肩が震えているのに気付いた。
「……う、……ぇん」
泣いている陽子の背中がとても小さく見えた。
俺は背中から陽子を抱きしめた。陽子はそのまま大声で泣き出した。背中から回した俺の腕に陽子の涙が落ちるのがわかった。
俺は何も言わず、しばらくそのままでいた。
♪『恋の迷路』
出会ってどれくらいの月日が 流れて行ったのだろう
君のことをもう充分過ぎるくらい知ってるつもりさ
だけど、それでも時々、わからなくなる それが君の魅力さ笑顔の裏に見せる 悲しみも一緒に
抱きしめたいと思う僕は わがままなのかな?
その黒髪も、その唇も、その指も
僕の腕の中のぬくもりに溶けてしまえばいい
「愛してる」 ただそれだけに身をませて生きればいい




