53.己の呟きには責任を持とう
トイレから戻る。
俺は何も見なかった。
そう思うことにした。
(大河さん、SNSやらせちゃダメなタイプだろ……)
言及すればしたで気まずいし、見なかったことにするのが一番だ。
「あ、おかえりなさいです」
スマホをいじっていた大河さんは、俺が戻ってくるとぱぁっと笑みを浮かべた。
……耳と尻尾が振れているのを幻視する。
「……『異世界ポイント』の話に戻りますけど、大河さんって今レベルはおいくつなんですか?」
「今朝のクエストでLV52になりました」
「ッ……!?」
LV52!?
俺の倍以上かよ。
「凄いですね。ちらっと掲示板で見ましたけど、上位プレイヤーでもまだLV40くらいでしたよね?」
「いえ、トップ帯のプレイヤーならもうLV50超えてる人も多いですよ」
「そうなんですか? でも昨日の掲示板だと確か――」
「佐々木さん、忘れてませんか?」
「え?」
「私たちがプレイしてるのは『異世界ポイント』なんですよ?」
「あっ……」
そうだった。
異世界ポイントは現実と時間の流れが大きく異なる。
現実の一日が、ゲームでは数か月――下手をすれば一年以上にもなるのだ。
……無論、それを続けられるだけの精神があればの話だが。
「私の知ってる限りだと、今一番LVが高いプレイヤーはバルカンさんだったと思います。LVは……今朝の時点で確か68」
「68……」
そんなに上なのか。
バルカンさんって確か、『無双プレイヤー ☨バルカン☨の情報スレ』ってスレッドにあった人か。マジで無双プレイヤーだったんだな。
……どうでもいいけど『☨』って、なんて読むんだろ?
「ちなみにバルカンさんは絶頂会長さんのリア友らしく、アルダンもやってるらしいですよ。アルダンのアカウント名は別らしいですけど」
「ほぅ……。『異世界ポイント』ってアルダンのプレイヤー多いですね?」
「はい。他にも何人かアルダンの知り合いが居ました」
……偶然だろうか?
それとも意図的か?
まあ、考えたところで答えなんて出ないか。
「あ、そうだ。今朝のクエストクリアしたってことは、メイちゃんたちは無事に亜人の国に行けたんですか?」
俺は一番気になっていたことを聞いてみた。
「はい、ちゃんと送り届けました。安心してください」
「そうですか……、良かった……」
亜人の国でちゃんと暮らせていたらいいな。
大河さんは口元に笑みを浮かべる。
「本当に大切に思っているんですね。メイちゃん、でしたっけ?」
「はい。ゲームだと割り切ってはいるつもりなんですけどね……。すっかり感情移入してしまいました」
「あ、分かります。このゲーム、リアル過ぎますし、本当に異世界って言われても信じちゃいますもん」
「ですよね……」
マジでゲームだと忘れるようなことが何度もあった。
『異世界ポイント』はあまりにもリアル過ぎる。
大河さんが言った通り、本当にもう一つの別世界かもしれないと思ってしまうほどだ。
「本当になんなんでしょうね、このアプリは?」
「……分かんないです。会長はアプリの謎を解明したくて躍起になってますけど、私はあんましそういうの興味ないですし」
それは俺も同じだ。
このアプリがいったい何なのか?
どうして俺たちに配られたのか?
あの世界は本当にゲームの世界なのか?
どういう仕組みでお金やモノ、才能といった目に見えないものまで交換することが出来るのか?
疑問は尽きない。
でも、別に俺はその答えを知りたいとは思わない。
俺にとって一番大事なのは現実であり、あくまでこれは楽しい副業だからだ。
そのスタンスは変わらないし、これからも変えるつもりはない。
――変えてしまえば、きっと俺は戻れない。
現実を捨てて『異世界ポイント』に全てを捧げてしまうだろう。
俺はそれが怖い。
だからこそ、線引きは大事だ。
「まあ、ゲームだから、現実じゃ出来ないことが出来るってのは楽しいですけどね」
「あ、分かります、分かります。私もなんか全く別の人間になれたような気がしてすっごい楽しいんです」
そういえば、大河さん、仲間の亜人と話している時だと口調が違っていたな。
そういうキャラを作っているんだろう。
俺は苦笑しつつ、あの時のことを思い出す。
「お互い、とんでもない出会い方でしたね」
「ですです。佐々木さんの格好、本当に――ッ!」
あ、ヤバい。
思い出すと、途端に恥ずかしくなってきた。
それは大河さんも同じだったのだろう。
顔が茹でだこみたいに真っ赤になってる。
「あ、いや、あの……あれはゲームだからああいう格好をしているだけで……。げ、現実でもああいう格好が好きなわけじゃ……あ、あの、でもスタイルとかは同じですから! ゲームだからって変にスタイルいじってるわけじゃなくて、胸とかはちゃんと自前で……あ、いや、その……な、なんでもないですっ」
……つまり大河さんのあのスタイルは自前なのか。
駄目だ。想像するな。
今の大河さんとエロエロバニーなあの姿を重ねるな。
「……ゲーム内の姿について言及するのはやめにしませんか? その方がお互いの為かと」
「そ、そうですね。え、えへ……」
うん、これ以上はよくない。
本当に良くない。
「あ、そ、そういえばっ」
ポンと、大河さんが何かを思い出したように手を叩く。
あからさまに話題を逸らそうとしてるのがバレバレだけど気にしない。
その方がありがたい。
「佐々木さんってフレンド機能は使ってますか?」
「『異世界ポイント』のですよね? まだ使ってないですね」
「だったら私とフレンド登録しませんか? あれ、フレンドになると掲示板とは別のチャットや特典機能があるんですよ」
「へえ、そんなのがあるんですか」
そういえば、全然使ってなかったな、フレンド機能。
あることも忘れかけてた。
「分かりました。後でログインしたら、申請しておきます」
「はい。よろしくです。えへへ……」
大河さんは本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
ちらちらとこちらを見つめてくる。
「あ、あの……それで、佐々木さん。実は、ですね……」
「はい、なんでしょうか?」
「そ、そそそその、この後、もし良かったら、私と――」
プルルルルル。
大河さんが何かを言いかける前に、彼女のスマホが鳴った。
「ッ……こんな時に誰――あ、担当さんだ……」
苛立ちの表情が一転して真っ青に。
ちらっと大河さんは俺の方を見てくる。
どうぞ、と手で促すと、大河さんはスマホを耳に当てた。
「あ、はい。もしもし、虎にバニーです。げ、原稿ならないですよ。ネームだってまだです。馬場さん、休んでいいって言いましたよね? え、あ、その件じゃない?」
……今の挨拶だけで、大河さんの駄目な日常がよく分かるな。
担当さん、苦労してそう。
「えっ、さっきの呟き? 本当ですけど? ああ、はい……すいません。すぐに削除します。――はい、はい。――はい、本当にすいませんでした」
あ、怒られてる。
これ、さっきの呟きの件で怒られてるわ。
「……はい、はい。分かりました。はい……すいません。え、今すぐ? ……分かりました、すぐに行きます」
大河さんはこの世の終わりのような顔でこちらを見てきた。
「……すいません、ちょっと急用が出来まして……」
「構いませんよ。お仕事の方を優先してください」
「ありがとうございます。……あ、お金、払います。いくらでしたっけ?」
「ここは私が持ちますからいいですよ。早く行ってあげて下さい」
「すいません、本当にすいません。失礼します」
トボトボと、大河さんは背中を丸めて喫茶店を出て行った。
その後ろ姿はまるで、これから処刑場へ向かう受刑者のようであった。
……まあ、同情はしないけど。
窓から大河さんの姿が見えなくなってから、俺は店員さんを呼ぶ。
「すいません。今日のサービスランチとアイスコーヒーお代わりください」
せっかくだしお昼はここで食べていこう。
広くなったテーブルで、俺はランチを堪能した。
とても美味しかった。